見出し画像

【連載】この人生を生きるのに大切なこと 7

「私も連載を持ちたい!」という欲求のまま勝手に始めた月1連載。
HSP気質で、片頭痛、うつ、喘息を持病に持つ私が、生きるのに大切だと思うこと1つをテーマに、経験や考えを書いていきます。
毎月第1水曜日更新予定。

第7回 書くということ 

note連載を始めて半年経ちました。
毎月第1水曜日更新と言いながら、たまに間に合わなくて木曜日になる時もありましたが、(今回もそうなる・ごめんなさい)半年間続けて来れました。
読んでくださった方、いいね付けてくださった方、ありがとうございます。励みになります。
今回はこれを機に「書くこと」について書きたいと思います。

初めての執筆

初めて自分で何かを書いたのは小学6年生の時。
当時の友達とよく図書館で遊んでいて、本を読むようになりました。
読んでいたのはティーンズ文庫とかコバルト文庫とか。小泉まりえさんとか折原みとさんとかが好きでした。
後に始める演劇もそうですが、私は好きになったことや興味のあることは見たり読んだり調べたりするに飽き足らず自分でもやってみたい方なんですね。なので小説を書いてみたくなりました。
初めての小説は女子3人と男子3人の恋愛の話。小泉まりえさんに影響を受けまくりの作品でした。
それでも自分でストーリーや人物を考えて自分で表現できることが楽しくて。一緒に小説を書いていた友達と回し読みして感想をもらったりして、読者さんができたことも嬉しかった。
それ以降、うつを患う20歳くらいまでは小説をずっと書いていました。

ホームページ

大学に進学したのを機に、レポートを書くのに必要だろうとノートパソコンを買ってもらいました。
進学した2002年当時はまだWindows XPの時代。国がインターネットの普及を頑張ってた時代です。
私も初めてインターネットに接続したのが高校3年生の時。図書館で10分100円で、家にネット環境がある友達に助けられながらだったのを覚えています。
私たちの下の学年からは高校までにパソコンの授業があるらしく、大学でパソコンの使い方の授業をやるのは今年が最後だと言われました。
私は大学のパソコンの授業だけでなく、大学生協でやってるパソコン教室にも参加。そこでタイピングの練習やインターネットの接続の仕方を学びましたが、一番興味があったのがホームページの作成でした。
当時はまだブログもなく、個人がホームページを作成して運営しているのが主流でした。「侍魂」っていうホームページがアクセス数がすごくて人気がありましたね。
私もホームページを作成して自分の小説を何本かアップしてました。
ただ小説だけだと更新頻度が下がってしまうので、日記もつけてました。
20歳でうつを発症し、創作物が書けなくなると、更新はほとんど日記だけになりました。うつ真っ盛りのダークな日記です。多分、今読むと吐き気を催すかもしれません。幸いなことに、この日記ツールを提供していた会社がなくなったのか、今は読むことができません。
本体のホームページはいくつかのサーバーに移転しつつ、最終的にはジオシティーズに落ち着いたのですが、去年サービスを停止。そのまま終わりにしました。

ケイタイ出会い系サイト「VIP館」

うつ真っ盛りの時は一日の大半を布団の上で過ごすということも多いです。
その時にケイタイを触ることも多いのですが、一時期、出会い系のサイトを徘徊している時がありました。
出会い系のサイトは今も同じかは分かりませんが、利用者のほとんどが男性で、サクラではない女の子はあまりいないらしいです。
なので「話せる人いませんか」ってだけでも「俺、ヒマしてるよ」って返事がわんさか来る。
そういう反応性を楽しむっていう時期がありました。
そのサイトに「VIP館」っていうサービスができました。
利用者それぞれにマイページがあり、プロフィールや日記を投稿できたり、ダイレクトメールが送れたりするサービスでした。
これができてからは、うつ真っ盛りの日記はこちらにアップすることが多くなりました。
何人かこのサイトの中だけで交流のある友達みたいな人もいましたが、突然閉鎖されてアクセスできなくなりました。うつ真っ盛りの時の日記はことごとく今はもう読めません。

mixi と facebook

先述のVIP館もよく考えたらSNSみたいなものなんですが、初めてのSNSはmixiでした。ただ、始めたのはかなり後で、紹介制はもうなくなっていた気がします。
それから大学を卒業してしばらくしてからfacebookを始めました。
卒業して地元に戻ったので、学生時代の繋がりがなくなるのが寂しかったんですね。
ただ、両方ともリアルな私と実際の繋がりがある人が「ともだち」なので、今までつけていた日記みたいに自由に感じたことや思ったこと、考えたことを書ける場ではなく。
いや、mixiは最初は自由に書いていたんですが、途中でトラブルになり、書けなくなった。と言っても妊活日記つけてたので、内容としてはプライベートかつセンシティブなんだけど。
今回振り返って気付きましたが、この時期が一番書いてないですね。
その分、夫に話していたかもしれないです。

過呼吸で倒れる

2019年1月、過呼吸で倒れました。
休職して1ヶ月くらい経った頃、「書きたい」という気持ちがまだ自分にあることに気付きました。
体も気持ちもボロボロになってぶっ倒れて、自分の中がからっぽだと思っていたけど、まだ何かを書きたい、何かを表現したい気持ちがあったんだということに、自分でもびっくりした。
でもそれは確かな気持ちだった。
また懐かしくもあった。
昔はいつも書いていた。初めて書いた小学6年生の時からずっと。
20年以上続けていることなんて他にない。
またやってみようか。できることから少しずつ…
そんな思いで今のブログを始めました。

ブログ と Twitter と note

2019年2月、ブログ開始。
2020年5月、Twitter開始。
それから2020年12月、note開始。
noteを始めたきっかけは「はじめまして」

https://note.com/first_asahi/n/n25e328ca4b5f

に書いていますので、良かったらどうぞ。

ブログは2人だけリアルな付き合いのある人に教えていますが、Twitterとnoteは誰にも教えていません。でもブログでTwitterを引用してるから、そこから辿れば全部読めますね…(今気付いた)
facebookは今でも続けていますが、リアルな私が人に知らせられる投稿だけです。最近はあまり投稿していません。

これから

今、この時というのは、私の人生の中でも大事な過渡期なんだろうなと思っています。
今までの、生きにくくて、何度もうつやパニックになってしまうような生き方を、過去を切り捨てて、生きやすい自分を、生き方を見つける時期。
この過渡期を記録出来たことの幸運を感じる時が、後々来るんじゃないかとなんとなく思っています。
例えば、私と同じように生きにくさを感じている人、HSPの気質を持っている人、うつを患っている人に私の経験が何か役に立つかもしれない。
けれど、今の私は何かを発信して誰かの助けになれるレベルではない。
ただ知識的に学んだことを誰かに伝えてもいいかもしれないけど、私の文章に力が宿るのは、自分の体験や感じた事に基づいて、その時感じた感情や感覚を、正確に、実感をもって表現した時だと思う。
そのレベルにまだ達していないから、書いたところで表面的になり、誰の心にも届かない。
別にそういうビジネスをしようと思ってるわけでもないし、誰かの役に立たなければいけないからでもないし、役に立つと思い上がっているわけでもないんだけど、なんとなく、今の時期の経験に何か意味があって、後々の私の血となり肉となったら素敵だなと思ったんです。
「あぁ、あの時期のあの経験があったから、今、こんなにも実感をもってこの文章が書けている」と思える時が来たら素敵だなと。
何か、私という人間の真理の追究、研究の成果を求めて、定期的にnoteにまとめていくうちに、いつの間にか同じような悩みを持つ人の心に届く何かができあがっていくような、私もその積み重ねに助けられるような、そんな感じです。

そんな大事な時期に気付いた自分の大切なこと。
「私の人生で一番大切で必要なことは愛。一番やりたいことは自己表現」
だから、今、書くということを続けています。


☆ブログ

☆Twitter
asahi|HSPミニマリスト@first_asahi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?