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秩父観音霊場巡りで歩いたみち

以前書いた「歩く旅」の続きです。また書きますと言ってから、5ヶ月近く経っている……。

2015年に、秩父三十四箇所観音霊場巡りに行きました。

「巡礼」は、世界の様々な宗教で行われています。日本の仏教では、四国八十八箇所(四国にある空海(弘法大師)ゆかりの仏教寺院の総称)はご存知の方が多いと思います。また、西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所を合わせたものを日本百観音巡礼というそうです。その他にも、信仰によって巡礼地は様々あります。

秩父観音霊場巡りに行こうと思った動機は、何かの願をかけてというわけではなく、四国八十八箇所の予備戦のためでした。歩いてお寺を巡るというのはどんな感じなんだろう?ということを知るために、何事もやってみないとわからない自分ならではの、最初の一歩でした。秩父巡礼は全長100km、 四国巡礼は1200km。距離的にも慣れるにはよいかなあと。

さらに、こう言うと不謹慎かもしれませんが、信仰のためではなく、あくまでも歩くことによって自分を見つめるために、霊場巡りというコースを使わせてもらうという感覚でした。歩くだけなら別に霊場巡りでなくても、登山やトレッキング、○○街道を歩く、とかでもいいと思うのですが、途中途中の札所でお参りをし御朱印をもらうということもまた自分にとっての貴重な経験になると思いました。

初日は、3月下旬。池袋から西武池袋線のレッドアロー号にのり70分、秩父駅へ。そして秩父駅からバスで一番の札所の四萬部寺まで行きました。事前に本は読んでいたけれども、何もわからないので、札所にある売店で何が必要かを教えてもらいながら購入。

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たどたどしく最初の参拝を終えたら、そこから歩きをスタートです。服装は白装束を着たわけではなく、モンベルやマーモットなどの普通の登山ウェアにリュックです。歩く道は、一般道も多いのですが、写真のような自然のなかを縫って歩くような道もあります。

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二番札所まではいきなりの関門で、長々とのぼり坂が続いていて、早速そこでリタイアをしそうになりました。写真は途中にあった立て札。この急坂はほんとにきつかったです。

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初日は出発が遅くなってしまったので、一番から四番の札所までで終了することに。各札所で納札と参拝をし、御朱印をいただきました。この日は初日ということもあり、自分を慰労するため秩父駅の飲食店でハイボールを飲みながら秩父名物「みそポテト」を食べて帰ってきました。

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その後、5月の連休明けに1泊2日で続きを歩きました。御朱印がもらえる納経所の受付時間を確認し、事前にGoogleマップでルートや所要時間を調べました。このときは2日間で二十五番の札所まで回りました。

歩いている間は、おそらく数分に1回は「なんでこんなことしてるんだろう?」という気になります。特にひたすらアスファルトの道路を歩いているときにそんな気持ちになることが多い。でも、そもそもそういうことを思う自分の内面を見つめるということが目的なので、それでいいのです。

歩いている間中起こってくる葛藤が一瞬静まるのが、札所についたときです。この写真は二十四番 法泉寺。

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そこで一連の作法を行っているうちに、頭の中のことが消えていくというか静まるようになります。

・山門前で一礼して入山
・水屋で手と口を清める
・本堂 ( 観音堂 ) 向拝へ進み、納札・写経を納める
・お燈明、お線香、お賽銭をあげる
・恭しく観音様を念じ、合掌礼拝の後お経(般若心経・観音経等と御真言、回向文)を唱える
・読経の後、納経所へ進み、所定の納経料を納めて、ご朱印を戴く
・諸堂参拝をして、退山時もまた山門を出てからご本尊様に向かい一礼
http://www.chichibufudasho.com/guide より抜粋

もちろん、トイレを借りたり、休憩したりもするわけですが、ひとつの札所を過ぎるたびに、余計なものを捨てていくような感覚がありました。あんまり何も考えなくなっていく。「自分を見つめる」ということからも、解放されていくような。


二十六番以降も後日1泊2日で回る予定で、ルートや時間の調査も済ませてあったのですが、当時、途中で通る山道に「熊が出る」という記事を目にして、1人で歩いていて遭遇したらシャレにならないなあと思って躊躇してしまいました。熊よけの鈴も持ち歩いているのですが、それだけで山越えをするのは心細すぎる。ということでそこから数年、そのままになっています。生きている間に続きを回ろうとは思っていて、でも、今度は車で行こうと思っています。


さて、この後始めた四国遍路をしていたときも含めて、「なんでお遍路さんしようと思ったの?」ということを、当時多くの人に聞かれました。そのときどきで、「歩きながらの瞑想のため」とか、「いつか行ってみたかったから」とか、簡略化して答えていたのですが、ちゃんと考えてみるとそこにいたる流れというかいくつかのポイントがあって、昔facebookに書いていたので、それをここに載せておきます。

・2009年1月
独立をすることになったタイミングで、吉野山金峯山寺で千日回峰行を満行された塩沼良潤さんの存在を知り、その本を読んで非常に感銘を受ける。こういう体をつかって行を修めていくことが自分にも必要なのではないかとうっすらと思い始め、それからたまに長時間のウォーキングをしたりしていた。

・2009年10月
ブロックス西川さんのお誘いで、100キロ歩け歩け大会に参加。30時間以内に100キロ歩いてゴールするという大会で、残念ながら12時間ほど、50キロでリタイア。このとき、歩くことで自分と相当に向き合うことを知り、そこから逃げるという体験もする。いつかリベンジしたいと思っていた。

・2011年 年末?
あるフォーラムでお遍路さんの通し打ちを完了した若い女性と出会う。40日以上、白装束で歩き続けたという話をきいて、自分はたった12時間で挫折したのか、、、とさらにリベンジの意欲が湧く。またこのとき、お遍路さんには区切りうちという、何度にもわけてやる方法があることも知り、いけるときにいって、それで通せばいいのか、それはいいなと思っていた。

・2012年5月
永平寺で雲水をしていたという星覚さんのガイドで、永平寺の3日間の座禅体験に参加。足が固くていくつかのお務めを欠席したことで、リタイア感が残る。

・その後、思い出そうとしても思い出せないほどめまぐるしい時期を過ごす。ただこの間、「瞑想」に取り組みながらも、あまりしっかり取り組めていない自分を持て余していた。それだったら歩いたほうが自分なりに整理ができるんじゃないかと、行き詰ったときはよく歩いていた。

・2014年 秋
ケガとかごたごたとかいろいろあり、精神的な(スピリチュアルな)ものにいろいろ取り組んでいた時期に読んでいた本の著者が、四国遍路をしているときに啓示を受けた人で、遍路への興味が再燃。

・2014年 11月
ご紹介やご縁などがあって、5日間の屋久島の縦走に参加。このとき、自然の中だったら、いくらでも歩ける気がする、これって歩きながらの瞑想だよなーと思い、山登りを続けていきたいなと思うのと同時に、お遍路さんに行こう!という気持ちが強くなった。

・2014年年末
本格的にお遍路さんをしようと思い、年度末納品の仕事が終わり、気候がよくなる4月にスタートすることを決意!

ということで、2015年3月に秩父で最初の一歩を踏み出した後、今度は何度かに分けて四国の遍路みちを歩きました。このあたりのことはまた改めて。


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