映画から学ぶ人生。 #映画にまつわる思い出
あまりよく映画を観る方でも、詳しいわけでもないけれど、そんな私にも好きな映画がいくつかあります。
そこには不思議とどこか共通点がある気がするんですよねぇ…🤔(少なくとも何度も観てしまうほどの魅力が詰まってるとは思う。)
今回はそんな映画をご紹介していこうかと!
(映画通からしたらベタだと思われるだろうけど!)
準備はいいかい?
(ネタバレしてても怒らないって約束してくれる🥺?)
んじゃ、レッツラゴー🚙💨
『50回目のファースト・キス』
思春期に貪るほど恋愛小節を読んできたからか、あまり恋愛ものには興味を示さなくなった私も好きだと感じた恋愛映画。
プレイボーイだったヘンリーが、一日経つと記憶がなくなるルーシーと恋に落ちることで始まる物語。
二人が愛を育む姿ももちろん素敵だけど、記憶が止まった日を再現し続けるルーシーの父と弟の気遣いと苦悩が観てるこちら側にも伝わってきて、どうしようもなく胸が苦しくなります。(ルーシーの記憶が止まった日の新聞を用意していたり、ルーシーが壁に描いた絵を毎日白く塗り直したり、ふとしたきっかけで真実を知ってルーシーがパニックに陥った時の対処法もしっかり備えていたり……)
今の私は介護される側となり当事者として、いつまで苦しめばいいのかわからないことに絶望することも多々あります。(出口の見えないトンネルをずっと彷徨い続けているかのような……)
でもそれと同じくらい、支える側も自分たちだけではどうすることもできない先の見えない果てしなさに、心が折れそうになることがきっと何度もあったと思うんですよね。
(特に家族だとそう簡単には見捨てられないだろうし、介護する側が親だと自分が老いていなくなった将来に不安を感じたことだってあったはず……)
娘や姉を傷つけないために同じ日をくり返し続けることに限界を感じた時にふと現れたヘンリーはある意味、ちょっとした救世主だったんじゃないかな、と私は感じました。
そんな中でルーシーがヘンリーから離れようと決断したところにも、とても共感します。
好きだからこそ、自分が好きな人の重荷になることがつらい。それが相手の夢の邪魔になるなら、なおのこと。
どれだけ相手が自分のために尽くす覚悟でいてくれても、やっぱり申し訳ない気持ちってそう簡単には拭えないんですよ。
たとえ家族でも、家族になろうと真剣に考えてくれている人だとしても。
むしろ家族だから、本当に好きな人だから、自分を忘れて幸せになってほしい。そんな気持ちは私自身も常に抱えています。
それでもなんとか再会を果たしたヘンリーとルーシー。
たとえルーシーにとっては毎日がファーストキスでも、積み重ねた時間はちゃんとあると実感できるラストがとにかく大好きです。
最初は、チャラくていけ好かねぇ男だなあと思っていたヘンリーの一途さに「なんだよ、めちゃくちゃ優しくていいやつじゃん!」なんて思ったほど。(上から目線でごめん🙏💦)
もしかしたら、ヘンリーにとって真のファースト・ラブだったのかも? なあんて勝手に思っています。
ちょっとポンコツな弟くんも、またいい味を出していてナイスです👍️✨
※ちなみに、邦画でリメイクされた作品は別物だと思っています。一応、観たけどね……
また個人的には、ルーシーを乙葉さんが吹き替えているバージョンが好きです。(ポケモン世代ど真ん中なので、松本梨香さんも好きな声優さんではあるのですが……!)
『シザーハンズ』
こちらも言わずと知れた名作ですよね。
私がまず素敵だな~と思ったのは、化粧品の訪問販売をしていて出会った、シザーハンズのエドワードのことを恐れることなく、すんなりと受け入れ自宅に招き、エドワードが自分のハサミで怪我した部分を手当てしてあげた上に興味本位でウォーターベッドをつついて水浸しになっても「あらまあ大変!」程度の反応をするペグ(エドワードが恋する女性キムのお母様)の心の広さですね。(おかんの肝っ玉っぷりって万国共通なんだろうか……ミルクボーイさん、ネタにして教えてくれへん🥺?)
そして、エドワードの身体的特徴でもあるハサミを使って出来ることを見つけて仕事(庭師や理容師)にさせていくところです。
この作品の素晴らしさって私が産まれる前、要するに30年以上前に、既にノーマライゼーションの世界がしっかりと描かれているんですよ!(しかも、それがメインの話ではなく、あくまでも恋愛ファンタジーというカテゴリーの中でさらっと盛り込んでいる…!)
ノーマライゼーションを平たく言うと、
こうなります。
(先のリンクと比べた時点で、厚生労働省のページが万人に理解できるように書かれていないことが窺えますね……)
それは、私自身が障がい者だからだけでなく病気になる以前から障がい児に関する勉強や仕事をしてきたのもあって、その部分にとても感銘を受けました。
幼少期から道徳の授業などで「人を見た目で判断してはいけない」と散々学んでいても、実際にエドワードと遭遇したら、多少怯んでしまいそうだけど、全く気にせずグイグイいくペグ姐さん……良い意味で強心臓すぎて、あそこの化粧品販売員になって弟子入りしたいと思ったほど……(あれは、セールス業で培った能力なのか🤔?)
エドワードは障がい者というわけではありませんが、先に述べたように厚生労働省もノーマライゼーションを謳ってはいるものの、まだまだ追いついていない現状を、30年以上も前に! 取り入れて! 映画にして! 表現されているところが純粋にすごい! と思いました。
(一般求人の障がい者枠に身体障がい者に限るって書かれてることが、ざらにあるんですよ……逆に、精神障がい者に限るって文面は一切見たことがない。体力的な職種や求められる技能によるかもしれないけれど、健常者だっていつ病気になるか、休むことになるかなんて分からないのに、応募の時点で排除するのはおかしくないかい? せめて、その人のスキルを見て判断しても良くないかい?)(合理的配慮が打ち出された時は、やっと一歩前進したと思ったんだけどなあ…まだ牛歩だねぇ……)
とまあ、少々愚痴を挟みましたが(シザーハンズだけにね! いやそこはカットしようで!)、時と場合によっては人を傷つける刃物になるようなエドワードのハサミも使いようによっては、ちゃんと活かせることがわかると、近所の人たちもエドワード自身をすんなりと受け入れていくようになるんですよね。(これぞ、まさにノーマライゼーション!)
だからこそ後半にかけて、それまで寄って集って褒めそやしていた近所の人々が手のひら返しをして、エドワードを追いやる姿がとにかく哀しく、でもそれがリアルでもあって苦しくて、ボロボロ泣きました。(なんでだよ~😭エドワード働きっぷりにみんな喜んでたじゃんかよ~😭)
冬になって降り積もる雪のような恋心が、春になる頃には儚くも消えてしまった愛を描いた作品だと私は思いました。
悲恋ではあるけれど、キムにとっても一生忘れられない恋になったことは確かだと思っています。
『アメリ』
これも有名なフランス映画ですね。(観るタイミングによっては、うとうとしちゃうから気を付けて…!)
複雑な家庭で育ち、人との距離感を掴むのが苦手なのか、ちょっと変わった性格の持ち主の女性アメリ。(でもしっかり接客業もしてるから、それなりにコミュニケーション能力あると思うんだけどな🤔)
アメリの好きなところは、妄想力が豊かで、ひょんなことをきっかけに、人を幸せにするような悪戯をこっそり仕掛けるところですね🤭
たまに犯罪まがいな行為もあって「わ~! アメリ、そんなことまでやっちゃうの?!」と驚きながらも、アメリの観察眼、計画性、行動力に驚かされます。
ストーカーちっくで怖く感じられる方もいるかもしれませんが、誰かに認められたくて(褒められたくて)悪戯で人を幸せにしているわけでなく、人を幸せにすることで自分の心を満たしている、アメリの奥ゆかしいところが私は好きです。
独りよがり、自己満足でも確かにあるんですが、アメリの日常に『自分が幸せになる』という考えは毛頭なくて、自分が導いた通りに誰かが幸せになるところを陰からこっそり観察してムフフ😏(してやったりニヤリ😏)ってなるのがアメリにとっての幸せという、その不器用さがたまらなく愛おしいんです。
やってることは大胆不敵なのに、アメリ自身の幸せを感じる瞬間って本当にささやかなんですよ。(それこそ、クレームブリュレをスプーンで割るような。)
そういった小さな幸せの欠片を集められるところがアメリの魅力だと私は思いました。
また私も、アメリと同じで、人が幸せそうな姿を眺めている方が好きなタイプです。好きな人同士が幸せそうなら、よりうれしく感じちゃう!
私の存在に気づくことなく、楽しそうにしている様子を遠くで見守るくらいが、私にはちょうどいいというか……落ち着くんですよね。(私は、自分が幸せの中にいるのが怖く感じちゃうんです。いつかその幸せが壊れてしまうなら、最初から幸せなんて知らない方がいいやって、思春期くらいで悟ってしまったもので…)
でも! だからこそ、すれ違いがありながらもラストで好きな人のバイクの後ろに乗って、心から笑っているアメリが最っ高に可愛くて、最っ高に好きです!
一見、矛盾しているように感じるかもしれませんが、それこそアメリが幸せそうな姿を画面越しで観られることこそが、私にとっての幸せなんですよね。
なんとなくだけど、『アメリ』が好きな人はこちらの作品も好きなんじゃないかな? と思うので、一緒に紹介しておきますね🤗
『素敵なウソの恋まじない』
恋した女性のためにカメに囲まれて生活しているホッピーさんの生活が印象的で、タイトル思い出せなかったんですが、『亀 恋 洋画』ですぐに見つけ出すGoogle先生天晴れ!
『ものすごくうるさくて、
ありえないほど近い』
こちらも、あらゆる賞を受賞されたほど有名な作品ですが、どうにもこうにもタイトルが覚えられない!(二、三回は観てるはずなのになぜじゃ……)
このオスカーという少年も、アスペルガー症候群であり、苦手なことを抱えています。(音や人混みが特にしんどそうですね😢)
その特性を誰よりも理解している父親トーマスが、ニューヨークに幻の第6区があると、オスカーの興味を引き付け「調査探検」として人との関わりを持てるように促していたのですが……
トーマスは9.11に巻き込まれて、亡くなってしまいます。
大好きな父親がいなくなり、探検への熱意も失っていたオスカーですが、偶然にもクローゼットで謎の鍵を見つけ、鍵が入っていた封筒に書かれた「ブラック」という苗字の人物を探すため、調査探検を再開します。
調査を進めることで出会ったたくさんのブラックさん、そして発声障害を抱える、祖母の家の間借り人である年老いた男性。
その男性のおかげで苦手だった地下鉄に乗れるようになったオスカーだけど、歩くスピードや体力面で思うように調査が進まずつい衝突してしまうことも……(そこにもまた優しくも切ない真実が隠されていています。)
そして鍵の真相も予想とは違う結果とわかり、自暴自棄に陥るオスカー。でもそのオスカーを、実は誰よりもいちばん近くでずっと見守ってくれていた人がいたことにオスカーは気づきます。
一人で調査探検をするオスカーにハラハラして生きた心地がしなかっただろうけど、あえて行動を共にせず、陰ながらフォローすることに徹していたお母さん
不慮の事故で亡くなってしまったけれど、オスカーならきっと見つけられると信じて遺したお父さんからのメッセージに涙が止まらなくなりました。
困り事を抱えながらも最後までやり遂げられると我が子を信じる、両親の深い愛と強さに何度見ても胸を打たれます。
この映画を初めて観た時は、私もこんな親になりたい、こんな支援者になりたいと思っていました。
でも病気になってから観ると、今いる両親からの愛をしっかりと受け止めて感謝しようと思うようになりました。(とはいえ、私もだいぶこじらせた性格なため、なかなか素直に伝えられずにいるのですが……)
照れくさくて直接言えないけど
いつもありがとう!!!
(いつも迷惑ばかりかけてごめんね🙇)
これらの映画の共通点は……
生きることに何かしら苦しみを抱えながらも、周りの人たちに支えられたり、助けてもらったりしつつ、自分自身で勇気を出して行動していくところでしょうか🤔?
私自身も、これまでも、今も平坦な道のりの人生ではありませんでした。
今でこそ、自分でいろんな支援先を見つけていけるようになりましたが、それでも支援者にさえ遠慮したり、家族と意見がぶつかったりすることも未だによくあります。
比べられるものじゃないからわからないけれど、人生の早い段階でつまずくこと、挫折することを経験し、他人には優しくできるのに自分に対してだけはやたら厳しくて、負けず嫌いで、完璧主義で、自分で自分を追い込み、失敗しては自分を責めて傷つけ、一人で悩みを抱え込み、誰かに助けを求める自信も勇気もありませんでした。
そんな自分の性格、空白だらけの過去や病気を誰にも気づかれたくなくて、自分でも認めたくなくて、身近な人の前ですら、つらさやしんどさをほとんど見せず、おちゃらけピエロの鎧を身につけて生きてきました。(そのため、人と深い関わりを持つことが今でも苦手で、自分のことを知られそうになる度にふら~っと逃げ出し、イチからやり直そうとするリセット症候群の自覚もあります。)
過去は無理でも、これからを平坦に生きたらいいのは自分でも重々わかっているのに、人の倍勉強しても、どれだけ武装しても、自分の全てに自信が持てなくて、人生のでこぼこ道の穴を埋めるべく、たくさんの資格を取り病気になってからもその資格を活かして働ける場を求めて応募して落ちては、自分を責め続けてきました……
そんな私を見て
体が働くなって叫んでいる時は
もう少し療養に専念しなさい。
自分の体力に見合う職場を見つけて、
焦らず少しずつステップアップ
していったらいいでしょう?
誰も病気で働いてないあなたを
責める人はいないんだから、
もう少し力を抜いて病気を悪化させず、
病気と共存しながら生きていく道を
見つけていきなさい。
働くことが人生の全てじゃないのだから、
自分のことばかり考えずに
家族に尽くして生きたらいいでしょう?
と、いい年をして母から何度も説教を食らっています……
でも、どれだけ頭で理解しているつもりでも、心が納得できなくて……(それはある意味、自分ならそのくらいできるでしょ! という無駄なプライドがあるからだということにも気づいてます。)
私は病気でも働きたいし
家事だってできる限りしたいし
誰かを支える側の人になりたい。
自分のためじゃなく
誰かのために生きたい。
もっともっと勉強して
バリバリ働いてキャリアアップしたい。
という社会貢献したい気持ちが人一倍強いです。
働くことが人生の全てじゃないにしろ、微々たるものでもいいから誰かの力になれるようなことをして、自分に向けがちな負の感情を自分以外の人に尽くすことで一時的にでも忘れられる時間を増やして、誰かのために生きられるように一秒でも早くなりたいんです。
そのために、治る可能性の低い病気を抱えてでも、進行したとて死ぬわけではないのなら、家でじっとしているより一歩でも、半歩でも私は前に進みたいんです。
たとえ後退することがあったとしても。
何より、今の私の体じゃ両親に何かあっても、支えることさえできない自分がとにかく歯がゆくて、悔しくて、苦しいんです。
家族は
生きてるだけでいい。
今の体で出来ることをやればいい。
と言ってくれますが、私には生きているだけでいいほどの価値が自分にあるとは、到底思えません。
それでも、自分の人生や存在を否定することは、これまで懸命に私を育ててくれた両親の人生を否定することにもなるから、そのことを家族に言いたくないし、そう思ってしまっていることを感じさせたくないんです。
だから、家族といると申し訳なくて、生きていることがつらくて、時折本気で消えたくなります。
本来なら年老いていく両親のために、金銭面も生活面も私が支える側になろうと思っていたのに、それどころか自分のADL(日常生活動作)すらままならくて、むしろ私の分までさらに家族に負担をかけてばかり……
私が必死で仕事や支援先を探すのは、いずれ両親がいなくなっても生きていけるように、両親が元気なうちに生活基盤を整えておきたいという前向きな思いがあるからです。(両親は今からそんなに焦らんでも……と言うけれど、この世の中、いつ誰がどうなるかなんわからないなら、今から準備しておくに越したことはないはずでしょう?)(私にとって「8050問題」はもはや他人事じゃないんです。)
たとえ私を支えてくれるような稀有な人が現れたとしても私はきっと自分から離れる選択をするだろうし、我が子を設けても産まれた瞬間から親の介護を背負わせるようなことはさせたくないとも思っています。(※そういう選択をした人を否定したいわけではなく、私個人の考えです。)
それなら、今から一人で生きられるようになっておきたいんです。
両親が私を思う気持ちは痛いほど伝わってくるけれど、両親には両親の人生を謳歌してほしいんです。
ただそれだけなんです。
病気の私の姿を見て、悲しむ家族の顔を見るのがつらいんです。
私自身はこんな病気で歩けなくなっても、喋れなくなっても、家族が笑っていてくれるならへっちゃらです。たとえ同じ屋根の下じゃなくとも、同じ空の下であれば、それだけで十分です。
確かに心配をかけることの方が多いですが、私にとって大切な人に悲しい顔をさせる方が病気の症状よりずっとつらいです。
不器用で歪んだ考えだと自覚もあるけど(実際に、家族にその思いを伝えると、「自己中心的な考え」だと一蹴されます……)、私はやっぱり隠れて泣く日がありながらでも、家族や周りの人たちには笑っていてほしいんです。
同じような発作の持病を抱える友人とも「実の親だからこそ、病気の症状出ても隠しちゃうよね」と話したことがあるほどです。(だって両親は子どもの病気について、本人以上に悔やむから。誰のせいでもないのに……)
若干、話が逸れてしまいましたが、自分でもわかっているのに直せない不器用さを映画の登場人物を通して追体験し、何度も自分を見つめ直し、それでも懲りない自分に頭を抱えます。
そして、何度失敗して傷ついても、立ち上がって食らいついて突き進み、誰かのためにしか命を燃やせないのが私だと痛感し、もう少し自分にも優しくなれたらいいのにな、とちょっぴり思うのでした。
(自分だと思うと、素直に許せなかったり、認められなかったりするから、たまに自分を別の人間だと思い、優しくできないものかと試行錯誤中です。)(ちょっと危ない方法だけどね…🙈)
それでは、なんだか重たい雰囲気になってしまいましたが、この世界で笑っている人が一人でも多ければ、それだけで私もうれしいので、ぜひ楽しい週末をお過ごしください♪
そして、土日もお仕事の方たちも束の間の休息時間に癒されるようなことが起きますように🤗✨
《おしまい》
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