子どもに生かされる大人たち
2023年2月22日(水)朝の6:00になりました。
きみは考えを変えた。たったそれだけのことさ。
どうも、高倉大希です。
小学校教員から、教育関係の一般企業に転職して、気づいたことがありました。
それは「子どもたちが明日も来てくれるとは限らない」ということです。
学校では「明日も来る」が前提にものごとが進んでいきます。
だから、来ない子どもには「不登校」や「登校拒否」という特別な名前が与えられます。
一方で、塾のような場では「明日も来る」が、当たり前ではありません。
だから明日も来たくなるように、どうにかこうにか価値を届けます。
「明日も来る」が前提にあると、「30人近くの子どもたちが自分の話を聞いてくれること」が当たり前だと思うようになっていきます。
だから、逆に話を聞かない子どもがいると「その子がわるい」という判断をくだします。
30人近くが、毎日何時間も、ひとりの声に耳を傾けるために、おなじ場所に集まる。
イベントの集客だとしたら、とてもじゃないけど不可能です。
どんなに有名な人だったとしても、実現することはできないでしょう。
しかし、教育という大義名分を通せば、当たり前のように実現します。
それが、学校という場所です。
話を聞いてくれると、うれしくなります。
リアクションがあると、承認欲求が満たされます。
自分が何かを与えている気になります。
これは決して、学校の先生を批判しているわけではありません。
教育現場は、事実として、自動的に、そうなってしまう環境だという話です。
明日も来てくれることが、いかにありがたいことなのか。
自分の話を聞いてくれることが、いかにありがたいことなのか。
ここを忘れてしまった瞬間から、わたしたちは大人の力を振りかざすようになってしまいます。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。