「金太郎飴」授業
わがマチでは、全国学力学習状況調査で数値を上げること自体を目的とした教育行政がはびこってしまっている。これは現場にいる教員にも少なからず影響を与えており、学校が主体となって進めるべき授業改善の方向が大きくゆがめられてきている。
数値の向上を目的とした教育行政は、あらゆる手段で学校の教育を不当に支配しようとする。例えば、スーパーティーチャー制度などはその最たるものだ。
スーパーティーチャー制度とは、”めざす授業”(教育委員会が推奨する授業スタイル)を、授業改善の名のもとに各学校に押し付けるための教育委員会の手立てだ。
教育委員会は、”めざす授業”を積極的に推進している現場教師を各学校の中から選定し、”スーパーティーチャー”に任命する。そして数名の”スーパーティーチャー”を、学力テストで”低学力”と位置付けられた学校に送り込むのだ。
”スーパーティーチャー”は、送り込まれた学校で、担任の授業の改善点を指摘する業務を担う。
「板書がどうだ」「発問がどうだ」「教材の解釈はどうだ」と、教育委員会が”めざす授業”に近づけることを任務として活動する。(けっして板書や発問等を軽視しているということではない。)
とりわけひどいのは、「机上にある鉛筆の本数は何本にしよう」「教科書は机の右上に置くようにしよう」など、細かな学習のルールまで押し付けようとする。
これは、知らない人が他人の家に土足で上がり込み、指導の名のもとに、家庭のルールにああでもない、こうでもないと文句を付けるようなものだ。
教育委員会は、スーパーティーチャーを各学校に送り込み、どの学校でも同じような授業、まるで”金太郎飴”のような授業を作ることが、学力調査の数値を上げることにつながると考えているようである。
本当にこれでよいのだろうか?これで子どもたちが学ぶことに喜びを感じ、「もっと学びたい」「次はこう工夫したい」と進んで学びに向かうようになるだろうか?
どの教室にも個性の違う一人一人の子どもたちがおり、その子どもたちの個性を把握し、一人一人の実態に合う授業を考え、進めることができるのは、担任教師だけだ。
どこを切っても同じ、金太郎飴のような授業が子どもの学びたいという気持ちを高めるはずはないと考える。
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