国境の町まで

次の予防接種までは、あと1ヶ月あった。さすがに、あと1ヶ月この国に居続けるには、僕が予定している旅程はあまりにも短か過ぎた。
カンボジアへ行こうと思った。特に理由はなかったと思う。同じくタイと国境を分かつ国ミャンマーと悩んだ。ミャンマーは、10/1からビザ取得が必要なくなるという、ちょうど日本人旅行者にとっては節目の時期を迎えたばかり。10月に入って間もない今、ビザ無しで行くのには少しリスクがあるかもしれないと思った。1ヶ月のうちの後半でも遅くはない。

バンコクからアンコールワットがあるシェムリアップという都市までの移動手段は、僕が調べた限りでは、現実的に、飛行機かバスで直行する方法と、国境までは鉄道、カンボジアに入ってからはバスかタクシーでシェムリアップに向かう方法の大きく分けて三種類の選択肢があることがわかった。鉄道で行くしかないと思った。別に鉄道に特別な興味関心があるわけではなかったが、鉄道での旅という言葉とその響きから発せられるある種の神秘的な求心力のようなものには、どうしても惹きつけられざるを得なかった。

モスクワからウラジオストクまで、ロシアを南北に分かつように東西に敷かれたシベリア鉄道と呼ばれる世界最長の路線がある。この旅では、今のところ乗車の予定は無いが、いつかは必ず、シベリア鉄道でロシアを横断しなければならないと思っている。それをもはや、欲求という範疇を通り越して、誰かから課された使命のようなものと受け取り、自分を納得させて生きていくことも可能だった。

バンコク市街のパヤタイ駅から国鉄に乗り、国境の町に向かう事にした。


↑国鉄パヤタイ駅。これが駅?と思う程、こじんまりしている。閑静な立地に見えるが、ゴリゴリの街中にあり、真上にはBTS(スカイトレイン)のパヤタイ駅がある。


国境の町までは、約150kmの道のりを5時間半かけて走る。乗り込むとすぐに、僕の荷物の大きさを見兼ねたのか、おじさんが詰めて席を空けてくれた。どこへ行くのかと訊かれたので、少し前に覚えたばかりの「アランヤプラテート」をたどたどしい発音で伝えた。日本から来たんだと教えると、「ヨコハマ、オオサカ」と言うので、その後に「東京」と付け加え、更に「広島」と小さい声で呟いた。座席がプラスチック製で、ずっと座っていると尻が痛くなる。少し大きめの駅に止まるたびに、売り子のおばちゃんが車内に入ってきては、何かを売って回っているようだった。


↑国鉄の車内。日本と似ていなくもないが、とりあえず、床にゴミが多いのと、基本全窓を開けっ放しなので車内を突風が吹き荒れるている。


最初は新鮮だった外の景色も、こうも変わりばえのしない田舎風景が続くとさすがに飽きてくる。いつのまにか眠ってしまい、気がつくと、隣のおじさんは居なくなっていた。


↑世界の車窓から。タイ国鉄バンコク〜アランヤプラテート編。大体こんな感じの何もない草原風景が続く。


それからしばらく眠ったり起きたりを繰り返した。座席が硬くて寝心地が悪い。終点に近づくにつれて乗客が減っていき、一区画を一人が占有できるようになると、みんな座席の上に脚を伸ばしたり、寝転んだりと自由な体勢でくつろぎ始めた。ここぞとばかりに僕も寝転んで眠った。「郷に入れば郷に従え」良い言葉だ。
そうこうしているうちに、車窓から見える景色が少しだけ町のような雰囲気になってきた。カンボジアとの国境の町アランヤプラテートに到着した。


↑ここまで運んでくれた列車。


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hiroyuki fukuda


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