#0-2 コロナ禍で人生初の入院を経験した話
大学二年生前期は私にとって人生で最も忙しい時期だった。学部の勉強と教職課程で一限から六限までありながら、部活も対面活動が再開。毎日二十時過ぎに帰宅する生活に加え、土日は六時間勤務でアルバイトに入っていた。
どれも好きでやっていることだがやはり見えない疲労は溜まっていたらしい。日々の生活をこなしながら、私はこんなことを考えていた。「夏休みは近場でいいから泊りがけで一人旅がしたい。人生で初めての経験とかしたいよな。何か少し非日常な体験もいいかも。人に作ってもらったおいしいご飯を食べて、大きなお風呂に入って、ゆっくり読書でもしたいなあ。」この独り言は思わぬ形で叶う。前期日程も終わりかけの頃、私は人生で初めて救急車で運ばれた。
腰痛からの発熱が起こったので発熱外来にかかり、血液検査をしたところ見事に引っかかって大病院へ。このご時世のなか救急車にたらい回しされることなく乗れたのは、かかった街医者のご厚意他ならないので感謝してもしきれない。PCR検査によりコロナこそ陰性だったが、細菌感染系の病気で一週間の入院を言い渡された。救急車、PCR検査、CT検査、そして入院。うん、確かに人生初めての非日常体験だ。確かに言葉通りだ。でもこれを望んでいたわけじゃないんだよな。泌尿器系の疾患ではあったが女性であることも加味され、産婦人科病棟での入院となった。産まれたての命の第一声が響き合う病棟で、朝と夜の一日二回点滴に繋がれ、一日三回ご飯が出てくる。それ以外はひたすらに安静にする一週間が始まった。
ご飯は量は少し少なかったものの味が薄いわけでもなく、素材と出汁の味が効いていてとても美味しかった。消化に良い和食だけではなく、ハヤシライスやからあげなどの味の濃いものも出てくることに驚愕。私の病院食のイメージは昨年母が入院した時に小鉢にたくあんのテンションで添えられた桜桃を誤ってご飯のお供として食べてしまったという「桃ご飯の悲劇」の印象しかなかったので新鮮だ。総じて給食に出てくるようなメニューが多かったので少し懐かしい気持ちになる。愛情込めて作られた童心に戻れる優しい味のご飯。
多少動けるようになってからはお風呂にも入って良かった。お風呂といってもシャワー室なのだが、脱衣所もあってだいぶ広い。私は部屋はそれなりに広いのに風呂だけが異常に狭いアパートで暮らしているので、シャンプーをしても腕が壁に当たらないシャワー室に感動を覚えてしまった。いつもより大きな風呂。どれも望み通りなのにどこか腑に落ちない。それもそうだ、根本に体調不良があるのだから腑になんか落ちてたまるものか。
二、三日もすると点滴の効果か体の痛みは治まり、後は数値が正常化するのを待つだけになった。暇である。時間ばかりたくさんあるので持参していた小説を読完した。中島らもの「今夜、すべてのバーで」。アル中病棟の話だったので、種類は違えど病室で読むのにぴったりだろうとチョイス。これが素晴らしい読書体験だった。病院内で起こる物語を視覚として楽しむ傍ら、聴覚からは救急車の音や点滴の音など、リアルな病院の音が聞こえてきて作品の舞台に自分も居合わせているかのような気持ちになる。しかし、私の入院した沢山の小さな命が産まれゆく産婦人科病棟と主人公が緊急入院したギリギリの臓器で闘っているアル中病棟では、環境はまるで対比していた。改めて病院とは生と死に最も近い場所で、命の輪廻の通過地点なのだな、と感じさせられた。
こうして様々な体験を経ることのできた入院生活は幕を閉じた。辛い治療のなかにも面白いことや心惹かれるものはたくさんあったが、もう当分入院はこりごりだ。多分、だれも望んでこのような体験をすることはないだろう。今回の経験で、抽象的な願いは大きすぎるフラグ回収になりうる場合があると学んだ。具体的に行きたいところを考えていたほうが余計なフラグも回避できるし本物の旅の計画も立てやすいだろう。妄想も多少は現実的に、ということだ。しっかり療養はしたものの、やはり一番心惹かれるのは温泉旅行だ。近場だと、城崎なんかはどうだろうか。海鮮も美味しいらしい。…いけない。今度は電車に跳ね飛ばされるフラグを立てるところだった。
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