歴史裏話 福沢諭吉~偏見を破る難しさ
福沢諭吉といえば、「学問のススメ」を著したことで知られています。
この本は、当時としては驚異的な70万部を売り上げ、大ベストセラーとなりました。
冒頭の
という一節はあまりに有名ですが、
実はこの言葉は福沢諭吉が考えた言葉ではありません。
「云えり」とは、「言われている」ということで、
この言葉は、アメリカ合衆国「独立宣言」からの引用なのです。
もちろん、この一文のみで完結しているわけではなく、
と続いています。
正しいものを追い求める彼の思想の原点は、実は少年時代にさかのぼります。
彼が子供の頃、殿様の書状をまたいで、
兄に「ばちがあたる」としかられました。
諭吉はこんなことで本当にバチがあたるのか試したくなり、
神様の御札を足で踏んづけてみましたが、何も起こらない……。
おもしろくなった諭吉は、神社のほこらに奉られた石を、そこら辺の石と取り替えて、
大人達がその石に手を合わせて拝む様子を見ては、大笑いしたといいます。
古いしきたりにとらわれずに、理にかなった生き方を求めた諭吉らしいエピソードです。
しかし、そんな正義感の強い諭吉も、
「自分の娘は士族に嫁にやりたい…。」
と言っていたというから、何とも滑稽な話です。
実際に、娘の結婚に際して「身分違い」を理由に猛反対し、
結婚をやめさせてしまったそうです。
娘を思う複雑な親心…といったところでしょうか。
明治維新……時代の大きな転換期。
理想と現実の狭間で揺れ動く当時の人々の心の中を、
彼の言動に垣間見ることができます。
と同時に、
「人間の心の中に潜む差別や偏見は、容易に拭い去ることはできない」
ということを、諭吉自らが証明しているようにも思えます。
世の中の不条理を訴えた諭吉は、
自らの心の中の不条理をどうとらえたのでしょうか。
娘の「幸せ」を考えたとき、
彼が描いた理想の世の中にはなかった
別の要因が見えてきたのかもしれません。
諭吉の強い信念を曲げさせたものは何なのか…。
それは、激動の時代を生きた彼らから、
平和な今を生きる私たちへの宿題なのかもしれません。
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