3時間も勉強したからえらい
2023年3月14日(火)朝の6:00になりました。
あのころの僕らはきっと、全力で少年だった。
どうも、高倉大希です。
「30分で100点の資料を作成できる人」と「90分で100点の資料を作成できる人」と、どちらが「仕事ができる人」なのかというと、明らかに前者です。
ひとつの目的を明確に見据えた場合、時間を軸とした「効率」の勝負になります。
小さなコストで、いかに目的に接近するか。
このような考え方を、わたしたちは「コストパフォーマンス」と呼んでいます。
時間にせよ、予算にせよ、わたしたちが割くことのできるコストは限られています。
だからこそ、シビアになって「コストパフォーマンス」に向き合わなければなりません。
それにも関わらず、なぜだか「勉強」だけは、長い時間がんばったことがえらいかのように語られます。
3時間も勉強したからえらい。寝ずにがんばったからえらい。
果たして、本当にそうなのでしょうか。
「30分の対策でテストで100点をとる人」と「90分の対策でテストで100点をとる人」と、どちらが「勉強ができる人」だと言えるでしょうか。
言うまでもなく、明らかに前者です。
おなじ結果が得られるのなら、勉強なんてしないに越したことはないのです。
もちろん、ここまでの内容は「勉強」がもつ、ひとつの側面の話です。
「なぜその単元を学ぶ必要があるのか」という問いとは、分けて考えなければなりません。
ただ、「社会に出るための練習」という観点で「勉強」を捉えるならば、上記のような「コストパフォーマンス」という考え方は避けては通れないはずです。
だからこそ、安定してテストで点数がとれるようになったら、つぎは「いかにコストを割かずして点数をとるか」という思考をはじめなければなりません。
徹夜で勉強することをスタンダードにしても、その先にはなにもないのです。
なぜこのような現象が起こってしまうかというと、長い時間がんばったことを褒める大人がいるからです。
褒めてもらえた子どもたちは、がんばることに満足し、次からも「コストパフォーマンス」を度外視した勉強をくり返します。
べつに、努力に価値がないと言っているわけではありません。
結果が出ない努力を褒めることが、本当に相手のためになるのかという話です。
ちなみに、あなたが読んでいるこの文章は、とてもがんばって書かれたものです。
毎朝6:00に、それはもうがんばって、noteを更新しています。
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