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ケーキ屋になった理由(わけ)その2

その1からの続きです。

社長に現場を任されチーフと言う役職と破格の給料をもらったものの現実はケーキ屋に就職して3ヶ月目のど素人。何も引き出しがない…

小さな頃から父親から「男なら一度決めた事はやり通せ!」「吐いた言葉は飲み込めねぇぞ!」と常々言われて来た。

「分かりました」と言った以上今までみたいに適当にはやり過ごせない。ダメ元でなんて甘い考えだと数億円の売り上げは守りきれない。地元の飲食業の経営者になった多くの昔の連れ達から「アイツがチーフになったらあのケーキ屋が不味くなった…笑」なんて言われたら任せてくれた社長に面目無い!

任された事や社長への恩に比べこれまで大事にしてきた自分も小さなプライドや意地なんて誰の役にも1円にもならない!そんなもの捨てて自分がケーキ屋にならなければ!

そう決断し教わった事は完璧に!足りない知識や技術は自分より少しでも上手な先輩に聞き、毎日夜9時10時まで仕事をした後やっている本屋に行き閉店まで今日やった仕込みの復習、明日やらなければならない仕込みの予習。休みの日にはもっと詳しく載っている高くてなかなか買えない本を読みあさりに大きな本屋に出向いていました。

正直プレッシャーで苦しくて仕事もキツくて毎日へこたれそうだった

ただ今までいい加減に生きて来た自分を信用して店の運命を賭けてくれた社長の恩に少しでも報いたくて。

今までの遊び仲間や友達が「そんな大変なら辞めちゃえよ。うちの職場に来ればもっと楽だし楽しいよ。」「楽して稼いだ方がいいよ」「自分の事だけ考えれば楽じゃん。もっと遊ぼうぜ」など甘い言葉や誘惑して来たが全て断った。その時は遊びより仕事の責任の方が優先順位が高かったし、今やろうとしてる事を成功させる為には邪魔者にしか感じなかった。

あれから20年経った今、甘い言葉を言って寄ってきた彼らのほとんどは未だに話す事は自分の事だけで日々愚痴をこぼしている(笑)楽しさ求めて不満や後悔が残るって…w

現在残った数少ない友達は「スゲェじゃん!頑張ってるね!変わったね!」「お前が作ってるケーキを友達にあげたら喜ばれたよ!」「ここで逃げたら今までイキって来たのにダセーな、もうちょい頑張って来いよ」と応援やへこたれそうな時にハッパをかけてくれた奴らだけ…(笑)こいつらは今でもいつでも楽しそうだし社会的にも評価されてる奴が多いw

就職して半年、チーフを任されて3ヶ月目…美容院を営む母親から…「あんたのとこの社長さん、末期の膵臓癌なんだってよ!聞いてる?そこの親戚から聞いたから間違いないよ」

「は?」何も聞いてない。最近年中腰が痛いから病院に行ってくるとは言ってたけど?

社長が末期の膵臓癌…

まだ教わりたい事も沢山ある。社長の決断がなければ店を回せない…どうしよう…何も出来ない…どうしていいか分からない…誰にも言えない…職場の志気が下がる…そうなったらみんな辞めちゃう…この店の評価が下がる…正式に発表されるまで俺の中に止めよう…

数日して社長がちょっと体調を崩したから少しの間入院しますと聞いた。

仕事のやり取りや初めての仕込みの仕方も電話のみ。

ただ一度だけ社長が電話口で言った。「いてくれて良かった。お前の好きにやって良いよ。任せる」

胸が締め付けられて涙が出た。

もう誰にも相談出来ない。覚悟を決めた。この店を俺が守る!まだまだ未熟だけど「この店の関野」と初めて堂々と言える!社長が奇跡的に復活するのを俺は信じる!それまで絶対に売り上げを下げない!店の製造の責任は全て俺が取る。今いるスタッフも店の為に働いてもらう!

この時ただ頑張ってケーキ屋になる事を努力してたケーキ屋もどきから自信を持って自分の仕事はケーキ屋ですと言える様に変わった瞬間!

少しして自分が就職した時にいた5つ下の生意気な先輩が社長の危機を聞きつけて戻って来た!

心強かった!自分の知らないこの店を知ってる人間がいる。こんなに心強い事はない。


一年半後8月末…社長が亡くなった

一時退院した時には無理して現場に立ち、痩せ細った身体を隠すのに布を服の下に入れ仕事をしに来てた。

スタッフの前で弱音は一度も吐いたこともない!

最高に強くて素敵で面白い群馬県No. 1パティシエの社長だった。

いつも「うちの店が群馬で1番売れているんだ!1番多くの人に喜んでもらってるんだ!そんなケーキを作っているってプライドを持て!お前らの仕事が群馬県で1番なんだと!」と言っていた。

今でもその言葉は忘れない。

その3年後に一つの転機が訪れる…

その3に続く






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