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迷えるソーシャルアクティビストが「 #わたしは分断を許さない 」を観た

2020年8月30日、神奈川県逗子市にあるミニシアター Cinema Amigo にて「わたしは分断を許さない」の上映が開始された。
その上映初日に本作品の監督であるジャーナリスト堀潤さんのトークイベントが開催され、ソーシャルアクティビストとして活動している私は参加した。
そこで堀さんが話したこと、私が感じたことを本noteに記す。

自分の痛いところを刺された

映画は、香港のデモの映像から始まった。現場最前線の映像から、デモ隊のメンバーである若い男性のインタビューが流れる。その次は東北大震災の被災者である高齢女性のインタビューに移り、その後は東京の入国管理局の映像だった。
その後も沖縄、カンボジア、パレスチナと、ニュースのどこかで聞いたことがある問題が起きている地名を目にする。
これらは全て、私が見て見ぬふりをしている社会問題だった。私はこれらの問題を知っているが、日々知らぬ存ぜぬを通して生活している。
そこをざっくり深く刺されてしまった。
知っているのに、なぜそこにある分断を許しているのか、と問われているようだった。そしてそれは私の中の、隠していた罪悪感をずるりと表に引きずり出した。

正しい行為に危険は伴う

最初の香港の映像から私はガツンとやられていた。
日々、ソーシャルアクティビストと名乗って活動するくらいなので、ひとよりは社会意識が高いと自負している。しかし、堀さんのインタビュー映像に出てきたデモメンバーの若い男性の言葉が刺さる。
「正しいことは危険なことが多い、しかし誰かがやらねばいけない」
私は、日々の孤独な活動に心が疲れ、正しい道かどうか迷走していた。危険が伴うことも今後あるだろうし、それに家族のいる私がやることが正しいか迷っていたのだ。

見えないことにされている何か

印象的だったのは、映画に出て自分の言葉を話す人たちは皆、有名人などではなく一般の生活をしている人たちだったことだ。彼らの声はいつも、大きな主語で隠されている。「香港デモ隊」「被災者」「米軍基地移設反対派」「難民」・・・
彼らの抱える問題は大きな主語によって隠されており、またしばしば非難や中傷の対象となっている。
大きな主語は社会課題を見えにくくする。堀さんは作品の中で何度も「大きな主語ではない、小さな主語で物事を見るべきだ」と語っていた。

パレスチナのガザ地区での生活

外国の内紛の話などになると、途端にアンテナがしゅるしゅると縮むことを自覚している。いつぞやか、シリア紛争の写真を見た時に、砂ぼこりにまみれて血を流す小さな子どもの写真を見た。当時、乳児を抱えていた私は、私の子どもが今砂ぼこりの中にいないことはただラッキーなだけだ、と感じるとともに海を越えた同じ空の下で子どもが空爆にあっている事実に対するむごいほどの無力感に見舞われた。それ以来、私は国外の課題に対して目を伏せるようになっていた。
しかし、私が目を伏せていた間も世界は何ら変わらず、子どもはその地で死んでいたのだ。

自分が見て見ぬふりをしていた分断を許さないこと

映画上映後には堀さんが登壇され、1時間にわたる(豪華!)トークイベントが始まった。
中でも印象的だった堀さんのトークを書き残す。

分断の反対は共存である。話題に触れないようにすること、無きように扱うことは分断を産むことだ。この言葉は非常に納得感があり、アンタッチャブルとされているものに関しての分断が進んでいると感じる。日本の場合、政治などはそれが顕著だろう。
また、作品中のジャーナリスト安田純平さんの言葉を引用し、遠い地での人の死に興味がない人は、隣近所での人の死にも興味を示さないだろう。その傾向を昨今顕著に感じている、とも話していた。

また、タイトルの「分断を許さない」は自分に対しての言葉でもある。自分の身の回りの見て見ぬふりをしていた分断を許してはいけない、という気持ちを込めた、とのこと。

ここで私は堀さんから感想を振られたので、印象的だった堀さんのインタビューの仕方について言及した。
堀さんは作品中に、アメリカで行われていたパレスチナ解放デモに参加する男性にインタビューをしていた。その中で「なぜデモをするのか」という問いに「アメリカ政府がパレスチナに資金援助をしないようにするためだ」と答えた彼に対してさらに「なぜ資金援助をしないべきなのか」と投げかけた。
また、「どんな未来を創りたいか」という堀さんの質問に対して「平和な社会を創りたい」と返した北朝鮮の大学生に対しては「なぜ平和な社会が創りたいのか」という質問を投げかけていた。
「平和」など正しいと思われるワードや発言が出たところでたいがいのインタビュワーは満足しマイクをしまう
しかし堀さんはそこをさらに一歩踏み込んで質問していた。それは多くの場合は「そんなの当り前だろう」といなされてしまう質問かもしれない。
しかし、その基本的な問いこそが、私たちが自分の中から発するべき答えを引き出してくれるのだろうと感じた。
これに関して堀さんは、ひとにインタビューする時に以前は「しっかりしないと」という気持ちがあったが、今は人はみんな違うことに気づき、問いかけにひるまなくなったと話した。

また、この「平和」というワードを見て思考停止してしまうことは非常に危険だという話もあった。堀さんはイベントに参加していた10人に「あなたの考える平和とは」という問いを投げかけた。10人の答えは、似ているものはあったものの全く同じものはなかった。そして、これらの平和同士が対立する場合もあるだろうと話した。
まさに今世界で起きている対立のほとんどが善悪の二項対立ではなく、平和を望むものと、また別の平和を望む者の闘いであること。
日常のなかで「平和が一番」といって会話を締めくくることは多くあるが、その平和とは何を指しているのか話してみることも必要だろう。

SNSの功罪

この映画は、様々な社会問題の現場の映像をいったりきたりする構成になっている。それは、SNSのタイムラインを意識したものだと堀さんは話した。
現在のSNSは悪い部分もあるが捨てたもんじゃない、と言う。SNSのタイムラインには、友達の日々の投稿もあれば世界のニュースの投稿も同じサイズで一列に並ぶ。
報道に関しては、昔は新聞などによりメディアフィルタを通ってきたものこそが社会、社会問題であった。しかし今は世界中の現象が平等に並ぶことで、これまでの分断が薄まったと堀さんは話す。

この映画を見て、伝えたいこと

堀さんのトークは全てが私にグサグサと刺さり、また本来自分が信じていたもの、目指していたものを思い出させてくれる話でいっぱいだった。私は今日堀さんの話を聞けたことで自分の今後の選択が大幅に変わる予感がしている。

「私は分断を許さない」は、ジャーナリスト堀潤さんが撮ってきた今まさに進行形の社会問題が詰まった映画だ。日々社会問題から目を背けて利己に生きている人ほど見るのが辛い作品だ。
しかしもし今の社会に少しでも違和感を感じているなら、まずあなたにできる最初の一歩は関心を持つことだ。

ぜひ、一人でも多くの人がこの映画を見る選択をしてくれることを願ってやまない。


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