おはよう世界

大学の近くにある皮膚科の先生は、診察が終わるといつもキャンディをくれる。

ちょっと世間話をして、おほほ、と上品に笑った先生はおもむろに机上の赤いタータンチェックの缶を明け、はい、どうぞ、と私に差し出す。

りんご、ぶどう、桃、バナナ。色とりどりのキャンディ。

昔、まだ地元の小児科に通っていたころの思い出と重なった。診察や予防接種が終わったあと、そこの先生はいつも笑顔でべた褒めしてくれ、ご褒美だよ、とノートやおもちゃなどの小さな雑貨をくれたのだ。まさか大学生にもなって、しかも小児科とはべつの病院でもご褒美を貰えるなんて、なんだか不思議な気分だ。

皮膚科の先生は、大人の男性の患者にもキャンディをあげてるのかしら。

それとも、私は「小さな女の子」枠なの?

私はもう大人だ。大学生という身分に守られながらもそれを忘れないようにしているし、大抵の人はそう扱ってくれる。

だからこそ、たまによしよしと子どものように扱われると、ふわっと胸が暖かくなる。

大人になったと思っても、私の中にはまだ、あの時の小さな女の子がいるみたい。甘えたで怖がりで、泣き虫な小さな女の子が。

きっと大人になっても、人の本質は変わらないのだろう。成長するにつれ私たちは賢くなり、余計なものをどんどん自分の外側に身につけてしまった。それは外界から自分を守るための鎧なのだ。幼い頃、何があっても守ってくれた両親や祖父母のかわりに、これからは自分で自分を守り、育てていかなくてはならないから。

「小さな女の子」は、歳を重ねるごとに胸の中の奥深く奥深くへと追いやられ、やがて眠らされることになった。その子が目覚める必要性は、大人になった今ほとんどない。よしよし、と甘やかしてもらった時だけその子はゆっくりと起き上がり、優しい手のひらに目を細める。愛情をもらうことがたまらなく嬉しいのだ。何もしなくても無条件に愛された、あの頃を思い出すから。

大人になった私を愛してくれる人がいることは、奇跡に近いのかもしれない。人々には、私を愛する理由がない。キャンディをもらったり、慈しむような笑顔で話しかけられて心が温まるのは、いわば天真爛漫なあの頃の追体験なのだろう。鎧なんて着込む必要がなかったあの頃の。私はそうやって生きていきたいのかもしれない。未来に希望を持って、明日はきっといい日になるよ、って澄んだ目で言えるような。だってそう生きれば、朝目を開けるのが楽しみになる。着替えて、朝ごはんを食べるのが嬉しくなる。

きっと自分の「コドモ」の部分は捨ててはいけないんだ。それは自分の人生をきらきら輝かせる魔法だから。人に甘やかしてもらうたびに、私はまだここにいるよ、って、都合よくひょっこり顔を出してくる憎めないヤツ。

愛情をたっぷりもらって成長したその子は、きっと私の毎日に彩を添えてくれる。その分、私もたくさんの愛とときめきを返していけたらいいな。私をここまで育ててくれた世界に。