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ゴッホと弟、そして自分

「なんだよお前、見にきてみろよ」
彼に、そう言われた気がした。


 ゴッホ展に行ってきた。美術に興味はない。それでも何か惹かれるものがあった。なんとなくだが、ゴッホには風景画のイメージを持っていた。美術の教科書で彼の人物画を見た記憶がなかったから(教科書の表紙は“夜のカフェテラス”)。


 彼は意外と人物画を描いていた。モデルとなる人物は笑顔などの明るい表情はなかった。疲れているような、苦しんでるような、それでも生きていくというような表情が多かった。今のぼくも同じような顔をしているのかもしれない。モデルは主に農民だった。

 初期の彼は、鉛筆や黒のクレヨンで描いている絵が多かった。カラフルではない、暗めの配色。濃淡で描いているような。まるで墨絵(正しい表現かはわからない)。暗い部屋の中にいる女性を描いた絵では、外から入ってくる光を、黒色の調節だけで表現していた。

 彼の絵には面白い工夫もあった。人物の周りをぼやーっとするために、ミルクを染み込ませていた。どうやったらこんなこと思いつくのだろう、表現のために色んな手段を講じるのだな、と感心してしまった。絵にミルクを染み込ますなんて、ぼくでは思いつかないだろうな。


 パリに移住した彼は、印象派の絵の影響を受けて、明るい色の絵を描いていた。浮世絵の切り取りの構図も取り入れていた。最新の美術動向に刺激を受けながらも、自分のスタイルを確立していくことは凄いなと思った。この頃は点描図法の作品が多い。

フィンセント・ファン・ゴッホ
《レストランの内部》



 人物画や静物の絵が多かった彼は、この時期から風景画が多くなった。彼は自然の風景の中にも人間をイメージさせて描くこともあったらしい。刈られた木は寂しく暮らしている男みたいに。太陽や農民、色彩など彼の要素が詰められているような気がした。

フィンセント・ファン・ゴッホ
《種まく人》


 芸術家の共同体を夢見ていたのも丁度この時期である。新天地アルルで画家仲間を呼び寄せている。芸術家同士でお互い切磋琢磨しあう芸術村を作りたかったのだろう。その舞台が「黄色い家」だった。ゴッホの名作「ひまわり」はこの黄色い家の壁に飾るために描かれたものだった。しかし、アルルでの共同生活も長くは続かなかった。畑の重ね塗りは気が遠くなりそうなほど時間がかかりそうだな。ぼくにはここまで色を追求できる自信がない。

フィンセント・ファン・ゴッホ
《黄色い家(通り)》


 彼はゴーギャンとの口論の末、左耳を切り落としてしまったらしい。口論はするとしても、そこまでする?と思ってしまった。それほど絵というものに対して凄まじい情熱を持っていたのだろうか。病院から退院した彼は、アルルを出ていくことになる。なあゴッホ。引っ越し多いね。芸術家って引っ越しも大事な作業なのかな。


 アルルから引っ越した彼はサン=レミに移る。
晩年は色々な不安に駆られ、その不安が絵にも現れている。渦やうねりが多くなってるなという印象だった。個人的にゴッホの絵で一番好きな糸杉の絵もこの時期の作品だった。

フィンセント・ファン・ゴッホ
《夜のプロヴァンスの田舎道》



 最後は拳銃で死を遂げたゴッホ。彼の生き方には燃え上がるような情熱と血の滲むような努力があったんだと思う。天才、狂気、孤独、壮絶、挫折...彼にはどの言葉も当てはまるような気がする。一言では言い表せないな。


 彼の絵に感動したのは勿論、個人的に一番印象に残ったのは、弟のテオとたくさんの手紙のやりとりをしていたことだ。画家の勝手なイメージだが、1人の世界に入り込み、ひたすら絵に打ち込んでいると思っていた。彼は、生涯約900通の手紙を書いている。その内の600通が弟のテオ宛てだった。そんなにたくさんの手紙のやりとりをしているのは、仲が良かったのは勿論、テオが良き理解者だったんだろうなと思う。絵も素晴らしくて感動したが、一番に思ったことはそれだった。


 そういや今日は弟の誕生日だったな。あんまり連絡しないけど、連絡してみるか。お誕生日おめでとう、ってね。ぼくもゴッホとテオのような信頼関係を弟と築けたらいいな、なんて思ったり。

 最近寒すぎ。コロナ流行しすぎ。早く落ち着いて普通の暮らしをしたいよ。背伸びの暮らしはいらない。淡々と強かに生きていくまで。

 オードリーのオールナイトニッポンが2週間ぶりに聞けた。2人のやりとりがやっぱり好きだと思った。若林さんはパパになったらしい。色んなところで人が成長している。ぼくも成長していかなければなと思った。


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