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私小説 『月の耳』 #シロクマ文芸部

「月の耳さん、今夜もお話聞いてくれる?」

 窓辺に肘をつき、薄い雲に隠れかけている月に向かって問いかける。もちろん返事はないけど、私は気にせず話を続ける。

「あのね今日、初めて電動車椅子でスーパーに行ったの」

今夜は風の流れが緩やかなのか、月はなかなか全ての顔を見せてくれない。


「車椅子に乗って買い物すると視線が低くなるでしょ? だから今までだったら気づかなかった下の方の陳列が見えるようになって、珍しい商品が発見できたんだよ」

雲の隙間から月の目がじっと私を見据える。


「逆にね、これまで届いてた高さの棚の商品が取れなくて、それに気づいた人が代わりにスッと取ってくれてすごくうれしかったな」

それは良かったな、という風に今度は月の口許を覗かせる。


「その分、値段がわからなくて、買いすぎてないかヒヤヒヤもしたんだけど……」

偶然だろうけど、月が鼻で笑っているように見えた。笑い事じゃないんだけど!


「どの人も、とっても優しくってね、道を譲ってくれて『ありがとうございます』って伝えたら『とんでもないです!』って言われたの。たぶんあの人、誰かの代わりに買い物してたヘルパーさんだと思う。『私としたことが気づかないなんて!』って表情してたから。こちらこそ『いつもお世話になってます』って思わず言いそうになっちゃった。勝手にそう思っただけなのに不思議だよね」

ゆっくりと雲が流れていき、真ん丸な月が顔を出す。


「だから、もっと上手に電動車椅子に乗れるようにがんばろうって思った。そしていつか私も誰かを助けられるような人になる! 具体的に何をしたらいいのかも、まだわからないけど……こんなことくらいじゃ、へこたれないよ! ねえ私、強くなったでしょ?」


ぐずぐずな私の宣言は、きっと月にも届いたはずだ。

だって月の耳は世界中の人たちの言葉を受け止められるほど地獄耳……ううん、うさぎのように長くて、どんなメッセージもしっかりキャッチできる天使の耳を持っているんだから。


 月に話しかけたくなる夜もあるよね。

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