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わかっていることを黙っていられたら大人
2023年5月18日(木)朝の6:00になりました。
1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど138日目になりました。
どうも、高倉大希です。
オレは、わかっている。
わたしたちは「わかっている人だと思われたい」という欲求をもっています。
あの人は、笑いがわかっている。
あの人は、ファッションがわかっている。
あの人は、味がわかっている。
あの人は、音楽がわかっている。
笑いも、ファッションも、味も、音楽も、だれもが体験したことのあるものです。
そんな「だれもが体験したことがあるもの」の細かな違いがわかる人を、わたしたちは「わかっている人」と呼ぶわけです。
「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。
「わかっている人」への憧れがあるからこそ、ついつい「わかっているアピール」をしたくなってしまいます。
すこし知的なギャグに対して、そのおもしろさを解説したくなってしまったり。
小難しい講演会の最後に、わかっている風な質問をしたくなってしまったり。
オレは、わかっている。
どうにかしてその事実を、みんなに知ってほしいのです。
自分ひとりだけが突然大発見するようなことは、なかなかないんですよ。
もちろん場の状況によっては、わかっていることをちゃんと言った方がよいこともあります。
ただし、それと同時に、わかっていることをわざわざ言う必要がない場面も多々あります。
小さな子どもとかくれんぼをするとき、カーテンに巻かれているその子を見て、いきなり「みつけた!」とは言いません。
「あれ?どこにいった?」だなんてことを言いながら、探しているフリをします。
テレビに出演する芸人さんは、本当は知っていることでも、知らないフリをします。
その情報を知らない視聴者の代わりに、質問をするためです。
周りが、「ああ、名人が登場した」「天才が現れた」などと褒めそやしたりします。それで思わず、「自分は本当に天才なのかもしれない」と思ったりするわけですが、実はそれが壁なのだと世阿弥は言うのです。
「わかっていることをアピールしたい気持ち」と「その場における最適なふるまい」と。
このふたつを天秤にかけたときに、後者を選べる人は大人だなと思います。
もしかすると毎朝書いているこの文章も「わかっている人だと思われたい」の顕れなのかもしれません。
ただ、まあ、書くことには「その場における最適なふるまい」もへったくれもありません。
書くことは、たったひとりのベンチャー起業。
明日もよろしくお願いします。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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