国境の町

駅から出ると、すぐに雨が降り始めた。考えようによっては、歓迎されているように受け取れなくもない、比較的乾いた気持ちの良い雨だった。


↑扇風機を担いで列車から降りて来たおばちゃん。


宿の目星は付けていたが、インターネットで予約できそうになかったので、行ったとこ勝負を決め込んでいた。空室がなければ別の宿を探せば良い、それだけのことだ。歩いているとすぐに、トゥクトゥクのドライバーが蟻のように群がって来る。雨は降っていたが、傘を持っていたのと、歩いて行けなくはない距離だったので、笑顔で断った。それと何より、街並みをゆっくり見てみたいという気持ちもあった。旅が始まって約十日、既に僕は、どんなにしつこい勧誘も笑顔で断れる柔軟さを身につけ始めていた。


↑大きめの銀行とかもあって、そこまでど田舎という感じでもない。ちなみにこれはカンボジアの銀行。さすが国境に近い町といった感じ。


バンコクとは、何から何まで全てが違って見えたし、実際に違っていたのだと思う。この旅で初めて、自分は今、外国にいるんだなという実感を持つことができた。寄り道をしながら、駅から三十分くらい歩いていると目当ての宿についた。歩いているうちにすっかり日は落ちてしまっていた。ロビーで、今夜一泊したいと伝えると、料金表が出てきた。一番安い230バーツの部屋を選んだ。一番安いとはいえ、バンコクでは一泊130バーツかそこらのドミトリーに泊まっていた僕にとっては、そこそこ贅沢な部屋には違いなかった。


↑ARAN GARDEN HOTEL 1。ちなみに、2もこの近くにあり、1よりも少し綺麗。


部屋に案内された。そんなに悪くない。そもそも他に誰も人がいない部屋というのが、この旅で始めてだった。ベランダがあったので外に出てみようとドアを開けると、タイミングよくヤモリのような小さいトカゲ型の小動物が部屋に入って来て、そのままスルっとベッドのフレームとマットレスの間に入り込んで行った。ここでは、もう二度とベランダのドアは開けまいと心に深く誓った。どうやら今夜は、ヤモリと寝床を共にすることになってしまったようだ。


↑ベランダからの眺め。高層の建物がないので、遠くまで空を見渡せる。


まだ19時だったので、シャワーを浴びてから、外を散策してみることにした。近くにナイトマーケットがあるらしかったので、そこへ行ってみた。噴水広場を取り囲むように十数軒の屋台が散在していた。こじんまりしてはいたがマーケットと呼べなくもない。週末ならもっと賑わっていたのかもしれない。「PAD THAI」と文字が書かれている屋台を見つけたので、迷わずパッタイを注文した。相変わらず美味しかったが、失礼な話、お腹が弱い人なら、体調を崩してしまいそうな類いの屋台ではあった。


↑パッタイの屋台。手際がめちゃくちゃいい。ちなみに、写真下の方の黒い点々は、全て虫。


その後も少し歩いていたが、少しずつ寒気がし始め、明らかに体調が悪くなっていくのがわかった。朝から、10キロを超えるバックパックを背負いながら移動を重ね、昼前に予防接種をして、その後、長時間の列車移動と、まだまだ旅慣れしていない身体には少々ハードな日程だったかもしれない。疲弊して抵抗力が弱まっているに違いない。旅を始めてから、自分の身体のちょっとした変化にもきちんと気を遣えるようになった。日本にいる時には何とかなった体調不良も、海外、それもすぐにまともな医療機関にかかれないような地域では特に、少しの気の緩みや処置の遅れが、旅を中断しなければならないほどの致命傷になりかねないということを、誰から教わるわけでもなく、知らず知らずのうちに理解していたのだと思う。命だけは、大切にしなければならない。

すぐにホテルに帰り、日本を発つ日に友人から餞別としてもらった葛根湯を飲んで、暖かい格好に着替えてからベッドに横になった。無事に明日、国境を越えることができますようにと祈りながら。

そして眠りは驚くほどすぐにおとずれた。


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hiroyuki fukuda


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