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去年から現在〜fishの雑談

去年、病気をした。
したと言うか、一度なると治らないというのだから、してるが正しい。
悪くならないようコントロールをしている。

去年まで言葉にすれば色々と大変な事が重なった。
母が長く病気を患っていて、それに伴い長く看病をしていた。
十何年前かに脳梗塞を、その後癌を約7年半。
母の他に祖母も居て、認知症で何年かデイサービスやヘルパーさんを経て施設入居していた。

祖母の事は施設入居後は本当に楽になった。
母の方は癌になってからは毎回病院に付き添った。
抗がん剤の時は周期通りだが、放射線の時は毎日病院の時もあった。
転移等で危ない時も何度か乗り越え、まるで双子のように一緒に闘ったと自分では思う。

その母の調子が一昨年辺りからぐんと悪くなり、週間隔の入退院を繰り返していた。
去年はちょうどコロナ流行もあり、病院がクラスターで受付てもらえず余儀なく転院をした。
最後は全身癌となり痛みとの闘いで訪問診療、訪問看護
痛みはオピオイドでも追い付かず、私の方も寝る時間、座る瞬間もなくなり
メンタルが限界を迎えてしまい、最終的に母は入院となってそのまま2週間と少しで空へと行ってしまった。

最後まで家に居させてあげたかったが、私自身がどうにかなってしまえば
母以外の家族の面倒もあるので、今考えてもあれ以外方法はなかったと思っている。
だから大きく後悔はない。
母も頑張ったし、私も頑張った。

それでもやっぱり介護というのは本当に大変で、
介護中は本当に気を張っているから何とか乗り越えられるのだが、
母の葬儀など全て終わった後で、気が抜けたのか
限界越えの余波か、具合が悪くなった。

私の具合悪さと同時に愛犬(もち丸の前のチワワの茶々丸15歳)も病気が出てしまい、
連日動物病院と自宅で水分補液の注射をしていた。

なんとか自分の具合悪さを持たせて、愛犬を看取りたかったのだが、
限界越えの限界を越えてしまい私は2週間ほど入院となり、
私の居ない間は私の兄と姪に愛犬の面倒を任せて、
最終的には愛犬は私が退院する日の朝に虹の橋へ行ってしまった。

ちなみに施設入居の祖母は2ヶ月前に95歳で老衰を迎えた。

悲しい事が続き、あれから来月でちょうど一年になる。
もう一年、まだ一年、ふと振り返ってこうしてnoteに書いてみた。

今、私は背負うものは減った。
だから減った分、自分を大切にしようと思っている。
私は多分、人に助けを求めるのが苦手。
求める相手の都合を気にしてしまう。
だからギリギリまで頼めず、全部自分で何とかしようとして気付かない内に限界を越えてしまう。
おちゃらけキャラなので、あまり愚痴も言わない方かも。
時々爆発するけど(笑

去年までにフルパワーを使ったので、今は
きっと側から見れば、ダラダラ怠けてだらし無く見えるかも(笑
労っているのです、自分を(笑


きっと今現在、介護をしている人も
介護に限らず
私と同様に、あまり人に助けを求めるのが苦手な人は沢山いるだろう。
助けを求めるまでは出来なくてもいい、
ただ誰かに相談をする事を遠慮しなくていい。
愚痴でもいい、誰かに聞いてもらう事は大事。
こういったnoteでもいい。

大変な状況を誰かに知っててもらえるだけでも
気持ちは楽になるし
アドバイスをくれる人もいるかも知れない。

同じような状況の人や乗り越えた人とも繋がれるかも知れない。

介護に限らず、心の辛さは
言葉に出せなければ
書くといいかも。
ちょっと重くなるけど、気にする事はない。


文才が無いもので、何が言いたいのか分からない文章になってしまいましたが、
私も出会った人の心を察せる人間になりたいです。
って言うのはちょっと傲慢なのかも知れないけど。

あの時の自分に、今の自分なら
なんて言ってあげるのだろう。
何もしてあげれなかったかも知れないけど、
話を聞いてそっと寄り添ってあげたかったかな。


今は怠けてるように見えて
自分を労っているのです(笑

茶々丸15歳虹の橋へ
家に来る前のベイビーもっちゃん

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