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4分小説 『天使だって梯子を使う』 【A面】

 我ながらどうしてこうも荷物が多いんだ、と毎度愚痴りたくなるほど重たいトートバッグを肩にかけ、押し出されるようにして電車から降りる。屋外ホームの屋根の隙間から覗く灰色の空は今にも泣き出しそうだ。

家に着くまでこのままもってくれ、と念じながら、雑踏の流れに身を任せるように改札を抜ける。しかし、たん、と一歩を踏み出すと同時にポツリ、と頬を打つ一粒のしずく。

その一滴が呼び水となったように雨足はどんどん強くなってきた。

くそ、間に合わなかったか、と慌ててバッグの中を漁る。

あ、この前の授業のプリントこんなとこにあった!って探してるのはこれじゃないってば! しかもこのプリントしわくちゃじゃん!

底の見えない沼のようなバッグを掻き回しても、指に触れるのは今は必要としていないものばかり。こんだけ大荷物なのに、折り畳み傘の一本も入れてない私って何なのさ! と、我が身を罵るも、無いものはない。


所詮、こいつは今にも持ち手がちぎれそうなみすぼらしいただのトートバッグだ。青いたぬきの四次元ポケットでは断じてない。

結局私は諦めて濡れて帰ろうと、何の役にも立たない我が相棒を抱き抱えるようにして、駅舎を走りだした。


 一度も入ったことがない、存在すら知らなかった公園に足を踏み入れようと思ったのは土砂降りの雨に打たれて、変に気分が高揚していたからかもしれない。

でもまさか、先客がいるなんて思いもしなかった。

薄墨色の仄暗い雨の中を走るのにも疲れ、ベンチに座って休憩しようと公園の遊具を擦り抜けるようにして歩を進める。すると、目指していたベンチに身体を丸めるように座っている人。

え、もしかして死んでる……?


嫌な予想を否定するように首を振ると、恐る恐る近づいていき、その人に触れてみる。

冷たっ! 想像していた以上に冷えきった身体に驚いて思わず手を引っ込める。

そんな私の気配を感じたらしく、ゆっくりと顔を上げたその人は真っ黒な髪からぽたぽたとしずくを垂らしながら、キッと私を睨んだ。

その深い深い漆黒色の瞳が濡れていたのは、きっと雨のせいじゃない。なのに、私はその鋭い視線から目を逸らすことが出来ない。

大の大人が、土砂降りの雨の中、泣いてる。

それでも、私はただその場に立ち尽くすことしか出来ない。まるで私の身体の全細胞の機能が止まってしまったかのように。


どれくらいの時間、私はその場に固まっていただろう。

「くっくっくっ……!」

ふと我に返ると、目の前の男は肩を揺らして笑っている。

「……んな!」

そんな男に驚いて変な声を上げると、それがまた笑いを誘ったらしく、そのうち男は目の前の私に遠慮することなく声を上げて笑い始めた。

「あーっはっはっ!」

そうして男はひとしきり笑い終わると

「なあ」

と私に問いかけた。

「……はい?」
「ありがとう」

え、何が?なんのこと?

「俺、さっきまで死のうと思っててさ」

いきなりの打ち明け話に戸惑うも、その声はあまりにも心地よく私の鼓膜を揺らす。

「けど、なんかもうどーでもよくなった」

そっか、そうだったんだ。ほんの少し前に、この人から感じた悲痛さや切羽詰まった様子は私の見間違いなんかじゃなかったんだ。


この人は、死のうとしてた。


でも、それでも、なんとか思いとどまった。きっとそれは、この男が本当の強さを持っていたから。


「知ってますか?」


だから私は今からこの人にいいことを教えてあげよう。

「へ?」

不思議そうな顔をする男に私は上空を指差す。私の指先を追うようにして同じように空を見上げる。いつのまにかさっきまで降りしきっていた大雨は遠慮がちな小雨になっており、薄い雲の切れ間から柔らかなオレンジ色の夕陽がこぼれていた。

「ほら、雲の隙間から見えてる夕陽の光……線みたいに伸びているでしょ? あれ、天使の梯子はしごっていうんですよ」
「天使の、梯子?」
「そう。天使って羽があるイメージじゃないですか。でも梯子もあるんです」
「……へえ」
「羽のある天使ですら実は梯子を使っているのなら私たち羽のない人間だってもっと何かに頼ったっていいんじゃないですか?」
「……そうだな」

と呟いた男の目はもう、ここじゃない明るい未来を見つめていた。

(20130808)


 赤い傘のお題として過去の作品を引っ張り出してみたら、傘を差すシーンないやないかーい🥂ってことで、今週のシロクマ文芸部のお題はまた後日! B面はこちら🙋


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