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「嫌い」にこだわる
2023年4月6日(木)朝の6:00になりました。
わたしのことは嫌いでも、この note のことは嫌いにならないでください。
どうも、高倉大希です。
服が好きです。
だから、Tシャツをプレゼントされるとちょっと困ります。
自分が着る服には、こだわりがあるからです。
書くことが好きです。
だから、勝手に推敲されるとちょっと困ります。
自分が書く文章には、こだわりがあるからです。
このように、好きなものほど、その人のこだわりが反映されます。
好きなバンドほど、「そのバンドが好きだ」と言う人と話が合いません。
こだわりが強い分だけ、「好き」も多様になるからです。
ただ、だからこそ本当に「好き」が一致したときの感動は大きくなります。
こだわって、こだわって、こだわった先の、小さな、小さな、小さな点が、ぴったりと重なるのです。
自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。
そう考えると、嫌いなものの方が簡単に重なることに気がつきます。
「さららは好きだけれど、京波は嫌い」だなんて言う人はいません。
ピーマンが嫌いな人は、品種なんて知ったこっちゃないのです。
だからこそ、わたしたちは悪口に頼ります。
だれかの悪口を言っておけば、簡単に他者と共感することができます。
なぜなら、多くの「嫌い」にはこだわりがないからです。
つながりすぎないで、つながれることを知る。こういう関係が、インターネットの上では、リアルに感じられるかもしれない。「ひとりぼっち」なんだけれど、それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。孤独なんだけれど、孤独じゃない。
ところが時に、「嫌い」にこだわりをもった人と出会います。
「プレゼン資料の1ミリのズレが嫌い」とか。
「『哲学する』や『科学する』という言い回しが嫌い」とか。
こだわりのある「嫌い」が重なることは、だれかの悪口で重なることよりも、何倍もうれしいものです。
毎朝読んでくださっている方はご存知のとおり、この note「柿の種」の材料は、こだわりのある「嫌い」です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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