哲学対話「もやもや」の開催レポート
毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。1月28日(土)に開催した際の様子をレポートします。
哲学対話の概要
哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。過去のテーマはこれまで「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」、「本音と建前」、「違和感」、「配慮と遠慮」、「成長」、「鈍感」、「ユーモア」、「沈黙」、「選択」など。
39回目となる今回のテーマは「もやもや」で、参加者は11名でした。
開始時間になってもまだ来ていない方が多かったので、まずは哲学対話についての簡単な説明や対話を充実したものにするための心構えの共有を行いました。
フリートーク
チェックイン代わりにお1人ずつテーマの「もやもや」に関して思い浮かぶことをお話していただきました。下記のような観点が出されました。
・もやもやは日常でよく遭遇すること。もやもやしていると行動に移せないのでイライラする。もっと迅速に行動できるはずと思う。
・Facebookの投稿を見てもやもやしたことがある。賛成のアクションを取る人が多いが、おかしいと思うという意見などはあまり書かれない。書くべきかどうかもやもやする。
・哲学対話ではもやもやはお土産で、日常の中でのもやもやはいやなもやもや、と使い分けている。好き嫌いがある。
・自分が興味のあることに関してのもやもやはそのあといいことがある。自分が無力だなと思うもやもやは不快なもやもや。
・もやもやしたらもやもやさせておくと、思ってもみないところでつながることがある。
・もやもやは自分の奥にある大切なものが侵害されると出てくるシグナル。
・ネガティブなもやもやは、腹に一物もっているような、胸がしめつけられるような感じ。
・わからないものに対して内側の感覚を探っていくと出てくる。
・もやもやにはポジティブとネガティブがあるのか?同じものじゃないのか?
・当初はネガティブだったもやもやが、人の意見を聞いたりしてポジティブに転換することはある。
問い出し&問い決め
フリートークの内容を踏まえて、後半深めていく問いを出し合いました。
1 もやもやはどこから来て、どこに行くのか?
2 もやもやとは何か?
3 もやもやをどう処理して、活用していけばいいのか?
4 ポジとネガに、別の名前をつけれるか?
5 もやもやをなぜ人は感じるのか?
6 人生で一番大きかったモヤモヤは何でしたか?
7 どうやってもやもやと向き合えば良いのか?
8 ポジティブな「もやもや」とネガティブな「もやもや」はどこに根本的な違いがあるのか?
9 「もやもや=気にかかったままの状態で心の大部分を支配しているもの」としてもやもやから解放される方法はあるのか?
出された問いについてなぜそれを問いたいのかを伺ったあと、一緒にできる問いがないか対話をしながら、最終的に7つの問いにまとまり、投票をしました。
僅差の投票で選ばれたのは
ポジティブな「もやもや」とネガティブな「もやもや」はどこに根本的な違いがあるのか?
という問い。ここでいったん休憩をはさみました。
対話
後半は選ばれた問いを入り口に対話をスタートしました。
・最初はネガティブなもやもやであっても、ひっくり返ること、裏返ることがある。それは気持ちの持ち方によるのかわからないが、意味づけが変わる。
・ネガティブからポジティブなもやもやに変わる例として、仕事で受けるクレームは最初はたじたじになっていたが、ベテランになってくると大好物になる。クレームを言う方はそれだけ熱量があって、ファンになってくれる可能性がある。
・自分が無力感を感じる例として、戦争や差別などは大きなもやもや。
・もやもやは人間関係で起こることが多いが、怒りを感じたり絶交だと思っているとそれをポジティブに変えられる要素は少ないのではないか。ポジティブなもやもやというのがよくわからない。もやもやはそもそも得体のしれないときの、落ち着かない状態のことで、それがポジティブな意味を持つとしたら、もやもやではなくわくわくとかどきどきに変わるんじゃないか。あくまでももやもやは怒りやむかむかの状態のことを言うのではないかと思う。
・ポジティブなもやもやというと心地良いものという感じがする。何が起こるかわからないけどわくわくしているときなどはそのまま対処しなくてもよいもやもや。一方でネガティブな不愉快なもやもやは一度やり過ごしてもまた出てくることがある。なので、処理方法を考えようとなる。
・もやもやしている状態を別の捉え方をした時点でもやもやじゃなくなっているんじゃないか?そうすると同じようなことがやってきても対処ができる。別の言葉で言えるようになるともやもやでなくなるのでは。
・わかりそうでわからない状態、心情、感情をもやもやというのではないか。ポジティブとネガティブのどっちにころぶかわからない。戦争は1つ、絶対的にネガティブなもやもやと言えるかもしれない。
・Zoomの会に参加してもやもやが発生したとき、発散ができない。これは負のもやもやの状態。感情と理性がうごめいてコントロールできていない。
・そのもやもやを自分の力で解消できるかどうかで、解消できるとポジティブなもやもやになるんじゃないか。ただ、悪感情からくるもやもやをネガティブというのか、もやもやを感じることをネガティブというのか?
・もやもやの体験に感情が付随するのはわかるが、感情をポジティブネガティブにわける意味がわからない。
・フォーカシングという心理療法では、もやもやに耐えられない状態のときは扱える大きさまで小さくする。
・ポジティブネガティブというのは、メタ認知能力が関わってくる。もやもやがいい悪いに判断されるのを超えて、自分を客観視できるようになると、ポジティブネガティブという意味づけがなくなってくる。
・哲学対話のあとのもやもやは、客観視できているし、ピンチがない。どのくらいの危機を感じているのかも関係あるのではないか。たとえば戦争をしている国の人はもやもやなどと言っていられない。もっと別の表現を使うはず。
・ネガティブと思われるテーマであっても、それについて議論をすることは建設的なのでポジティブなもやもやと考えられる。自分ではどうすることもできないという要素があるとネガティブなもやもやになってくる。
・そもそも、ポジティブなもやもやとネガティブなもやもやがあるのか?それとも、もやもやしているという1つの状態に対してネガティブポジティブな意味づけをしているのか?その捉え方が違うままこの場で話されている。
・ポジティブなもやもやとネガティブなもやもやは分かれていると思う。そもそも脳の反応の領域が異なる。ポジティブなもやもやはウキウキする領域。ネガティブなもやもやは焦り、怒り、焦燥感などの領域。
・何かの体験をしても感情もいろいろ。ポジティブネガティブに二分してしまうのは残念な気がする。
・もやもやしている「状態」と、それに対して起こる「感情」は別のもので、切り離して考えられるのでは?
・悪感情が起きると、その現象をなんとかしようとする。何に対して悪感情を持っているのかは切り離せる。
・哲学対話のときのもやもやは、日常で感じるもやもやの予行練習になっているような気がする。
・解消しないといけないモヤモヤ(危機感・不快感が強い)
→問題の解消のために必要なモヤモヤ
解消しなくてもそこまで支障がないモヤモヤ(危機感・不快感が弱い)
→探究心など、ポジティブな感情につながる
2時間の対話を終えて
最近の哲学対話でよく感じるのは、前提が異なっているために話がすれ違ったり噛み合わない感じがすることです。たとえば今回のもやもやというテーマの場合は、ポジティブなもやもやとネガティブなもやもやが「ある」という前提で話がスタートしましたが、その前提を持っていない立場の人たち、たとえば『もやもやは「単によくわからない」という状態で、そこに対してポジティブネガティブな意味づけをしているだけではないか』という立場の人もいれば、『そもそもネガティブポジティブに二分化するということに引っかかる』という立場の人も。そういった違いにみんなで気づいた上で、丁寧に問いかけ合いながら、違う立場の人の見方や考えを理解し合うことを、さらにじっくりやっていきたいなあと思いました。
今後の開催予定
最新の開催情報は下記ページに掲載しています。
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