日本文学で学ぶイタリア語:人間失格14
日本文学で学ぶイタリア語。
太宰治の『人間失格』のイタリア語翻訳を通じて、言葉のニュアンスや文化の違いを感じながらイタリア語を学びます。
前回から,第一の手記に入りました。「恥の多い生涯を送ってきました」という,有名な一節から始まる第一の手記は,主人公・大庭葉蔵の幼少期の記憶に焦点を当てた部分です。彼は幼少期から自己疎外感と孤独感に苦しみ、道化という仮面をかぶることで、他者との関係を取り繕っていきますが、それが彼自身をますます追い詰めていく要因になっていきます。
前半は,建造物や身の回りにあるものを見て,幼少期の葉蔵は,単なる遊技場や,装飾品としか思えず,それが,実は,人々に便利さや快適さを提供するためのものであったことに,大人になるまで気づかなかったというエピソードを語ります。まず,線路を横切るために,線路の上にかかっているブリッジ(歩道橋)について,こう言っています。
su è giù 上下に行ったり来たり
passerella [女]桟橋,タラップ,劇場のブリッジ
rendersi conto di … : … (何かが)わかる
ferrovia [女]鉄道,鉄道路線
senza 〜なしに,〜せずに
senza rendersi conto 気づかないまま,気づかずに
essere convinto di (che) … … だと確信する,納得している
giostra[女]回転木馬,メリーゴーランド
come se :まるで〜のような
tocco[男]タッチ
eccentricità[女]とっぴさ,奇抜さ
distinto[形]洗練された,卓越した
raffinato[形]垢抜けした
servizio[男]サービス
offerto[形]提供された
tra i servizi offerti dalla stazione
駅が提供するサービスの中で
finché[接]〜するまで,〜する限り
compresi = comprendere の直・遠・1・単
わかる,理解する,把握する
原文の, 駅の気のきいたサーヴィスだと思っていたが、のちに,ただの階段に過ぎないことが分かって興が覚めた。を,イタリア語翻訳文では finché を使って,それが乗客がホームを横切ることを許可するためだけに存在していることに気づくまで,(階段の上り下りは)私にとってそれはただの esercizio でしかなかった。と表現しています。
ずいぶん垢抜けのした遊戯 という原文に un esercizio molto distinto というイタリア語を当てています。ここで,esercizio 使ったかあ。
当時の停留所のブリッジ。写真を探してみましたが,こんなものかと。
この歩道橋を見て,駅を外国の遊戯場のようにするために設置されているもので,階段の上り下りも,人々が遊んでいるだけだと思ってしまう葉蔵。幼い子供なら,もしかしたらそう思ってしまうのかも知れませんが,それが,線路を越えるための階段だと分かった途端に,興ざめ (それまで楽しいと思っていた気持ちを一気に失ってしまう) してしまうところ。この興ざめは、彼が現実と自分の期待の間に大きなギャップを感じた瞬間であり、葉蔵の繊細で独特な感性を表しています。
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