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迂闊な共感は相手との距離を遠ざける


2023年2月26日(日)朝の6:00になりました。

わかる。わかるよ、きみの気もち。

どうも、高倉大希です。




人の気もちを考えなさい。

人の気もちが想像できる人になりなさい。

誰もがいちどは言われたことがあるはずです。


たしかに他者を思う想像力が、喜びを生んだり楽しさを生んだりします。

しかし、ひとつだけ忘れてはならないことがあります。

それは、どこまでいっても「ただの想像でしかない」ということです。


こうすれば相手は喜んでくれるだろう。

こうすれば相手は嫌な思いをしてしまうだろう。

これらはすべて、ただの想像でしかありません。


わかりあえないというところから歩きだそう。湿潤で美しい島国で育った私たちには、それを受け入れることはつらく寂しいことかもしれない。「柿くへば」を説明することは、とても虚しいことかもしれない。しかし、おそらく、そこから出発する以外に、私たちの進む道はない。

平田オリザ(2012)「わかりあえないことから」講談社


他者の気もちなんてわかるはずがありません。


納豆が大好きな人がいる一方で、納豆なんて死んでも食べたくないと思っている人がいます。

陽の光をあびて爽やかな気もちになる人がいる一方で、新たな1日のはじまりを憂鬱に思う人がいます。


そんな他者に対して、たったひとりの人間が自分の尺度だけで「相手の気もちがわかる」と考えてしまうのは、あまりにも傲慢です。


どの辺までを正常とするという範囲を、もっと拡げなけでばいけないんじゃないかと思っているわけです。なぜなら、今の社会に生きる人の正常の範囲は、現行で考えられている正常の範囲に比べると、拡がっていると考えなくちゃいけないからなんです。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


だからこそ、自分の気もちを表現しなければなりません。

他者には、想像することしかできないのです。

相手の頭の中のことなので、その想像が合っているのか間違っているのかも判断することができません。


変な想像をされてしまう前に、わかっていると勘違いされてしまう前に。

「自分はこう思っている!」を、表現するしかありません。


同調圧力を強く感じながら育ってきた日本の子どもたちにこれを教えると、他人を否定してはいけないと習うので、誰がどんな意見を言っても、「イエス、イエス、イエス」となり、「そうですね、そういうこともありますね」と同調するだけで終わってしまう。自分自身の価値観をもとに考えを表明することさえできません。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


わかる。わかるよ、きみの気もち。

俺にもそういう時代があったよ。

辛いよね。苦しいよね。


迂闊な共感は、相手との距離を遠ざけてしまいます。

違うままで、かまいません。

違うまま、手を繋ぎましょう。





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