笑っていても心は泣いていた

古い友人と会ったり、自己分析的なことをしているうちにとある疑念が沸いた。「楽しかった中学校生活、実はしんどかったのでは?」と。

僕は友達もそれなりに居たし、部活動も弱かったけど仲間に恵まれてそれなりにやれて、勉強も中の上くらいはできていたので、中学校生活は普通に楽しかった、と思っていた。

小学校・中学校の頃の友人とここ数年で会う機会が増え、よく話すようになった。その友人から、「中学時代、フリッカーへの周囲の当たりは強かったんじゃないか?」と言われた。

実は自分もその疑念が湧いていた。そう感じたのは、就職活動をするにあたって、中学生の頃はどんな人間だったか、と聞かれるかもしれないと色々思い返していたタイミングだった。結構キツイことを言われていたし、言い返して笑いに変えたりもしていたけれど、あの頃に言われたことが今でも引っ掛かってて、人格形成に影響しているなぁと感じていた。


クラスでは僕はいじられキャラで、何か言われると「うるせえ!」とか色々言って言い返し、ツッコんでいた。気丈に振る舞っていた。

僕は太っていたし、汗もかきやすかったし、髪も薄かった。この辺をよくイジられていたし、先々大変なんじゃないか?みたいなことも言われていた気がする。謎の同情といえば良いのだろうか。

(父がリビングでタバコを吸っていたので服がタバコ臭かったり、あと中学生で夢精してたかもしれなくて、その処理が甘かった可能性はあるので本当に臭かったかもしれないし、髪も全然セットしてなかったから、自分が悪かった可能性は否定できない。ただ、これに関しては、今思えば、の話で、当時は誰も教えてくれなかったし、気づく方法もなかったからどうしようもなかった。)

僕はそういうイジられには言い返してたし、話題になるだけマシだと思ってた節もあったので、当時はそこまで気にしてなかった。笑いに変えていたこともあった。

でも、成長していくにつれて、その時の言葉をふと思い出して自分に自信を無くしてしまったり、自分の存在意義を見いだせなくなってしまった。


どれだけ親がいい人でも、友人に恵まれていても、クラスで嫌な奴が一人でもいて、嫌なことを言われればその一言が引っ掛かって人格形成にまで影響を及ぼすのだ。

高校でも同じようなキャラだったけど、何故か高3までぼっちだったので、イジられるだけマシだったと思ってた。というか、部活がしんどかった思い出の方が強いので、そこまで気にしてない。

ちなみに、当時の自分がそこまでイジられても平気でいられたのは、中学校という狭い世界での話だと思っていたこと、ロック音楽やアイドルが好きだったのでそこで救われていたこと、そして何よりイジってこない友人もいたこと、この三つが大きかったんじゃないかな、と思う。

本当に惨めだな、と思うのは、26歳にもなって今ごろ、中学でいじめられてたんじゃないか?と思ってしまうこと、そして、過去を思い出して自分には何もできないと思い込んだ結果、無職であるということだ。俺をイジってきた人間の中にはしっかり仕事もして、家庭をもつ人もいるわけだから、尚更惨めである。20歳の頃は、中学校生活が楽しかった印象がまだ強かったし、自分によくしてくれた友人に会いたかったので同窓会にも参加したけど、今後同窓会が開催されたとしたら、参加しないかもしれない。


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