見出し画像

哲学対話「メリハリ」の開催レポート

毎月定例のオンライン哲学対話に加えて、進行役をお迎えして平日にも開催しています。7月20日(木)は進行役のご都合が悪くなり、大前が代打で進行をしました。その際の様子をレポートします。


哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。55回目となる今回のテーマは「メリハリ」で、参加者は当日欠席の連絡が相次ぎ7名でした。

これまでのテーマ
「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」、「無駄」、「不安」、「記憶」、「努力」、「考える」、「協調」、「変化」、「労働」、「プレゼント」、「味わう」、「ハマる」、「共感」、「旅」、「役に立つ」、「自尊感情」、「ほめる」、「本音と建前」、「違和感」、「配慮と遠慮」、「成長」、「鈍感」、「ユーモア」、「沈黙」、「選択」、「もやもや」、「差別と区別」、「感情」、「先延ばし」、「したたか」、「嘘」、「後悔」、「常識」、「距離感」、「思い込み」、「先延ばし(2回目)」、「流される」、「寛容」、「外見」、「深い」

※以下、当日出た意見を、個人が特定されない範囲で紹介します。個人の具体的な体験などは省略した他、進行役の解釈・編集が入っていますのでご了承ください。またメモを見返して意味がよくわからない部分は省略しています。

チェックイン

音声確認の意味も含め、①ニックネーム、②今の気分、を一人ずつ話していただきました。

テーマについてのフリートーク

前半の30分くらいはまず、テーマ「メリハリ」に関して思い浮かぶことを自由にお話していただきました。下記のような観点が出されました。

●どんなときにメリハリと言うか?

・自分ではあまり使わない表現。子どものときに夏休み中に親から「ダラダラするんじゃない」と注意されたときに「メリハリをつけて」と言われた記憶がある。メリハリのメリはダラダラしている状態で、ハリががんばって気合いを入れている状態だとして、メリを戒めるために言われていたと思う。

・友達とランチ会などのときは、食事やおやつをたくさん食べていいと自分にゆるす。メリは少量で、ハリはたくさん。1週間の中で調整してメリハリをつけている。

・自分は会話をしているときに笑いがある状態で会話をしていることが多いが、それだけではなく一部真面目な話もするのでメリハリがあると思う。ハリはピーンと張っている感じがするので、真面目という感じ。

●メリハリはなぜ良いこととされるのか?

一般的にメリハリがあると良いとされるのはなぜなのか?メリハリがないとダメなのか?淡々とした生活もいい面がある。

●メリハリの重要性

・例えば、もしバスガイドが一本調子だと聞いている方がしんどくなる。メリハリが大事なので歌ったり、いろいろな仕掛けが入る。
→そのしんどさは、飽きるということ?
→おそらく。メリハリというのは変化をつけるということ。

●メリハリのしんどさ

・昔はメリハリをつけることはいいことだと思っていたので、メリハリをつけようとしていた。ただ、がんばる時間とがんばらない時間の落差が大きくなると、そのギャップがきついときがある。

・お正月やGWなどの連休明けに仕事がしにくいと思うことがある。ダラダラ(メリ)が大きくなると、ハリに戻るのがつらくなる。

・仕事や生活にメリハリがあるというとき、自分がコントロールできているとよい意味になり、人からメリハリをつけなさいと押し付けられるとしんどくなるのではないか。

・メリが休む、ハリががんばるだとして、休むとがんばるは平等ではない。メリハリと言う言葉は人を休ませるときではなく、がんばらせたいときに使うことが多いのではないか。だからしんどく感じるのではないか。今まさにがんばっている人にちょっと休みなよと言うときは、メリハリという言葉は使わずに「休んで」と言う。

・他人に対してメリハリと言う言葉を使うときはがんばらせたいという意味で、自分に対して使うときはバランスをとるとか休むという意味で使うことが多い。

・メリハリのしんどさの中身として、メリのときは「飽きる」があるが、一方でハリのときにもしんどさがある。テンションが高いままだったりずっと人の中にいたとすると「疲れる」。なのでテンションを下げたり、人と接するのを控えたりする。
→人間は、あがったテンションは自然に下がるのでは?そういう意味では意図せず普通にメリハリをつけているとも考えられる。
→メリハリは意図してつけるものなのか、意図せずついているものなのか?

問い出し&問い決め

フリートークの内容を踏まえて、後半深めていく問いを出し合いました。
似ている問いを合体させ、4つの問いの中から投票で選びました。

1.上手にメリハリを付けるにはどうしたらよいのか?
2.なぜ、メリハリがあると良いとされるのだろうか?
(3.メリハリがあるのは100%いいことか?)
(4.生活にメリハリがあるのは良いことか)
5.メリの長さ・ハリの長さが人によって違うのは何故だろうか?
6.休むべきときは自分で決められるのか?

決選投票で選ばれたのは「なぜ、メリハリがあると良いとされるのだろうか?」という問い。ここでいったん休憩をはさみました。

対話「なぜ、メリハリがあると良いとされるのだろうか?」

後半は選ばれた問いを入り口にして対話を始めました。

まず、「この問いにはすでにメリハリがあるのは良いことという前提が含まれているので、メリハリがあるのは良いことだと思わないという方はなぜそう思うかをぜひ教えてください」という点を確認してスタートしました。

●なぜメリハリが良いとされるのか?

・すべての状況でメリハリがあるということがいいとは思わない。例えば、毎日ご飯とみそ汁を食べていると体調が安定する。変化がないことは悪いことなのか?飽きること、退屈することはダメなことなのか?メリハリがあることは本当にそんなにいいことなのか?

・メリハリという言葉はいい意味で言うときにしか使わないからではないか。悪い意味で言うときは「ブレがある」、「上げ下げがある」、「波がある」など別の表現になる。そもそも単語に「良い意味での波の変化」というポジティブな意味を含ませているのではないか。

・メリハリをつけろと言われるときは、集中しなさいという意味で言われる。その集中することが良いことだと思っているから、メリハリが良い意味になるのではないか。

・人生にハリがあるとか、ハリを持たせるというが、おそらく肯定的な意味で使っている。人は放っておくとメリの状態が続いてしまうかもしれないが、そこにハリが加わることで良い意味に転化するのではないか。

●メリハリがあるってそもそもどういうこと?

・例えば子どもが夏休みに朝なかなか起きなかったり、ダラダラテレビを見たり、ずっとかき氷を食べていたりしているのがメリハリがない状態。自由研究の計画を立てて取り組んだり、プールに行ったり、旅行に行ったり、シャキシャキ動いているのがメリハリのある状態。何かを決めてそれに取り組むという積極的な要素がメリハリにはあるのではないか。
→ダラダラしようと決めてダラダラする場合は?

●規則正しさとメリハリの関係

・規則正しい生活とメリハリのある生活は何が違う?規則正しさの中には単調さがある。メリハリのなかにはギャップがある。
・規則正しい生活=メリハリがある、と言えるのではないか。例えば、朝にラジオ体操をして、その後勉強をしてというのは、メリハリのある生活の規則、リズムのようなもの。
→その人が、たとえば夜中に起きてカップラーメンを食べながらゲームをするなどの規則を決めてそれを繰り返していてもメリハリがあると言える?
→それは個人の決めた規則においての規則正しいであって、メリハリがあるとは言わない。本来人間にとって良いとされているような自然のリズムに合わせて生活することがメリハリがあると言えるのではないか。
→毎日同じことを続けるのは、メリハリがあるのではなくて、単にスケジュール通りの生活なのでは?
→深夜に働いている人は、自然のリズムとは逆かもしれないが、規則正しく生活していればメリハリがあると言える?
→自然の周期、リズムは前提として変化がある。変化をつけること、別のことをすること、それをリズムよくやることがメリハリと言えるのではないか。動くと休むを規則正しく取り入れること。だとすれば、深夜に働いている人の生活もメリハリがあると言える。

●メリハリの意味

・昔は日中は働いて夜は寝るのが当たり前だった。なのでメリハリといえばそれが本来の意味だったのではないか。ところが、生活が多様になるにつれてメリハリにも細かい変化を表すような現代的な意味が付加されてきたのではないか。
→現代はマルチタスクや「ながら」の時代と言われている。目の前のことに集中しにくい。今何をしてるんだっけ?となる。だからなおさら「メリハリ」について言及されるのではないか。
→元々はメリハリは音を強くする、弱くするといった意味。それが転じて、時間を無駄に使ってはいけないという戒めとなっていった。そこには人間が時間をコントロールできるという思い込みがある。

●(再度)なぜメリハリが良いとされるのか?

・メリハリをつけることは、ハリの時間の価値を高めること、つまり勉強や休憩に集中できることにつながるから。
→ハリだけでなく、メリの価値も高まっている。メリハリがあることでどちらの時間の質も高まる。

・メリハリを無条件によいと思ってしまう感覚というのは、人間の中に自然のリズム(メリハリ)があるから。
→同じものを食べ続けるというメリハリがない方が、ストレスが少なく健康に良いという調査結果があるが、それは「自然のリズム」とどうかかわっている?

●その他

・行動としては単調でメリハリがないように見えても、中身が日々変わっているとそれはメリハリがあると言える?そしてそれはそもそも誰が判断するのか?
・メリハリには時間的なものと質的なものが関わっている。人によって必要な波の大きさが違う。

2時間の対話を終えて

放課後もそのまま本編の対話で言えなかったことが出されましたが、それ以外にメタダイアローグ的なことを話しました。

まず、「その発言は問いに答えていると思うか?」ということについてです。今回のような「なぜ〇〇なのか?」という問いについて、「〇〇のためだ」と答えたとしたら、それは問いに答えたことになるでしょうか?厳密にいうとこの場合、「なぜなら、〇〇だからだ」と答えることが、問いに答えたことになります。

こんな風に、答え方がすり替わることで、論点がずれていくことが頻繁に発生しているのではないかという問題提起がありました。

そもそも発言する際にどんな問いについての答え(意見)を言おうとしているのか、本人が論点をはっきり自覚していることが重要なのだけれども、そこがあいまいなことが多く、その結果どんどん論点がずれていってしまうことが哲学対話では頻繁に起こっているのではないか。だとしたら、少なくとも進行役は、論点を把握し続ける必要があるんじゃないかと言う話をしました。

さらに、哲学対話への参加に慣れてきた方は、「質問に答えること」や「ダラダラと話すのではなく、要点や結論を先にいうこと」などを意識できると、哲学対話の場がさらに深まる可能性が高くなるんじゃないかということも共有しました。

今後の開催予定

最新の開催情報は下記Peatixページに掲載しています。

#対話
#問い
#哲学対話
#メリハリ
#哲学カフェ
#オンライン哲学対話
#開催レポート

サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!