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それでも、私は「パパゲーノ効果」を信じたい。

※あまり体調が優れない時には、オススメできない内容のため、そういった方は無理に読まない方がいいかと思われます。





 ふと、もう生きているのがしんどいな、と思うことはありませんか?

ろうそくの火をふっと消すみたいに、自分自身もふっと消えられたら楽なのになって。


 私はぶっちゃけ、よくあります。

元々の性格特性と、人生でつまずいた経験が多く、そのことがコンプレックスで人と深い付き合いができず、自分のことを知られそうになると、すぐ消えたくなるか、私のことを誰も知らない世界にふらっと行きたくなります。(リセット症候群なんですよね……)


 今は持病のため、気晴らしにふらっと外に出かけることすら、ままなくなってしまいました。(毎日数時間単位で身体のふるえが止まらず、ノイローゼになりかけてます……)

でもその弱みを見せられる相手も、吐き出せる場所もなくて、夜な夜な一人でこっそり声を押し殺して、歯を食い縛って泣くことしかできません。


 人と比べて落ち込むことは少しずつ減ってきたとはいえ、年齢的に周りはどんどん結婚・出産、もしくは仕事で中核を担う存在になりつつある中、私は仕事どころか、一人で自立して生きていくことすら厳しくなっている現状に、もはやこんな私が生きてる意味なんてある? と本気で考えるほど、常にギリギリのラインに立っています。


 ここ数年の息苦しい情勢や、有名人の自死が相次ぎ、情緒が不安定になった方もたくさんいらっしゃるかと思います。

そういった時によく問題視される

ウェルテル効果

マスメディアの自殺報道に影響されて、自殺が増える事象。

Wikipedia『ウェルテル効果』

は、ご存知の方も多いかと思います。

 でも実は、それほど知られていないのですが、逆に

パパゲーノ効果

マスメディアが人生相談や自殺を思い留まり成功した例を挙げることで、大衆の自殺を抑制する効果。

Wikipedia『パパゲーノ効果』

という現象もあるんです。

ただし、パパゲーノ効果はウェルテル効果よりは効果が劣るというデメリットもあり、大々的には報道されることは、あまりありません。(パパゲーノ効果がウェルテル効果になり得る恐れもあるからでしょう。)

しかし私は、パパゲーノ効果を知った時に

もしかしたら私は、知らず知らずのうちにパパゲーノ効果で、ここまで生きてきたのかも?

と感じたできごとを、いくつか思い出しました。


 私は中学校に入学して二週間で学校に行けなくなってしまったんですが(新しい環境でゼロからスタートしようと意気込んでいたのですが、過去の自分について知られることに常に怯えながら学校生活を送るのに早々に疲れてしまったんです……)

その頃、たまたま中学生新聞というものを購読していて、その中に「いじめ伝言板」というコーナーがありました。

そこに投稿された、いじめられて苦しんでいる子や学校に行くのがしんどい子、友達がいじめにあっていたり、不登校になっていたりして悩んでいる子など、自分の境遇と重なるような相談を見つけては、私にできる限りの言葉を尽くして励ましや、アドバイスになるようなことを、メモ紙にバーッと書き殴って、メールで返事を送っていました。(悩み事の内容によって、ペンネームを数種類使い分けてましたが、メアドは同じなので編集者にはバレバレだったんだろうな、と思うと、今となっては恥ずかしいです🙈🙈)

ウィークリー新聞だったんですが、月に二回掲載されたこともあり、今思うと「準レギュラーやないかい!」と突っ込みたくなるほど。だんだんと送った二週間後に掲載されることもわかるようになり「さてそろそろ載せられるかな?」という感覚になってました。(ハガキ職人ならぬ、メール職人

 実際に悩んでいた子たちが、私の瑣末さまつな言葉で救われていたのかどうかは、紙面上のやりとりだけだったのでわかりません。

それよりも実は、私自身の方がずっと救われてたんだと思います。

 顔も名前も知らない、ただ同じ空の下で、同じ年頃で、似たような悩みを抱えている子たちの悩みを聞き、寄り添い、その子にとって少しでも力になるような言葉を送ることで、自分の命の灯火を消えないように、なんとか保っていた気がします。

お金がもらえるわけでも、直接感謝されるわけでもないのに、そこまで労力が注げるというのは、やっぱり私にしかわからない、何かしらの見返りのようなものを感じていたんだと思います。(単に暇を持て余していたというのも大いにありますが(笑))

 その後、高校の国語の授業で「みんなで新聞に投稿してみよう!」となった時に、全国紙にも私の投稿が掲載されたのですが、文章の手直しと確認の電話(FAXだったかもしれません)が届き、その後3000円分の図書カードをいただけて驚きました。(中学時代に投稿記事を書く能力をこっそり鍛えていたので、私自身は掲載されたことには何の感慨もなかったのですが、母の方がとても喜んでいました。)

「大人の新聞ってすごい!」って純粋にびっくりしただけで(当時のハガキ代は50円だったので、60倍分返してもらえたと考えたら、そりゃ驚きますよね)「今まで匿名でしかメール送らなかったなんて惜しいことしたな」といったことを一切感じなかったのも、お金にはかえられない何かもっと大切なものを私は得ていたのだと思います。

 そういったことは中学生じゃなくなってからも、よくありました。

ネット上で悩み事を相談するサイトを見つけては、生きづらくて苦しい気持ちを共有していました。掲示板でやりとりしたり、長文のメール送り合ったり、文通したり、長電話したり……

顔が見えないからこそ、
お互いに本音を伝え合えたんだと思います。

そういった場で知り合った同性の友達と実際に会ってみたこともあって、初めて会ったのに昔からの友達みたいに、もしかしたらそれ以上にお互いの気持ちを分かり合えて、とても驚きました。

 今でも、生きていることが苦しくなると、それぞれの背景は違っても同じように死にたい気持ちを抱えた人たちが集う匿名掲示板を覗きに行き、出来る限りたくさんの人たちを励ましに行きます。

そうするうちに自分の希死念慮が、スーッと和らいでいくことに気づいたからです。

端から見たら、ただのお節介な偽善者の自己満足なのかもしれません。(受け取り方は人それぞれだと思うので。)

ただ極力アドバイスはせず

今日も生きてて💮!
○○できたなんて、すごい!
えらいね! がんばったね!

といった、ありのままのその人の良さを伝えるようにしています。(もしかしたら、私にとっては、人を褒めることが“生きがい”なのかもしれません。)

 私自身の悩みをそういった掲示板でも打ち明けることはほとんどありませんが、私にとっては誰かを励ます行動こそが、自分のことを救う唯一の方法なんだと、今は思っています。

 それでも、どうしようもなくしんどくて、抱えきれないほどの希死衝動に襲われた時には、自死遺族のメッセージをひたすら読み漁り、泣きながら寝ます。(もしくは、あまりおすすめは出来ませんが、特殊清掃について調べたりもします。)

 この世に誰にも迷惑をかけることもなく、楽に綺麗に死ぬ方法は、ほぼないと言われています。特に自死の場合は。

私の場合は、たとえどんなに自分が苦しくとも、家族を含めて誰かに迷惑をかけるのが何よりも嫌です。(それがある程度のストッパーにもなっているのでしょう。)

だからこそ、自分の死後がどのようになるのかを具体的に知ることが、私にとっては突発的な衝動を抑える冷静さを取り戻すために必要なんだと思います。

 その方法が万人に適しているとは言えませんが……私にとっては、そういった行動がこれからを生きていくためのささやかなパパゲーノ効果なのかなあ、と今は思うのです。



 私はリアルタイムでは知りませんが

このような本が流行った時期もあったそうですね。(私自身も参考として読んでみたいけど、家族に見つかったら取り上げられそうでまだ読んだことはありません。)

 自死を本気で考えたことのない人には、ギョッとするようなタイトルだと思いますが、レビューを見ると、お守りとして手元に置いている方もいるようです。

「死のうと思えば、いつでもできる」

からこそ

「別にそれは今じゃなくてもいい」

と思えるようになる方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。


 また私は、とてもイヤミスが好きなのですが、それはたとえフィクションの世界と言えども、この世はそれほど甘くないことを痛感できるからです。

なぜ後味の悪い作品をわざわざ好んで読むのか理解されないこともありますが、私にとっては大団円のような、みんなが幸せな終わり方はもはやファンタジーのようで、現実味が感じられないんですよね。

フィクションだからこそ、ハッピーエンドを楽しめばいいのに、とも言われますが、やっぱり惹かれるのは断然アンハッピーエンドですね……(もちろん常にイヤミスを読んでいるわけではなく、希望を感じられるような作品を読むこともあるので、そういった作品を全否定するつもりもありません。)

 ただ映画や漫画の場合は、極力ハートフルな作品を好みます。(誰かが苦しんでる表情などはフィクションと言えども、あまり見たくないので……この辺はややHSPな面が影響してるんだと思います。)

 それは、音楽に関してもそうです。

 ふと流れてきた斉藤和義さんがカバーされた『天使の遺言』(作詞:森雪之丞 作曲:早川義夫)の歌詞に引き込まれてくり返し聴いてみたり、平井堅さんの『ノンフィクション』に共感してみたり、宇多田ヒカルさんの『花束を君に』に思いを馳せてみたり……

tacicaさんの『命の更新』

大柴広己さんの『ドナーソング』

なども好きです。

 その曲が作られた背景だったり、死生観を感じられる作品に妙に惹かれてしまうこともあります。でも不思議と、そういった曲で気持ちが落ち着くこともあるんですよね。



 生きてるからこそ、苦しくて、悲しくて、もどかしくて、しんどくて、逃げたくなるけれど、簡単に死ねる方法も、死んだからといって解決できることや楽になれる保証もありません。

 それでも、あえて自分と同じような悩みを抱えている人たちとしんどさを共有したり、互いになぐさめ合ったり、相手を思いやったり、話を聞いたり、本音を打ち明けてみたり、時には死生観を感じるものに触れてみたりすることが、希死を乗りきる方法になることもあるのだと、私は信じています。

 なんだか重た~い話になっちゃってすみません……

 でも「死にたい」気持ちを吐き出すことや、悲しみや怒りの感情を爆発することは、何も悪いことではないと私は思います。

むしろ我慢せず、どんどん吐き出したらいいと思います。それもきっと心のデトックスにつながると思うので。

 病気の場合は、難しいかもしれませんが、最後の最期に自分を救えるのは、きっと自分自身しかいません。

だからこそ、もしもの時のために

自分を助ける“パパゲーノ効果”という、
心のお守りをいくつか持っておくといい

と思います。

もし、見つからないのであれば、
一緒に探してみましょう!!

それもまた生きる道に
つながるかもしれませんから。


少なくとも、私は

命の灯火が消えないように
命の灯火を消したくならないように

いつでも、そっと火を分けられるように

ここにいます。

だってそれが、私の生き方だから。

(もう少しだけがんばってみるよ、)


煩悩の多い一休さんより

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