ぼくのすべてをこの文章に込めました
2023年3月28日(火)朝の6:00になりました。
不具合で投稿されていなかったようですが、読めるようになったその瞬間が6:00です。
どうも、高倉大希です。
「オレのすべてをこの曲に込めました」
きっと当人もパフォーマンスのつもりで言っているのだと思います。
しかし、それが前提だったとしても、ついつい「そんなわけあるかい」と思ってしまいます。
基本的に表現は、引き算でできあがります。
この世界のどこを切り取って、どう見せるのか。
その選択に、つくり手の思考と努力が反映されます。
だからこそ、いい曲を聴いたときには、そのつくり手に「会って、話してみたい」という気持ちが芽生えます。
本でも映画でもおなじです。
「ここを切り取って、こう見せてくる人」が、おもしろくないわけがない。
そんな気持ちになるのです。
逆に言うと、「すべてを込めたつもりでいる表現」はあまりおもしろくありません。
緊張でガチガチになっている芸人さんの漫才で、笑えないのとおなじです。
引き算によって生まれるゆとりが、こちらにとっての安心材料となり、当人の魅力にもなります。
練習をしすぎると、この「すべてを込めたつもりでいる表現」に近づいてしまいます。
「練習どおりに実行すること」に躍起になり、ゆとりが失われてしまうからです。
そうならないために必要なことは、ただひとつ。
はじめから「すべてを込めることなんてできない」という前提に立つことです。
能力の問題でも、気持ちの問題でもありません。
事実上、不可能なのです。
不可能を可能だと思い込んだまま、理想を追い求めてしまうと、その差分にいつまでも苦しむことになります。
不可能を可能だと思い込まないこと。
そして、可能を不可能だと思い込まないこと。
大抵の苦しみは、このどちらかに起因します。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。