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乗り越えられない壁は、無理に乗り越えなくてもいいんだよ。

おはようございます☺️!

 今日は成人の日ですね。
新成人になったみなさん、おめでとうございます!!

 貴重な青春時代をコロナ禍で過ごした上に、気がついたら成人になった若者たちを思うと、なんだか切なくなるおばちゃんです。(しかも、成人式と受験がダブルでやってくる子もいるのかな?)

だから羽目を外しすぎない程度に、はっちゃけてほしいなと思っています。(でも風邪ひかないでね😢)

 そんなおばちゃんから今日は少しでも力になるようなメッセージを届けられたらいいなと思っています。



 いきなりですが
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
とよく聞くフレーズ。実は誤解らしいです。

 無宗教の私が下手なことをお伝えするわけにはいかないので、気になった方はご自身で調べてみてください。(ちゃんとした文献が見つけられなかったもので……)(ついでに、マンボウ最弱伝説も見てあげて! 少なくともマンボウさん、私より強いから!)

 しかし誤解といえども「神様は乗り越えられる試練しか与えない」と自分に言い聞かせるだけならまだしも、他人から言われるのはあまり気持ちのいい言葉ではないですよね。

そもそも私は、目の前にどんな壁が立ちふさがろうとも、必ずしも乗り越える必要はないと常々思っています。もちろん乗り越えられたなら、それはきっととてもいい経験になるとも思います。

でも今の世の中、自分の努力だけじゃどうにもならないこともたくさんありますよね。(ここ数年は特に痛感したことだと思います。)

 これまた中学生の頃からの私の持論なのですが(当時の私は今よりも、かなり達観していました。というより、この世の全てに諦観していたのかもしれません…Byさとり世代)

目の前の壁を乗り越えるために、一人でなんとかしようとしなくてもいいのではないか、と思います。無理して乗り越えることに、こだわらなくてもいいのではないか、とも。


 例えば、目の前に大きな壁が立ちふさがっているとします。(この場合は、比喩として捉えていただくとわかりやすいかと。)

もしも、私がそういう直面に立たされたら、とりあえず、棒高跳びでトライしてみようと思います。

しかし、私にはそこまでの身体能力がないため、次は何らかの鈍器で壁をぶっ壊せないか(もしくは重機で破壊することを試みよう)と考えます。

でもやっぱり私は非力で、重機を操縦する技能もないため、今度は壁の下の土を掘り起こしてみようと思います。

それはそれで、時間がかかり、根気もいるため、疲れて果てた私は誰か人を呼び、助けを求めます

もしも運よく身体能力の高い人に出会えたら、その方に先に壁に登ってもらい、ロープを垂らしてもらって、引っ張りあげてもらおうと思います。

思ったより私が重すぎて引っ張れないとなったら、もっとたくさんの人を呼んできて肩車してもらったり、人間ピラミッドを作ったりして、てっぺんを目指します

しかし、下を支える方の負担を考えて早々に諦め、今度はみんなでヘリウムガスの風船をかき集める、もしくは人が乗れるバルーンを使い、壁を乗り越えられたら、私としてはベストかなと思ってます。(高所恐怖症の私がどこまで耐えられるかは知らんけどな! でもちょっとは空飛んでみたいんや!)

もしくは、昔の銭湯っぽく壁の向こう側にドローンを飛ばすか、伝書鳩飛ばすか、何なりして向こう側からの助けを求めてもいいかもしれません。

それでも、もうめんどくさいし、どうでもいいやって思ったら、壁にもたれて、壁が朽ち果てるか、自分が朽ち果てるかの究極の選択もありかな、と思います。

と、まあこんな風に

「目の前にどんなに高い壁が立ちふさがっていても“物や人を頼って乗り越えてはならない”なんてルールはどこにもない」

のです。

そして、乗り越えるのがめんどくさいなら、さっさと放棄して、別のルートを探すのもありです。

もしかしたらどこかに抜け道があるかもしれませんし、壁を乗り越えなくても自分に合った世界が広がっているかもしれません。


 とはいえ、これも所詮中学生だった私による幼稚で荒唐無稽な考えでしかありません。現実的ではないと言われたら、確かにその通りです。

 その一方で、私には忘れられない言葉があります。

もう十年近く前のことですが、私は中学生の頃から障がい児教育に興味があり、大学でもそういった分野を特に勉強してきました。

その時に出会った、障がい児教育の専門家の教授が、こういったお話をしていました。(一言一句、同じわけではないですが……)


できないことを無理にできるようにさせる必要はない。例えば、お金の計算が出来なくて買い物が出来ないのであれば、カードを使えばいい。

そういった道具を使ってでも“自分にもできた!”という経験をさせた方がずっといい。

それを聞いた当時の私は「なるほど~!」と、しみじみ感じ入りました。

“買い物=現金で支払わなければならない”というルールはないですもんね。今や現金を使う人の方が減ってきているくらいです。

確かに、現金の方が「お金を支払った!」という感覚が身に付きやすいし、カードのように使いすぎるリスクも少ないのもまた事実です。

それでも、生きていくためには計算できるかどうかより、自分で買い物できるかどうかの方がずっと大事です。

 人それぞれ自分にベストな手段や方法で、できることを増やす、それは困り事という“社会的障壁”を乗り越える一歩につながるんじゃないかな? と私は思います。

そういった考えが根底にあるからでしょう。


 今の私はぶっちゃけると、突発的に歩けなくなるような、超絶めんどくさい持病を抱えています。両親より先に、杖デビューをすることになったのはさすがに哀しかったですが、私としては杖をついてでも歩けるなら、杖を使うことを選びます。(最近はそれでも歩くのが厳しくなりつつあるのですが……)

そうやって、自助具を利用することに最初は抵抗があったとしても、恥ずかしいことだとは思いません。歩き方がぎこちないところをまじまじと見られるのは恥ずかしいと感じることもありますが、たとえ病気や障害があろうとも、できるかぎり堂々と生きていきたいです。


その分、周りの方々に迷惑をかけないように心がけ、感謝の気持ちだけは忘れないようにしたい、とも思っています。(これは病気や障害に関係なく当たり前のことですが、私の場合は、突発的に声が出なくなることもあるので、声が出る時は言葉できちんとお礼を伝えたいです。それでも無理ならジェスチャーや文章で伝えます。)


また体調が安定している時は、率先して人の役に立てるような行動を心がけています。(今世は諦めたので、今から徳を積んで、来世の自分はせめて幸せになれたらいいな、という小賢しい思いもあります(笑))

 もし、杖をついてることを否定的に捉えられても、自分が空しく感じることがあっても

大半の人たちがコンタクトつけてるやん。
眼鏡かけてるやん。


と、心の中で唱えます。私にとっては、それがたまたま杖🪄だっただけなんだって。
(ま、私もコンタクトと眼鏡を使ってるけどね!)

 そして、自分自身が福祉の仕事に従事してきたからこそ、あらゆる福祉サービスを利用することに申し訳なさや、歯がゆさ、くやしさ、情けなさを感じてしまうことも多々あります。(福祉の仕事の大変さは私も身を持って知っていますし、私も誰かのために働くことが生きていく心の支えだったから……


しかし今は、将来的に両親に何かあった時に、どういう福祉や介護サービスがあって、父や母にはそれぞれどんな支援が合うかな? ということを知るために、私が先回りして体験してるんだ、と考えるようになりました。


きっとこの身体でも、この身体だからこそ、誰かの役に立つことや出来ることがあるはずだと思うから……


冒頭で述べた

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」

という言葉にも

“乗り越えられないことは試練ではないから逃げてもいい”といった捉え方や

家族との死別など“どうしても避けられない試練に陥った時に頼るために神様がいる”という意味が含まれているようです。

もしかしたら、神様というのは意外と身近にいる誰かのことなのかもしれませんね。

だからやっぱり私は

乗り越えられない壁は無理に乗り越えんでもええやん!

それでも乗り越えたかったら、誰かの力や道具を頼ったってええんやで!


と、今でも思っています。

 コロナ禍という、あらゆる物事が制限された状況の中で貴重な十代を過ごした新成人たちだからこそ、少し遠回りしてみるのもいいし、孤立しないようにどんどん人生の先輩たちに頼ってもいいし、「理不尽だな」と感じることがあれば(誹謗中傷には気をつけて)声を上げたらいいと私は思います。

そして親切にしてもらってありがたかったことを次の世代に伝えていけたらいいですね。(仲良しのお姉さんからの受け売りなのですが私も次世代に優しくなります!



 さあて!
ここでちょっとだけ謎解き問題を。

あなたともう一人の人間が馬に乗り、どちらが遅くゴールできるかの競争をしています。しかし、お互いに負けたくないので、なかなかゴールすることができません。どうしたらいいでしょうか?


この記事を読んで、柔軟な頭になった方ならきっと解けるはず! 新成人なら楽勝! だと思います。

もしわかった方は、コメントに答えを書かずに「わかった!」と伝えてくだされば、お礼に伺います。

最後に改めまして

新成人のみなさんおめでとうございます!

どうか、この先の未来が明るいものになりますように。

と、お節介なおばちゃんは陰ながら応援しています。

それでは、みなさんを盛大にモヤモヤさせたまま、本日の私はドロン💨します。
(令和にドロン💨は通じないのかな……)



ごくまれに現れる一休おばさんより
(答えはいつかまたどこかで……?)

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