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発達障がいの息子が不登校から登校できるまでの話 ~その4~

年が明けて小5の1月から再び不登校に戻ってしまいました。
4月からは小6、そして更にその翌年にはいよいよ中学生という現実が迫ってきています。地元の中学校は1学年1クラス、受験するにも学力が全く追い付いていない….どうしようかと悩める日々でした。

息子の今後のことで悩んでいたその頃、息子の8歳上に娘がいるのですが、大学1年性で札幌に住んでいました。なんと娘はその時強迫性障害を発症していて、家から外に出るのが恐怖に感じ始めていたのです。娘から電話で状況を知らされ驚きました。娘を休学させ広島に帰って来させることも考えましたが、強迫性障害が何年で完治するかわからないので、ここで休学させると娘が自分を責めてしまうのではないかと思いました。そして出した答えが『息子を連れて札幌に移住する』ことでした。環境を変えることで息子も心機一転できるかもしれないのと、娘のフォローが出来れば休学させずに済むのではないかと考えたからです。私の両親は鳥取県境港市に住んでいたので、両親は自分たちと一緒にすめばお金の心配をしなくていいのではないかと強く言ってくれたのですが、同居の道を選ぶと娘のフォローはできないし、息子は道路や標識が大好きなので田舎に移住したのでは息子が外に向けて行動できなくなってしまうと思い断りました。

この考えに主人は勿論反対しました。娘の件については少し休学させるなりして考えれば良いし、息子に関しては札幌に転校したところで不登校が治るとは思えないと。そして息子をずっと診てくださっていた病院の先生も「環境を変えるのはいいけれども、必ず不登校が改善するとはいえない」と仰いました。しかし、私はたとえ1%でも可能性があるなら、それにかけてみたいんですと二人を泣きながら説得しました。(勿論私の両親や心配してくれた兄妹も)
札幌に知り合いがいるわけでもなかったのですが、子供の頃は父の仕事で転勤を経験していたり自分も会社員だったころにも転勤を経験していたので、知らない土地に住むことに全く不安を感じない性格も決断できた要因の一つだったのかもしれません。

息子に札幌への転居を説明すると、表情がとても明るくなりました。学校へ行くことはできなかったものの、3月になっていよいよ今の小学校に通うのも少なくなってきた辺りからもう最後だと思っていたせいか、少し登校することができました。

こうやって、いよいよ北の大地へ二人で引っ越しすることになりました。


読んでくださりどうも有難うございました。
いよいよ次回は札幌編です。

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