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向いていないので辞めます


2023年3月30日(木)朝の6:00になりました。

苦手だとか怖いとか、気づかなければ俺だってボールと友だちになれた。

どうも、高倉大希です。




大学を卒業してから、ずっと教育業界で仕事をしています。

その中でもいろいろな経験をしましたが、自分がこの業界に向いていると思ったことはいちどもありません。

人に何かを教えられるようなできた人間でもなければ、だれとでも信頼関係を築けるようなコミュニケーション能力の高い人間でもありません。


だからといって、「向いていないから辞めよう」と思ったこともありません。

なんならむしろ、向いていない人間が混ざっていることにこそ価値があるのではないかとすら思っています。


言葉って本質的にものすごく目が粗いですよね。言葉によるコミュニケーションは、例えるなら150mLと1Lの目盛りしかない計量カップを使って繊細な料理を作るみたいな感覚があります。
HITACHI「分からないことを一緒に考える経営」山口周さんの発言より


そもそもを言ってしまえば、「向いている / 向いていない」でものごとを判断しようとしていること自体が、なかなかに閉塞的です。

言わば、その対象自体にはじめから「向いている / 向いていない」が内包されているという前提に立っているわけです。


そうだとしたら、そこに努力の余白はありません。

自分の努力ではどうすることもできない「向いている / 向いていない」に、人生を左右されることになってしまいます。


ぼくは、直接的な言葉を使うことって、勇気のいることだと思う。だって、それって、表現というよりも、単なる「感情の吐露」だから。
奥野武範(2023)『バンド論』青幻舎 山口一郎さんの発言より


たしかに「向いていないので辞めます」と言ってしまえば、とても楽になります。

自分のせいではなく、すべてをマッチングのせいにできるからです。

嫌なことやうまくいかないことがあれば、すべて「向いていない」ということにしてしまえばよいわけです。


もちろん、誰だって得意なことがあれば苦手なこともあります。

しかし、それらを「向いている / 向いていない」に集約してしまうのは、あまりにももったいないと思うのです。


「この世のどこかには、自分に向いているものがある」と考えること自体が間違いです。

向いているものを探すのではなく、自分がそのものの方を向いてしまえば、この世はおもしろいもので満ち溢れます。






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