5月14日(火):運動が苦手な方でも楽しめるレッスンへ②
昨日は自社のスクール制小型フィットネスクラブでGWに普段とは違う限定のイベントレッスンを実施したところ、運動を苦手としている方々からの前向きなリアクションが意外であった旨を記しました。
こうした感想を伺い、運動が苦手という方がボクササイズのようなアクティブなレッスンを楽しいと仰るのは、実は根っからの運動嫌いではないのだと感じます。
昨日はそこから派生して書籍「体育が嫌い」のことを取り上げました。
同書では明確に「運動嫌い」と「体育嫌い」は違うと定義されており、学校における体育が嫌いになってしまう理由として以下のような要素が挙げられています。
・強制的、規律的な側面
姿勢や態度などの規律的な面への過度な繰り返しの指導や、やるべき事柄を強制されることで息苦しさを感じる
・「公開処刑」による恥ずかしさ
一緒に授業を受ける皆の前で何かをしなければならず、失敗した際の嘲笑やできないことへの批難など、視線にさらされるなかでできないことをやらなければならない心理的負担
・体育教師像
「体育教師っぽさ」というフレーズで思い浮かぶような厳しさ、高圧的な体育教師の態度やイメージが苦手意識を助長する
・スポーツにまつわる勝ち負け
体育の中では球技をはじめとしたスポーツ種目に取り組む時間もあり、勝ち負けにこだわる小学生の直情的な言動によって虐げられる場面がある。そうしたなかでの優劣、比較による劣等感など。
これらの理由により、「学校」という環境下における「体育」はどうにも好きになれないことから、大人になっても運動を敬遠するようになってしまった方は少なくないのだと感じます。
だからこそ私たちのようなフィットネス事業者はこうした要素を取り払う工夫をしながら運動が苦手と仰る方々にも気軽に身体を動かしてもらうような働きかけがポイントです。
その中で私たちのようなスクール制でコミュニティを重視した小型クラブだからできることは、場とまなざしの温かさを作っていくことじゃないかと思っています。
前述の書籍では体育での衆人環視による公開処刑と関連してサルトルを引用しながら、恥ずかしさは「他者のまなざし」から生じる旨に触れています。
そのうえで学校の授業においては他者のまなざしがなくならない以上、「他者との関係性を変えていくこと」に解決の道筋を見出していました。
具体的には上手くいかなかったことに対しての嘲笑や批難などではなく、それを見守る、励ますといったことなど、周囲がまなざしに温かさを持つことができたなら、衆人環視のなかにあってもそれが公開処刑にならずに済む道もあるんじゃないか、ということです。
そうした周囲の人との関係性や場の空気の作り方、状況設定などは、私たちのようなコミュニティを重視してきた小型クラブだからこそ、できることがあります。
これらをトレーナーが上手くケアすることができたなら、運動が苦手と仰る方々にも気軽に楽しめる場を増やせるんじゃないかと思います。
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