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映画『ミッシング』の感想〜我々に失われている視点を考える2時間〜【新作映画レビュー】

またもとんでもない映画に出会ってしまった。

そんな感覚になった方は多いのではないかと思います。石原さとみさんが出演されているということで観に行ったお客さんは特に衝撃を受けたのではないかと推察されます。

主演の石原さとみさんの女優魂を感じる作品で、体当たり的な演技という言葉すらおこがましいような、もうその境遇に入り込んだ人間に完璧になり切っていて、本当に凄まじかったです。

顔がぐしゃぐしゃになるぐらいまで泣き崩れ、怒りや焦燥を露わにし、悲しみと絶望とやるせなさに満ち溢れてどうしようもなくなった人間を体現していました。

やはり今回の映画の良かったポイントとして「役者の演技」があると思いますが、ほかの役者さんの演技も素晴らしかったです。

全体を通して、臭い芝居やセリフが少なく、リアリティのある日常的な会話や反応が多めで、自然体かつフラットな印象を覚えました。

その中でも魂を込めたような迫真の演技が二つほどありました。
一つ目が、失踪した娘の父親役である、青木崇高さんの演技です。彼は映画中、妻である石原さとみさんとは対照的であまり感情を表に出すことはなく、至ってクールに繕っていて、逆に「冷ややかすぎないか?」と思うぐらいです。本当に悲しんでいるのかどうか、劇中の妻はもちろんのこと、我々観客ですら疑ってしまいます。

しかし、そんな父親も本当はつらいんだよなぁ、、、と同情を呼び寄せる迫真の演技をします。それが、あの外でタバコを吸っているシーン!(観た人は共感してくれるはず)子供連れの家族を見てしまってかな?涙があふれ出ちゃうんですよね。あの顔はどうやったらできるのか、、、もうしびれました。

「父親は冷静を装っていただけで本当はつらかったんだな」そう思いましたし、とても胸を打たれました。

二つ目が中村倫也さんです。彼は報道側の立場として、最大限事件の解決に尽くすこと、家族の気持ちに寄り添うことを目指していながらも、「撮れ高」や「視聴率」を優先する会社や上層部からの圧力にジレンマを感じる非常に厳しい立場の人間を演じています。

想像しただけでもいたたまれないですが、上司のいい加減な態度にブチギレるシーンがあります。そのとき、ガラス越しに何と言っているか音は聞こえないけど、口の震えと目力でものすごい感情をむき出しにしています。このシーンも凄いなと思いました。


監督の吉田恵輔さんは群像劇のごとく、より多人数の登場人物の視点を描きながら、多面的に捉えて物語を進めていくのが特徴です。

今回の映画にもいろんな立場の人間が登場して、複雑に絡み合いながら、それぞれの視点から緻密に感情の動きを映し出していきます。

「空白」では、今回の映画でも取り上げられていた報道についてや、多くの人間がなり得る野次馬の面々について、憎悪や復讐心がさらにそれらを駆り立てることについてなど、見落としている視点に気づかせるメッセージ性が込められていました。

「ミッシング」を見てどぎつい話だな、と感じた方は多かったと思いますが、個人的に「空白」はできれば2度目の鑑賞を避けたいぐらいにどぎつい話だったので、今回はそこまでではなかったという感じです。

「由宇子の天秤」やドキュメンタリー「正義の行方」が描いた、

「報道はどうあるべきか?」
「受け取る側はどう考えるべきか?」

はやはり現代人の多くが日常の中で見失っている視点であり、その意味でも空白をはじめこれらの映画に触れて自分で考えてほしいと思います。

また、何気ない先入観、何気ない仕草、何気ない書き込みによって深く木津を背負う人はいるし、取り返しのつかない事態も起こる、そんなことも気づかされます。


ネタバレになりますが、最終的に失踪した娘は帰ってきません。
普通に考えればバッドエンドのお話ですが、ラストシーンについての個人的な感想を述べます。

「ヒメアノール」「空白」の監督ですから、綺麗さっぱりなまとめ方はしないだろうなと予測は付きます。だから帰ってこなかったという現実を突きつけられる終わり方は別にいいのですが、ラストカットはあまりにもお粗末すぎると思いました。

この終わり方が正直映画の評価を落としました。

ラストシーンは失踪から2年がたった後になるのですが、帰ってこないという絶望の中、子どもの交通安全の旗振りをやっている母親が、娘の癖であった口を鳴らす音でハッとして終わるのです。

全く腑に落ちません。巧くもありません。恐らくポン・ジュノみたいなセンスのある格好いいラストカットを撮りたかったのだろうと思います。

しかしミッシングは終盤にかけて、絶望続きの中でもかすなか光が見えるような展開がいくつかありました。仕事先の感じの悪かった後輩が親身になって手伝ってくれたり、かつて行方不明になった別の子を助けた際のその母親が手伝おうとしてくれたりとそんなシーンがありました。正直このあたりで終わってくれれば良いのになと思ってました。かすかな希望が持てていい話で終わる感じだったのに、最後のカットは蛇足にもほどがありました。

この手の映画の最高峰は「スリー・ビルボード」だと思います。

この映画も同じく嫌なことが連続する映画です。憎悪が憎悪を読んで負の連鎖が加速する話ですが、最後の最後にほんのわずかな光が見えるシーンで柔らかく締められる話です。

こんな感じで終わってほしかったです。そうすればもっとこう評価できる映画でした。小説でも最後の一文は大切ですが、「終わり良ければ総て良し」とあるようにラストカットの大事さがよくわかりますね。

何はともあれ、内容はとても重厚で多くの人が見失っている視点を考えさせられる映画になっています。

まだ見ていない人は是非劇場でご覧ください。


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