象徴の蛇・隠喩の蛇

2013
ブログ「縄文と古代文明を探求しよう」2013年1月掲載、のち加筆

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

2013年.今年は巳年です。“へび”について考えるには良い機会ですね。
これから、「へび調査隊」のわたくし(隊員名:ハミハミ王子)が皆さんを「へび学」にご案内します。
「へび調査隊」とは世の中の名称・地名・図像・考古遺物などから“へび”を見つける巳右衛門隊長を中心とした集まりです。
蛇の目って何ぞや?へび調査隊が行く

嫌われている“へび”ですが人類が産み出した文化を見渡すと重要な扱いをされていることがわかってきます。
その中でも日本ではどのように扱われてきたか、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」から紹介します。

第1章.日本の蛇信仰を探る
「原始日本蛇信仰」と聞いて、ほとんどの方は「何それ?」と思うでしょう。
実は日本文化の根源には“へび”が深く関わっています。
吉野民俗学の根幹を成す「蛇信仰」とは、それ以前の民俗学にはない考え方です。
日本民俗学は“へび”を水の神のみに扱っています。しかし蛇はそれだけにとどまらず、もっと高位の祖先神・宇宙神であると吉野さんは主張します。
その証明のひとつが縄文土器になります。縄文土器に多くみられる縄目文様・S字文様・渦巻きなどは、すべて“へび”を表す可能性があります。

左道(さみち)遺跡        史跡尖石遺跡
 ではなぜ、“へび”なのでしょうか?ズバリ次の2点だと考えられます。
⦁ まず蛇の形態が何よりも男根を連想させること。
「爬虫類ことに蛇・亀の頭部は男根に相似であり、とりわけ、頭から尾に至るまでが
一本棒になっている蛇は、神聖な神のそれとして受け取れる。蛇から性への連想の度合いは、古代にさかのぼるほど露わで激しい。(吉野)」
⦁ 毒蛇・マムシなどの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃の下に倒す強さ。
「蛇が信仰の対象になった要因には、毒蛇の強さというものも考えられる。食物獲得のため不断に山野を跋渉する人々にとって、毒蛇やマムシは最大の敵であった。強敵故にこれを神として信仰し、その霊力の分与を願うのは自然の理であろう。(吉野)」
以上2点になります。

縄文土器以外にも日本文化にはたくさんの“へび”が隠れています。どのようなものが
蛇に見立てられたでしょうか。

山と蛇
「蛇のトグロを巻いている姿勢は、いつでも敵を襲うという気迫と尊厳を内に潜めているものであって、それは見る側の人間にも不気味さと共に、一種の冒しがたいものを感じさせる。(吉野)」
「秀麗な弧を描く円錐形の山容は、それに対する人の心に一種の敬虔な信仰心をよびさまし、この世ならぬ神聖なものへの帰依を人々に促さずにはおかない。円錐形の山は、それ自体、人の心を神の世界に誘うものではあるが、蛇信仰に蔽われていた古代日本の人の目には、それはとりもなおさず、祖先神の蛇がずっしりと大地に腰を据えてトグロを巻いている姿として映ったのである。(吉野)」

出雲大社竜神図                      三輪山

蛇の古語「カカ」
カガチ・カガミ・カカシ
いずれも蛇に関係する名称になります。現在も「ヤマカカシ」の名前に残ります。
「古代の日本人は実に種々さまざまのものを蛇に見立てた。山とか樹木のような大きいものからさらに身近な小さなもの、諸種の植物まで及んでいる。うねうねと伸び広がる蔓や地下茎をもつ植物に蛇を感じ、また、赤い三角のホオズキの実莢からは蛇の頭を連想した。蛇に見立てられた植物の名称のなかには、共通して「カカ」の語が潜んでいる。(吉野)」
「カカ」一覧表
             大蛇(カガチ)
     カガチ     酸漿(アカカガチ)

カカ   カカシ     大蛇(山カガシ)
             案山子(カカシ)
     
カガミ     蔓植物(カガミ)
             酸漿(カガミゴ)

鏡(カガミ)
「漢字の「鏡(キョウ)」には、本来、「蛇の目」の意味は少しも含まれていない。その「鏡(キョウ)」を日本人は「カガミ」と訓んだ。この「カガミ」を私は「蛇目(カカメ)」の転訛として捉える。(吉野)」

「蛇の目にはマブタがないため、その目は常時、開き放しで、まばたくということがない。(略)「マバタキ」のない蛇の目に出会うと、人間はじっと蛇から睨みつけられているように思う。その結果、蛇の目は特に「光るもの」として受け取られ、古代日本人の感覚に対して、蛇の目は非常に訴えるものがあった(吉野)」

「神話や古典の中にその例をいくつかみることができる。八岐大蛇でも、その恐ろしさはまずその目から描写され、「彼の目は赤加賀智の如く」と述べられている。(略)
「三諸の岳(三輪山)に登り、大蛇を捉へ取りて天皇にみせまつる。天皇、ものいみしたまはず。そのかみひかりひろめき、目かがやかなり。天皇かしこみて目を蔽ひて見たまわず、殿の中にしさり入りたまひ、岳に放しめたまふ。」(略)さしもの勇武をもってきこえた雄略天皇さえ、雷にも似たその目の輝きには射すくめられ、辟易してしまって、捉えさせてみたものの、早々に山へのお引き取りを願っている。(吉野)」

「中国では鏡に哲学的な意味を求めようとする思想があった。(略)日本においても神器としての鏡剣がこうした中国思想に呼応するものであったことは当然考えられるが
「鏡(きょう)」にカガミの訓みを与えた当時の日本人が、このような中国思想に影響されていたとは到底考えられない。(略)中国のそれとは切り離して考察したものである。(吉野)」下線筆者

三種の神器のひとつは八咫鏡です。考古学でも古墳にはたくさんの古鏡が出土されます。古代の日本人は殊更にカガミを重要視していたようです。外来の珍品のため重要視されていたと思われていますが、わざわざ輸入したカガミを鋳潰して自分たち好みに仕立て直すことまでしています。三角縁は中国では発掘されないそうです。

鏡餅(カガミモチ)
鏡餅が鏡の造形であるとはどうしても思えません。
カガミは「蛇身」の意味も含み、蛇そのものを指す語になったと推測します。
鏡餅の形態はトグロの造形であり、最上段の橙は「蛇の目」はないでしょうか。
鏡餅は年初に当たって歳神を迎える依代として造られるものですが、蛇身の造形で
あると推測されます。
上から見ると同心円模様になり、「蛇の目紋」になります。

歳神の本質
毎年、お正月に歳神様は各家庭にやってきてくれます。歳神様を迎えるために依代と
なる門松を飾り、鏡餅をお供えします。
 その歳神とは来訪神・穀物神・祖霊と考えられています。各地の言い伝えから更に
容姿や性格を探っていくと、いくつかの共通点が見出され、それらは“へび”につながる可能性があります。

各地の歳神の共通点
⦁ 海や山から来る、山の神 → 蛇は山に住む
⦁ 一本足の神 → 蛇は手足がない
⦁ 作物の神 → 蛇はネズミを食べる。備蓄した米を守る
⦁ 蓑笠をつけている → 蓑笠は扇・ビンロウ(檳榔)を媒介とした蛇由来の呪物

注連縄
「日本の神祭において蛇縄、綱引きなど、縄が蛇を象徴する場合は非常に多く、縄の中でもっとも神聖視される注連縄も濃厚な雌雄の蛇の交尾の造形と私は推測する。(吉野)」
出雲大社 諏訪大社

濃厚な蛇の交尾 
 http://www.youtube.com/watch?v=UXEYZR_K6JI
※蛇が苦手な方は見ないでください。

奥沢神社          下古山星宮神社

日本文化の形成と洗練
蛇信仰は古代日本に限ったことではなく古代世界に共有されています。
台湾原住民パイワン族やメキシコ・アステカ族ケツァルコアトルなど、古代世界を調べれば調べるほど“へび”はあらわれてきます。
神格化・象徴化は各国と日本とでは大きく異なります。他国では“へび”を直接的にそのまま造形しますが、日本では具体的に“へび”を造形し、神格化・象徴化することは、ほとんどありません。
あらゆる日本文化は「粗野から洗練へ」と同じ道を辿ります。それは“へび”の象徴化にも見て取れます
縄文時代は“へび”そのものを露わに土器に造形しています。
(それでも蛇の頭まで表現している縄文土器は多くはありません。)
弥生・古墳時代の扱いは間接的に象徴化が行われます。
埴輪や装飾古墳で見られる連続三角紋、同心円、渦巻紋は幾何学模様ですがこれらは
“へび”を象徴すると考えられます。
 その他にも一瞥では“へび”を連想するとは思えない象徴物を産み出しました。
それが鏡・剣・鏡餅・扇・箒・蓑・笠などになります。
(下線部の解説は本記事では割愛しました。ぜひ本書をお読みください。)
どうやら、日本人は抽象的な思考を苦手とし、物事を見える形にして理解することを好むようです。そのため“へび”を連想させるような自然物あるいは人工物を選び出します。
日本人は「物」を神格化・象徴化する成立過程で容易ならざる厳しさをもって挑みます。
その特徴は「モドキ好き」「連想好き」「凝り性」「対称好み」「完全追求」「不完全の美」などになります。
この段階を得て“モノ”は象徴化されます。そして信仰形態は“へび”そのものを
信仰するのではなく“象徴化されたもの”を信仰する方向に展開していきました。
その根底にあるのが“へび”に対する「強烈な畏敬と物凄い嫌悪」です。
この緊張が高度に芸術化され洗練されて「見立て」の信仰形態になったと考えられます。


如何でしょうか?日本文化の中にどれだけ多くの“へび”が隠れていて、独自の進化をしてきたか。そして、如何に多くの象徴物が現在も残っているのか驚かれたと思います。
次回は世界の蛇信仰を通して人類史において“へび”はどのような意味を持つのかを考えます。


第2章.世界の蛇信仰を探る
ここからは吉野裕子著「蛇 原始日本蛇信仰」(法政大学出版局1979年)から
更に踏み込んで
安田善憲著「蛇と十字架」(人文書院1994年)を
テキストに人類史における蛇の役割を見ていきましょう。

安田先生の専門は花粉分析を手法とした環境と文明を研究する「環境考古学」です。
この本に先行する文献が下記になります。
和辻哲郎著「風土 人間学的考察」(岩波書店1935年)
梅棹忠夫著「文明の生態史観序説」(中央公論1957年)
栗原籐七郎著「東洋の米・西洋の小麦」(東洋経済新報社1964年)
梅原猛著「美と宗教の発見」(筑摩書房1967年)
筑波常二著「米食と肉食の文明」(NHKブックス1969年)
鈴木秀夫著「超越者と風土」(大明堂1976年)
鈴木秀夫著「森林の思考・砂漠の思考」(NHKブックス1978年)
安田善憲著「大地母神の時代」(角川選書1991年)
これらの本はすべて比較文明論です。

始まりは1992年に安田先生が吉野先生と初めてお会いしたエピソードから始まります。その時に教示を受けた内容が
「安田さん、しめ縄は、実は蛇なのですよ。そう、からまって交合している雄と雌の蛇なのですよ」
この話を聞いて、安田先生は脳天を打ち割られる気がしたそうです。そして長い間抱いていた謎が一気に解けることになりました。

現在では“へび”は人類史において邪悪な象徴にされています。
皆さんが思いだすのは旧約聖書の「エデンの園でイヴが蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べる」という「狡猾で邪悪な蛇」ではないでしょうか。
しかし、古代地中海世界では“へび”は大地母神のシンボルでした。
クレタ島 地母神像
地母神像は豊満な乳房を露わにし、両手に蛇をにぎっています。それは豊穣と性のエネルギーを表し、恐ろしい力を持つ大蛇を自由にあやつる力を誇示しています。
旧約聖書成立以前の古代地中海世界は多神教による地母神信仰で満たされていました。
“へび”は森の神・自然の神であり不死・再生そして生殖の象徴である主神でした。

しかし紀元前1500年から紀元前1000年の頃に大きな世界観の変化があります。
蛇をシンボルとする大地の女神を殺し、天の嵐の男神を崇拝するようになりました。
天候神バールの登場です。
天候神バールは太陽の力を持ち、嵐と雨の神であり、豊穣と多産の神でした。
天候神バールの彫像は左手に“へび”を掴み、右手の斧で殺そうとしています。神話の中で七つの頭を持つ大蛇ヤムと闘い勝利します。
バール神
 大地母神が蛇を掴むのは蛇の力を体現し、自由に操る力を誇示しますが
 天候神バールが蛇を掴むのは蛇を支配し、殺し、勝利した姿になります。
信仰の中心は大地の女神から天の男神へと転向されました。

ヘブライ人の故郷カナンの地でも大地から天への転換が起きました。
それはモーゼがシナイ山において十戒を授かる天候神ヤハウェの登場です。
モーゼと十戒
地母神信仰の時代は多神教でした。天候神バールの時代も、まだ多神教でした。 
しかしヤハウェは決して他を認めない唯一神です。

“森の神ヘビ”は“火と嵐の神バール”によって殺されました。
“バール”も“唯一神ヤハウェ”によって殺害されます。

ヘブライ人の間で信仰された天候神ヤハウェが、その後天にのみ唯一神を認めるユダヤ教・キリスト教となります。

「ユダヤ教徒は、バール神と闘い、ヤハウェの唯一信仰を強固に確立するためには、多神教のシンボルである蛇を邪悪の象徴に仕立て上げなければならなかった。旧約聖書のエデンの園の物語はそれまであった多神教を攻撃する物語なのである。それ故、蛇はキリスト教の中ではずる賢い悪魔とされる運命をになうことになってしまったのである。(安田)」

ユダヤ教・キリスト教にはアニミズムの要素がなく、自然との融和的発想もありません。「十戒」は“神と人との契約”“人と人との契約”が重要であり“自然と人との契約”については書かれていません。
キリスト教の布教の裏に、多くの動物の滅亡があり、異教徒の迫害があり、文明の代償としての、森の滅亡と砂漠化の進行がありました。キリスト教は自然への畏敬の念を邪悪な気持ちと見なし、人間中心主義を強力に推進しました。
近代ヨーロッパ文明(近代合理主義)の開幕とともに蛇の霊力は完全に断たれました。それ以来、ヨーロッパの森はことごとく破壊されつくしました。
十字架こそ蛇に代表されるアニミズム追放のシンボルだったのです。

 それでは日本はどうでしょうか? 「縄文」に発する日本の宗教観・自然観は今に至るまで色濃く「蛇信仰」を保持し続けています。
 日本人も原生林を破壊しました。しかし、その後に成立する二次林の資源に強く依存した農耕社会を作り上げました。
 雑木林の二次林が生育する山を里山といいます。
落ち葉は肥料になります。薪や農耕具を作る木材も里山で得ることができます。里山で採れる茸や山菜は大切な食糧源でした。里山は水源涵養林の役割も果たしました。
そしてなによりも里山は野生動物の生息地でした。
 里山を核とする日本の農耕社会は、動物との共存の世界を実現しました。
しかし、このような自然との関わりを保っていた日本人でしたが、動物たちの霊力を敬う心を急速に失い始める時がやってきます。
 そのきっかけは明治維新であり、さらに決定的にしたのは高度経済成長です。それは里山の荒廃と軌を一にしています。
 金銭欲と物質欲のとどめようのない増幅作用の中で、動物たちの霊力を思い返すゆとりなどない生活を現在の私たちは送っています。
 先進7カ国の中で唯一日本のみが非キリスト教文明圏に属しています。しかも
「蛇信仰」まで温存させています。人類史的意味はここにこそあるのではないでしょうか。
多神教の復権、すなわちアニミズムルネッサンスを提言しているのが本書
「蛇と十字架」になります。

第3章.原始日本蛇信仰もうひとつの可能性
初回では吉野民俗学において日本文化の根源に“へび”が関わることをたくさん例証してきました。
前回は世界中に蛇信仰があり人類史に重要な意味があることがわかりました。
ここからは私の考察になりますが吉野説でも語られない重要な図像があります。

それは私たちの国旗「日の丸」です。

日本国の国旗に対して、軽率に発言すべきではありませんが、ひとつの可能性としてお読みください。
私たち日本人は太陽を赤く表現しますが、幼児教育で有名な話ですが世界中の子どもたちの多くが太陽を黄色、もしくはオレンジ色で表現します。言われてみれば太陽が赤く見えることはほとんどありません。
世界の国旗を見ると太陽は黄色で表されることが多くあります。

黄色の太陽
 アルゼンチン ・ ウルグアイ(アルゼンチンの影響) ・ ナミビア ・ キルギス
 アンティグア ・ バーブーダ ・ チベット ・ カザフスタン ・ キルギスタン
 ルワンダ ・ キリバス ・ ビアフラ ・ ニジェール ・ フィリピン ・
 マケドニア ・ モンゴル(一部に) ・ グレブリティッシュコロンビア州
 ナダ(円でなく色で表す)

白色の太陽
 サハ(ロシアの共和国) ・ 台湾 ・ レボア(光は黄色) ・ マーシャル諸島
 ネパール王国

赤色の太陽
 バングラディッシュ ・ バヌアツ(円でなく色で表す) ・ 
グリーンランド(日の出) ・ マラウイ(日の出、一時期白)

出典 図説国旗の世界史 辻原康夫 河出書房新社

ではなぜ日の丸は赤いのでしょうか?

それは日の丸が蛇の目を表すからだと思います。
蛇の目は古くから赤い目だと表現されます。
日本における最古の文献「日本書紀」「古事記」そして「ホツマツタヱ」どの文献にも
ヤマタノオロチの目はアカカガチと描かれています。カガチとはホオズキの古語になります。つまり赤いホオズキように目が赤いと表現されています。

「ホオズキ」の古語は「カガチ」ですが、「カガチ」は「蛇」を表す古語でもあります。
つまり古代の人々は「ホオズキ」は「蛇」に似ていると考えていたようです。
吉野裕子氏はホオズキの実莢がマムシの三角形の頭部に似通っているため「ホオズキ」は
「カガチ(=蛇)」と呼ばれていたと推察しています。確かにそっくりの形をしています。
   

しかし、頭の形は似ていますが、それだけでは なぜ「蛇の目」が「アカカガチ」と
表現されたのか疑問が残ります。
私は蛇信仰を調べていく中で重要な写真をウィキペディアのページで見つけることになりました。
それは一般的な赤い莢をしたホオズキではなく、赤い莢が枯れて葉脈だけが残り、中の赤い実が葉脈越しに見える美しいホオズキの写真です。
ウィキペディアから抜粋
この写真により、すべての点が繋がりました。
ホオズキは民間儀礼のお盆になくてはならない供え物です。
お盆とは仏教起源だと思われていますが実は日本古来の祖霊信仰であり、古くは
「藪入り」と呼ばれていました。そのお盆に無くては成らない供え物が「ホオズキ」です。赤い実に先祖の魂が宿ると考えられています。

この古くから繋がる祖霊信仰の「お盆」と原始蛇信仰の関係性について吉野氏は著書
「日本人の死生観」において次のような推測をしています。

「現世の背後に広大にひろがる他界があり、蛇こそ他界を領する主、すなわち祖神であった。人は他界から来て、他界へ帰る。誕生とは蛇から人への、死とは人から蛇への変身であった。」

人は亡くなると蛇に戻り、山奥の他界に消えていく。と推測されました。
そのように考えると、この写真のホオズキから発想された見立てには驚きます。
どのように見立てられたのか私の仮説を説明します。

葉脈だけが残った実鞘は脱皮した蛇の頭部に見立てられ、「生まれ変わり」もしくは「死」を表しています。次にその中に「赤いタマ」があります。これを蛇の赤い目、もしくはタマシイ(魂)に見立てていたと考えます。ホオズキの呪物化・象徴化は三角の形態が蛇の頭に似ていることだけではなく、蛇の脱皮も含めた「見立て」が行われていたと考えられます。
 死んで蛇に戻った祖霊は山という他界に住み、お盆になると現世を生きる家族の元にホオズキの実にタマシイ(魂)を宿し、山から迎えられたのではないでしょうか。
現在も行われる民間習俗である「迎え火」の原型があったと考えます。

古代から日本人はホオズキの赤い実に先祖への敬愛の気持ちを込めていたと私は考えます。日の丸の赤い玉は私達の来歴に繋がる先祖のタマシイを表すのではないでしょうか。


ここまでは日の丸が蛇の目を表す可能性を書いてきましたが、けして日の丸が太陽を
表すことを否定しているわけではありません。
次に「太陽」と「蛇の目」の関係を考察します。

一見関わりがないように思われるかもしれませんが”太陽と蛇”は“循環と再生”を表します。
この考え方は世界の古い文明を調べると共通点が見つけられます。
例えば古代エジプト文明です。

このように太陽神ラーの頭に赤い太陽とそれを取り囲むコブラの図像があります。

その次はマヤ文明のチチェン・イッツァ遺跡のピラミッドです。
ククルカンの降臨と呼ばれ
春分の日と秋分の日の夕方に蛇の神様ケツァルコアトルが 
ピラミッドの階段に蛇の姿となってあらわれます。

このようにどちらも太陽と蛇は切っても切り離せない関係になります。毎日毎日繰り返し浮かび上がる太陽は循環と再生を表します。

それでは日本に話を戻します。
縄文人の集落には夏至や冬至になるとムラから見える山の頂に日の出がちょうど重なることが多く、風景と太陽を組み合わせた縄文カレンダーがあったのではないかと考えられています。(小林達雄著 「縄文人の世界」から)
そこでこのように考えられないでしょうか。山は蛇であり、連なる峰は蛇体になります。
すると山頂は蛇の頭になります。
だとしたら、蛇の頭(=山頂)から昇る太陽は蛇の目を表すことになります。

 蛇・太陽・山には一貫性のある関係性が見いだせそうです。
ホオズキの「赤いタマ」は蛇の目となり、山は蛇体のため「太陽」を蛇の目に見立て始め
象徴物となり、赤い太陽の「日の丸」に行き着いたのではないでしょうか。
日本においては、蛇信仰と太陽信仰は緩やかに移行したと考えます。
稲作が盛んになると蛇信仰は沈み、天候を司る太陽信仰にシフトしたと想像します。
2000mを超える山頂部で石器が発見されることがあります。山に対する信仰心から縄文人が登山を行っていたと考えられています。

私たち日本人は初日の出や朝日を大切にします。縄文人もきっと見ていたでしょう。
山頂に到着すると頂上で見る景色は連なる峰が全方位にわたって取り囲みます。

連なる峰から昇る太陽は蛇の目を表し、巨大な蛇(大自然)が目を覚ましたと縄文人は考えていたかもしれません。

もし、「日の丸」の始まりが蛇の目だとしたら、それは私たちの祖先が森を敬い、大切にしてきた証しになります。
世界中の古代文明は森を食いつぶし自滅していきました。
残ったのはハゲ山と砂漠と遺跡です。日本には森林がたくさん残っています。
国土の7割が森林であることは世界を見渡せば奇跡的なことです。
「森林がある」ということは縄文時代から続く祖先からの贈り物だと私は考えています。縄文人と現代の我々日本人には確かな繋がりがあり、
私たちの国旗は1万年以上の歴史を持つ縄文由来の国旗となるのではないでしょうか。

今年の初日の出を拝まれた方も多いと思います。縄文人が捉えていたかもしれない「風景の見立て」を想像していただけたら、日本人と自然との関係を再考する機会になるのではないでしょうか。

出典 図説国旗の世界史 辻原康夫 河出書房新社

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