トンレサップ湖

日を追うごとにゲストハウスの宿泊客が増え始めた。僕のいるドミトリーにも一人大学院生が入って来た。彼は、大学生活最後となる今年、東南アジア周遊を思い立ち一人で各地を周っているのだと言う。僕の大学時代の事を考えると頭が下がった。僕の大学時代など、友達やその時付き合っていた彼女と、その日その時をいかに楽しむかということに必死で、東南アジアのことなどは愚か、日本から出るという発想自体、頭の片隅にもなかったはずだ。
他にも、まだ十九歳で同じく東南アジアを周っている青年や、僕と同じか少し年下くらいの休暇を利用してカンボジアとタイに旅行に来ている女性など、続々と旅人が集まってきた。皆、アンコールワットやプレアヴィヒア、ベンメリアなど、思い思いのスポットへ観光に出向いた。僕はと言うと、遠出するのが少し億劫になっていたというのもあり、シェムリアップから車で片道一時間程度で行けるトンレサップ湖というところに行ってみることにした。東南アジア最大の面積を誇るその湖は、雨期と乾期では、面積で言うと四倍、水位で言うと十メートル以上も差があるらしく、今は雨季のため見頃を迎えているようだった。前の宿に泊まっている時に、そこの食堂に何かのツアーの一環で昼ご飯を食べに来ていた日本人の女の子から勧められていたので、行ってみようかと思い立った。そこまでは、自分でトゥクトゥクを手配して行くよりも、ツアーで行った方がかなり安く済ませることができると何かに書いてあったので、英語ガイド付きのツアーを予約しておいた。日本語ガイド付きのツアーもあったが、なんとなく英語の方にしてみた。

当たり前のように三十分遅れで宿に送迎バスが到着した。バスに乗り込むと、当然の如く欧米人がほとんどで数人中国人が混じっているようだった。陽気なツアーガイドと僕達を乗せたバスは、あっという間に街中から外れ、自然豊かな田舎道を進んで行く。面倒臭そうにゆっくりと田んぼの中を歩き回る水牛や重たそうにリヤカーを引っ張るおじさんには目もくれず、田園風景の中をひた走る。道が悪く、時折、車体が大きく揺れた。


↑お調子者のツアーガイドさん。いかしたサングラスをかけていた。


しばらくすると、湖らしきものが見えてきた。湖だとわかっているから湖だと思えるものの、巨大過ぎて対岸が見えないため、何の情報もなければ海と勘違いしてしまいそうになる。景色こそ似ても似つかないが、海と間違えそうになる感覚は、琵琶湖のそれを彷彿とさせた。波止場のような湖の中に一本突き出た道をバスで進んでいく。左右どちらを見ても、見渡す限り湖が広がり、水中奥深くに根ざす草木が水面からひょっこりと頭をのぞかせている。道沿いには無数の船が停泊しており、漁船のようなものもあれば客船もあったが、そのほとんどは後者で、そのほとんどの船首にはカンボジアの国旗が高々と掲げられていた。バスから降りて船に乗り換える。三十人ほどは乗れそうな比較的しっかりした大きな客船だった。怒号のようなエンジン音と共に出発し、大量の水しぶきをあげながら唸るような音をたてて水面を滑走して行く。異国で乗る船というのは、何とも言えない魅力があった。それも豪華客船やクルーザーではない、転覆しないかとかエンジンが止まるんじゃないかとかそんな一抹の不安を抱きながら乗る船が何ともスリリングで僕の冒険心をくすぐった。
ガイドが時折何か説明しているようだったが、あまり理解できなかった。ガイドが何か冗談を言い、それに合わせてどっと笑いが起きるが、自分には何が面白いのかわからなくて、引きつったような愛想笑いしかできない。そんなものにはもう慣れてしまった。単に英語がわからないということもあったが、それに追い打ちをかけるように、エンジン音がうるさすぎる。後ろの方に座っている僕には、ガイドの声が届いてこない。ガイドは、どうやら二人組で来ていた若い中国人の女の子達が気に入ったらしく、頻繁にちょっかいを出していた。しばらく進むと、建物が乱立している区画が見えて来た。集落のようなものなのかもしれない。当たり前のように水上に立ち並ぶ家屋で生活する人々、当たり前のように移動手段として船を使い、当たり前のように船の上に商品を広げ商売をする人々。僕の中では全く当たり前ではない、言わば衝撃的な景色がそこに広がっていて、その中ではごく普通に日常生活を営んでいる人々がいた。自分の中の常識が平気で覆され、当たり前という概念が音を立てて、いとも簡単に崩壊していく。それはまるで、バランスを失ったジェンガタワーのように無力で、為す術が無く、一度均衡が崩れればもう二度と元通りに戻るということはない。そういう類いの永続的な破壊だ。僕はこの自分の世界がひっくり返されるような感覚が好きだった。もちろんそれは、時には苦痛を伴う経験であるかもしれないし、怒ったり、悲しんだり、どれも自分にとっては良い事ばかりではないかもしれないが、それでも僕は、まだ見ぬ僕の常識を覆してくれるような何かに、これからもずっと出会っていきたいと思う。そうやって、当たり前とか当然とか常識とか絶対とか、自分の頭の中を隔てる境界がいつか溶けてなくなれば、その時には、僕はもっと美しい言葉でこの世界を語ることができるかもしれない。


↑水上生活。ここでは、まだ小学生くらいの幼い子供も家の仕事を手伝う。学校も水上にあったが、いける子供は限られているのかもしれない。


何やら船着場のようなところに到着し船を降りる。そこで今度は、三、四人乗れば満員になるような小さい船に乗り替える。二人一組で乗るらしく、二人組で来ている客達が次々に乗り込んでいく中、列の後ろの方で、一人だしどうしようかと悩んでいると、同じような事を考えていそうな一人で来ていた中国人の女性がいたので、声をかけて一緒に乗ることした。料金は、一隻十ドルなので、二人で割り勘して五ドルずつ支払った。今度の船にはエンジンはついておらず、船の先頭に座った船頭の手漕ぎで進んでいくようだ。僕たちが乗った船の船頭は、まだ十代半ばくらいに見える若い女の子だった。それこそ転覆する可能性があるような小さい船だったため、少し頼りないなという気持ちはあった。どうやら運命共同体の中国人女性も同じようなことを考えているようだった。そんな僕達の不安を乗せて小船は出発した。トンレサップ湖は、そのワニの漁獲高でも有名だという要らない知識まで詰め込んで来てしまっていたので、湖に落ちてワニの餌食になる自分の姿を脳裏にちらつかせ、静かに息を飲んだ。僕達のちょっとした座るバランスによってだけでも、船体が大きく左右に揺れ、その度に、中国人女性が悲鳴をあげた。歳は僕と同じくらいか少し上ぐらいだろうか。日本人だと竹野内豊が好きだと言うその女性の背中と腕には、花柄のピンク色のタトゥーが入っていた。僕が話す英語は、他の日本人と違って発音が良いと褒めてくれた。嘘でも嬉しかった。


↑船頭の女の子。シャイなのか、福田のことが嫌いなのか、話しかけてもリアクションがない。


僕のイメージの中のアマゾンの秘境のような狭い流路を進んでいく。あるいはマングローブ林というのは、このような雰囲気なのかもしれない。いずれにしても行ったことがないので想像の域を脱しない。何度か障害物に引っかかり、その度に船頭の女の子が必死にそれを避けようとしているのを見ていると、少し心もとない気持ちになった。しかしそれも最初だけで、見慣れてくると、女の子の背中からは、僕にはない種類のたくましさや度胸を感じることができた。「こっちは仕事でやっているんだ。何回同じ事をやっていると思っているんだ。なめてもらっちゃ困るよ、まったく」そんな声が聞こえてきそうだ。そしてそれは、間違いのないことだった。この女の子は、きっと僕なんかよりずっと大きくてたくましい。


↑こんな感じの草木が生い茂る狭い流路を進んで行く。

二十分くらい経っただろうか。小船が元の船着場に戻った。船着場で小船に乗ったままガイドが記念撮影をしてくれた。他の客も続々と戻って来ては、ガイドに写真を撮ってもらっていた。最後に若い中国人の女の子二人を乗せた小船が戻って来たが、その時だけは、ガイドも小船に乗り込み、一緒に並んで写真を撮っていた。露骨な行動に出るガイドに、「このエロガッパが!」という意味を込めて、「ナイス!」と声をかけておいた。それから、こじんまりした水上のレストランのようなところで小休憩を挟んでから、元の客船に戻った。
波止場に戻ってから、バスに乗るまでの間に、欧米人のおばさんに急に声をかけられた。
キャン ユー スピーク イングリッシュ?と訊かれたので、おきまりのア リトルと答える。
「来年の1月に広島に行くんだけど、何をすればいいかしら」
なぜ僕が広島出身だとわかるんだと一瞬不思議に思ったが、そういえば行きのバスの中で、一人一人、自己紹介がてら出身の国と都市を発表していたのを思い出した。
何をすればよいかと訊かれても、正直何も思いつかない。お好み焼きはどうですかと尋ねると、お好み焼きは好きらしく、あとはオクトパスボールも好きだと言う。たこ焼きは、広島じゃないんだけどなと思いながら、口には出さない。日本には4回も行ったことがあるらしい。よく聞き取れなかったが、野沢温泉や博多に行ったことがあって、東京には2回行ったことがあるが、広島は今回が初めてで、あとは山口の錦帯橋にも行くらしい。錦帯橋のウェーブは6個だったっけ?と訊かれるが、そんなものは数えたこともないので、アイ ドン ノウだ。オーストラリアから来ているのだと言う。学生かと訊かれたので、違う、仕事を辞めて世界を周る旅行をしてるんだと伝える。オゥ グレイト!と言ってくれた。オーストラリアには来るのかと言われたが、今のところ行く予定はないので、申し訳なさそうにソーリーと手のひらを合わせた。

夕方頃宿に戻ると、また新たに宿泊客がやってきたところで、その二人も含めてパブストリートに夜ご飯を食べに行こうということになった。シェムリアップ滞在、最後の夜だった。


↑一番左がガイドさん。左から三番目が一緒に小船に乗った中国人女性。左から四、五番目がガイドさんのお気に入り。一番右がオクトパスボール好きなおばさん。


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hiroyuki fukuda

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