コミュニケーショの究極の理想はテレパシーなのではないか
2023年1月25日(水)朝の6:00になりました。
今日の記事もテレパシーでお送りします。
どうも、高倉大希です。
「食パン」は「主食用パン」の略語です。
だから、「食パン」という呼称に対して「パンはぜんぶ食べるだろ!」というツッコミを入れることは間違いです。
「教科書」は「教科用図書」の略語です。
「カラオケ」は「空オーケストラ」の略語で、
「ワリカン」は「割前勘定」の略語です。
「ボールペン」は「ボールポイントペン」の略語で、
「ダントツ」は「断然トップ」の略語です。
「あけましておめでとうございます」は「あけおめ」に、
「いつものメンバー」は「いつメン」に。
「とりあえずまあ」は「とりま」に、
「リアルタイム」は「リアタイ」になろうとしています。
言わなくてもいいことは、言わなくなっていく。
ことばのもつ大きな特徴のひとつです。
我々が無意識のうちに望んでいるのは、もしかするとテレパシーによるコミュニケーションなのかもしれません。
自分の頭の中にあるものをいちど言語化し、相手がその言語を解読することで自身の頭の中に再現する。
こう考えると、かなり高度なやりとりをしていることがわかります。
完璧なコピー&ペーストが理想的なコミュニケーションだとすると、言語は極めて不完全な記号です。
何なら、記号を介せずとも完璧なコピー&ペーストが可能なのであれば、それに越したことはないのかもしれません。
言い方を変えると、現時点での我々にはそれが不可能だからこそ、ある意味仕方なく言語という記号をつかってコミュニケーションをとっているわけです。
だからこそ、言わなくてもいいことは、だんだんと言わなくなっていきます。
省略しても通じ合うことができた。
直接的に表現せずとも通じ合うことができた。
我々は、このような体験に歓びを感じます。
先日こんな記事を書きました。
「前フリでイメージを共有できていれば、結論は添えるだけでいい」という内容です。
完璧なコピー&ペーストはできないという「わかりあえないこと」を前提に、待ち合わせ場所を共有できれば、歓びも一層大きくなるのだと思います。
そのためにも、あと3回くらいこの記事を読んでみてください。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。