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FXと出会うまで(後編)

風雲急を告げる

前編では、地元で花屋をしていた私におとずれた変化について書きました。その変化が、後に、人生を揺るがすような大きな出来事に発展するとは、当時は知る由もありませんでした。

父からの唐突な提案に、私は非常に困りました。父はたたき上げの創業者であると同時に、根っからの商売人。だから、儲かる仕事へシフトするために、家族一丸となって勝負だ、という意図がじんじん伝わってきました。

それに対して私は、全く畑違いの人生から家業に飛び込んだ…それも、自分を育ててくれた家業や両親への感謝の気持ちがあったから。もともと商売は好きではなかったけれど、自分を育ててくれた花屋なら…という特別の思いで、やってこれました。しかし、飲食店となると、全く自信も経験もないし、もっと言うなら、意欲がわかない。しかし両親は俄然ヤル気。この状況に、早い段階から苦しさを感じていました。なぜなら、これまで、父に従い、父を支える、いわゆる縦の親子関係だったので、商売の根幹にかかわる意思決定において、真正面から異を唱えることなどできなかったからです。

無謀な業態転換かもしれない…直感的に感じていた私は、第三者の力を借りて、論理的に父を負かして(諦めてもらい)、花屋として出直す道に回帰してもらえたらと、思う様になりました。その後、旧知の設計士さんや、税理士に父の計画を打ち明け、父が立ち会う中で、事業立ち上げのための会議を複数回行いました。

その中で、父の構想の不備が浮き彫りになると共に、時間稼ぎをしようとした私に対し、父からは、部外者に相談なんかせず早く腰を上げろとの催促、そして知人からは、父を抑えて、君の案を考え、父を超えて企画立案のために立ち上がれとの叱咤激励…。私は両者の板挟みとなると同時に、ここまで譲るともう私の人生ではない、私にも譲れない領域はあり、それはたとえ相手が親であっても変わらない…そんな思いが大きくなっていきました。

そうして状況が煮詰まっていく中、事態が大きく動くことに。
当時結婚したばかりの嫁が立ち上がったのです。

ここから先は、お家騒動のなまなましい出来事が多数あったためざっくりな説明としますが、我が家の資金繰りの不安、唐突で勝算が不明な業態転換に、嫁と嫁の実家が異を唱え、最終的に私の両親と激しく衝突。修羅場となり、私は嫁を取るか両親を取るかの究極の選択を迫られました。

父の案に反対であるのに、両親に真正面から勇気をもって対峙できなかった私の苦しさを見るに見かねて、嫁は全ての段取りを組み、嫁の実家への移住を勧めました。(当時本当に苦しくて食事も喉を通らなかった私には、とても有難くも、嬉しくもあり、そこに一縷の望みを託すしかないとまで思い詰める様になっていました。)

その結果、私は故郷を離れ、岐阜に移住。実の家族とは絶縁という、人生設計で想像だにしなかったまさかの展開となったのでした。
しばらくは、自分そのものであった家業と、最後まで支え続けると誓っていた両親を同時に失った喪失感で、肉体の一部を失ったような苦しみに見舞われ、涙がとまりませんでした。その精神的ダメージは、無関係ないことをしていても突如として涙があふれ出て嗚咽が始まるほどのもので、しばらく心療内科に通わざるを得ませんでした。

それから数か月、ようやく精神的に落ち着いてきた時、再びFXをやりたいなと思う様になりました。教材を買い、学ぶところまでいった。家業を助け、親を助ける気持ちでのFXは叶わぬ夢となったけど、せめて習ったことを生かして、一生もののスキルとして活用したい…また、お金に対してネガティブな気持ちが生じていたため、お金を征服したい、お金でもう悩みたくない…そういう複雑で不健全ともいえる思いが、ふつふつと沸き上がったのです。

次回以降は、岐阜でのFXライフがどんな形で始まり、どんな変遷を経て今に至ったのか、について書いてみたいと思います。


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