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【ナレッジ】業界の知の共有と心理的安全性への脅威

+【メタ視点】伏線回収 ~自分のつぶやき 自分で拾って再活用



※2024.6.16 2312:重要な追記「知を司り、人材育成を担う象徴の場所」


1.ごあいさつ


 どうも皆様
 ”フカンして・みると”です。

 初めての方 はじめまして
 初めてじゃない方 こんにちは

 
 本日は私の【ナレッジ】に関する記事。
 今2024年6月に書いていますが
 そこから2年から3年前に遡った記憶をたどって
 書いてみます。
 

 さあさあ! #毎日note 73日連続投稿中
 同時に #66日ライラン は、63/66で継続中!
 いよいよ残りラスト 3日に!


63/66



2.前置き ~ナレッジ表現のための”点と点をつなぐ”作業



 さて ナレッジがテーマのお話。

 とはいえ noteの場であえて
 一気にマニアックに掘り下げる記事展開
 それも悪くはないけど
 何だかしっくりこない感じもする。

 それと個人的に 少々背景が複雑。
 やりたくとも ズバッと進められない
 回りくどい事情が もともとある。

 じゃあどう進めるのがよいかな?

 数日前の自分の記事で、次のことを書きました。

①つぶやきから記事へと誘引したり
つぶやきで収まらない内容を記事にしたり
③つぶやきで蓄積した気づきを束ねて記事にしたり。

 noteの特性に合わせ
 それを活かす運用スタイル
 もっと意識してみたらどうだろうか >自分

「【メタ視点】字余り つぶやき⇒短め記事にシフトする」から抜粋


 自分のつぶやきをときどき拾って
 掘り下げたり 束ねたりして
 フォローアップ記事にしようかと。
 +ときどき宣伝とか。

 自分で蒔いた点と点を線でつなぐ作業をするだけですけどね。

 記事の展開スタイル自体をメタ的に提示すること。

 いわゆるメタメタ(ダジャレではない)
 【メタ視点】かつ【ナレッジ】とも考えています。
 
 noteの世界の中で点から線へ、線から面へ
 そして立体的なんなら4次元(縦横奥行+時間軸)的に
 世界を視えるように展開していく。
 それが自分なりの「知の還元」なのかも。

 曲がりなりにも”フカン”を自称するnoterならば
 そのようなビジョンを持って
 noteに臨んでもいいんじゃないかな?と
 最近そんなイメージが脳裏に浮かび始めています。

 つまりは 試行錯誤ですけどね!


3.サンプル的に解説して伏線回収 ~違和感の正体


 
 お題目はよいとして内容は?

 先日来 つぶやきを連投したので
 ここに貼り付けますね ↓
 ついでに?軽く補足の解説もやっちゃいます。

【補足の解説】1個目

  
字数制限で盛り込みすぎ いかにも読みづらい表記に💦

  セルフで解説しますと。

 ・2021年時点つまり 2・3年前に既にトピック化していること

 ・職場でOJT目的のナレッジ共有を目指していること

 ・(書いてはいませんが)
  さらには業界でのナレッジ共有と政策反映を見据えていたこと

  そのあたりがまずは注目ポイントかな、と。


【補足の解説】2個目

  1個目のマクロ面の課題提起するだけで目をつけられやすいかも?

  2個目で解像度を上げることで さらにナーバスなテーマ性も上がる。
 
  では同時に、次世代へのナレッジ継承とはなんだろう?
 
  どのようなスタンスを選ぶにせよ
  それ以前に 見えること 気づくことを下敷きにしない
  ナレッジって存在するのか?

  判断の難しいテーマを扱わないで
  育成のチャンスってどのように確保されるのか?

  それすら保障できない職場の心理的安全性とは何だろう?

  ややこしい論点が浮かび上がって来ましたかね。

【補足の解説】3個目

  そう。
  ここで深追いするつもりはありませんが
  一つの可能性が示唆されます。

  実は内容の賛否ですら ないのでは?とかね。

  右だ左だ、保守だ改革だ、の”看板””旗印”ではなく。

  見えること 気づくことを前提とする
  OJTやナレッジ構築を 模索するという
  ”姿勢””ありよう”

  その姿勢やありよう自体を問題視しているのでは?
  という疑問がひとつ。

  思考停止を望む風潮・価値判断
  うかがえるのではないか?と。
  (知を司り、人材育成を担う象徴の場所において)

  noteのふところの深さとはまさに相反しますかね?

  賛否さまざま受け止めがあるにしても
  少なくとも 今ここで 許容されているような
  度量ですよね。

  逆に 故意ではなく もし無意識の排除なのだとすると
  心理的安全性のレベルは むしろ深刻なまでに
  低下しているのかもしれません。

  また背景は別としても方法論も考慮を要しますね。

  あくまで例えですが、フィルタリング・マスキングなしで
  上記内容を 職場からSNSでいきなり拡散とかね?

  そうなると上下左右 もはや従来型のカテゴリ分けすら
  無意味化しますしね。

  noteのふところの深さ、個人利用のハードルの低さ
  などと考え合わせると
  SNS時代の光と影、功と罪を痛感します。


【補足の解説】4個目

  ともあれ、1個目の解説で
  ・業界でのナレッジ共有と政策反映を見据えていたこと

  その方向性は封じられたわけですが
  数年がかりでトピック化してきたのが
  割と最近の話ですね。

  現象だけ見ると
  私個人 あるいは もしかして他にも何人かいるかも?

  尊い犠牲を経て
  ようやく社会的議論の端緒についたのだ、などと
  自己正当化する向きもあるのかもしれません。

  さてここで 別のつぶやきを少し引っ張ってきます。

   #進撃の巨人


 ネタばれを避けつつ解説すると
 社会常識とされるものにつきまとう
 違和感の正体を疑問形で問いかけ
 裏側や真相をあくなき探求心で追い求めた存在
 そういうイメージでしょうか。

 よいわるいではなく。
 ありよう として。
 それを許容せずして 何をもって多様性なのか疑問ではあります。

 方法については議論の余地はあるにせよ、ね。 

 個人的見解


 今回は ざっと5つの既発のつぶやきを
 フォローアップして セルフ解説記事っぽくしてみました。



4.まとめ


 試行錯誤でやってみました。
 無事に 点と点を線でつなげたでしょうか?

 ちょっとばかし #伏線回収 っぽくないですか?
 もし読者がそう感じたなら 成功だと思います。

 やはり自分の発信したものを
 なんだかんだで 自分で活かすのって大事ですよね。

 セルフで #伏線回収 してやらなきゃ
 他に誰がやってくれんだ
、という。

 自分を一番活かせるのは やっぱ自分自身だってね。

 
 メタ的でもあり ナレッジでもあるけど
 
 要は 自分自身のありよう ってところに戻ってくる
 そういうシンプルさ
 面白いですね。


 
 さて、今回盛り込むか迷ったのですが
 先日来のつぶやきや今回記事の構想については

 以前、令和の哲学者たる Nasekaさんとnote上でなくて
 X上ですけど、こういうやり取りをさせていただいたことが
 きっかけになっている。

 紹介します。


 またもや 自分語りですけど
 もともとnoteに参加するにあたって
 (IFを語っても しょうがないものの)
 トラブルやら何やらの対応さえなければ。

 世代間の縦関係と 類似業界内の横関係の
 共同体的なイメージを仮に想定してみた場合に

 ナレッジ継承と発展について
 様々な切り口があってよいと
 前々から考えていて 職場でもそうだったし
 noteで なにか書きたいと考えていました。

 きっかけをもらったお返しでもないですけど。

 次回に向けて考えているのが
 こちらのネタ ↓ から展開を考えてみようかなと。
 大喜利じゃないですけど、フリに応える心持ちですかねー。


 え?次回予告ですか。つうか、書けるのか。>自分

 この話題に関心を持つ人は 人数的に多くはないかもしれないけど。

 まあちょっと次回のナレッジに向けて試してみます。

 そんなわけで。
 今回はここまで。

 ではまた次の記事で!


(了)

#66日ライラン #毎日note #エッセイ #ナレッジ #伏線回収 #進撃の巨人 #振り返りnote #業界あるある

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