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【永遠の夏休み】FIREは人生のゴールではなく、楽しく生きる手段である

オレだ。尊師だ。

現在進行系でウザい上司の靴を舐める生活に嫌気がさしている人にとって、FIREはマジハンパない甘美な響きに感じられるだろう。

カイジに出てくるハンチョー大槻が立ち食いそば屋で昼間からビールを飲む姿を周囲のサラリーマンをマウントしたシーンが出てくる。あのシーンに嫉妬してしまったサラリーマンはざっと8000万人くらいはいたはずだ。サラリーマンにとって自分を縛る鎖を解き放つ世界は、初恋の相手とディズニーランドでスキップしているような、ありそうで現実感のない世界に感じる。オレも昔はサラリーマンだったから、その気持ちはよく分かる。

だけど、ちょっくらお先にFIREさせてもらった身として言わせてほしい。FIREを達成してお金のために働く必要のない生活は単にストレスがないだけで、幸せそのものとは違う。小学校の夏休みが天国に感じたのは、8月31日で終わりだからだ。永遠に続く夏休みなど地獄の3丁目だろう。

あなたも幸せになりたくて、FIREを目指しているはず。だけどFIREはゴールではなくあくまで手段に過ぎない。つまり、FIREを達成した後からが真の人生のスタートだと思うんだ。

FIREを疑似体験する方法

「せやかて、今の自分を縛り付けるクソッタレな上司や会社から解き放たれたら最高に幸せなはずだ」という反論があるのは分かる。静かに耳をすませば、そういう声が聞こえてくる。

オレの言っていることが正しいかどうかを判断するいい方法がある。それは「疑似FIRE体験」をしてみてくれ。やり方は超簡単。溜まりに溜まっている有給休暇をフルに使うとか、次の転職の時に今の会社をやめて次の会社の勤務開始する期間を2ヶ月くらい空けてみる。これで擬似FIRE体験ができる。2ヶ月もすれば「あー、FIREってこんなもんなんだ」ってのが分かるだろう。

オレは過去にこれをやってみたことがある。怒ったら、辞書みたいに分厚い専門書をブン投げてくるパワハラ上司がいて、毎日真夜中2時、3時まで働いて会議室の椅子を集めて眠る生活にうんざりしてバックレた。会社からの指示で参加した出張とか、研修がある日に転職面接をして逃げた。付き合ってられんからな。最終出勤日は「このクソ会社め、さっさと潰れろや」と中指を立ててその場を後にした。その時に、2ヶ月くらいガッツリ休んだんだ。

最初の頃は楽しかった。カネを使うヒマもなかったから、割と溜め込んでいたのでゲーム買いまくったり、友達とモンハンカフェで遊んだ。だけど、だんだん飽きてきた。朝起きてもやることがない。欲しい物がないわけじゃないけど、その気になれば買えると思うと「まあ、今は買わなくていいかな」と感じて、一度は手に取った商品も棚に戻すことを何度も繰り返した。結局買わなかったんだな。その内、やることがないことがしんどくなってきた。気がついたら、コンビニにおいてるフリーのタウンワークを持ち帰って、単発のバイトを探していた。…まあやらなかったけど。

人生は夢や目標、同じ価値観を共有できる仲間がいないとクソつまらんってことをオレはこの時に学んだ。RPGは一度クリアして、すべての隠し要素を堪能したらもう楽しくない。攻略するステージがなくなってしまったら、目標がなくなるからな。FIREも同じ。やることがなくなったら、人生はクソゲーだ。「楽=楽しい」ってわけじゃないんだ。

FIRE後のオレが必死に労働する理由

1ミリも自慢するつもりはないけど、オレはもう生きるために働かなくても良い立場にある。でも毎日こうして記事を書いているし、本職では本名を出し、顔出しでビジネス講演をしたり、ECビジネスをしたり、eラーニングの仕事をしたりYouTuberやったりまあそこそこ忙しく過ごしている。ぶっちゃけ、サラリーマン時代より忙しくスケジュールを管理しながらせっせと労働しちゃってるよw 表の顔は普通に仕事してるビジネスマンって雰囲気を出している。

過去の経験からも、何もせずにダラダラ過ごすことに飽きたからオレは必死に働く。人生は大きいことを成すには短すぎるけど、何もしないで過ごすには長すぎる。でも、今の忙しさはサラリーマン時代と質的に違う点があって、それは「全ては自分のために忙しくなってる」ってことなんだ。

サラリーマンの時は無能なアホ上司のケツ拭きのために、取引先に謝罪したり経営者の財布を肥やすためにせっせと働いていた。たった一度しかない人生を、他人のためにへーこら動くのは面白くない。やってられん。だけど、今は自分のために働き、やりたいことを集めた結果としてオレは勝手に忙しくなってしまっている。でも、完全に趣味というわけでもなく、結果的に収入はサラリーマン時代の10倍くらいなった。これはFIREという土台あってのことなんだ。だからやりたいことがなにもないのに、無理やりFIREしたって人生は確実にクソゲーになるってことを忘れないでくれ。

FIRE後は退屈との戦い

FIREした人間がぶつかる困難は「退屈」なんだ。

そもそも、人類の歴史とはいかに退屈を克服するか?ってことに始まり、それが現代でも続いている。労働や学問は退屈を退治するために発達したし、現代社会は退屈を退治するためにカネを使わせるようになっているんだ。そうでなきゃ、誰もジェットコースターなんて乗らないし恋愛なんてしない。人生はスタートした瞬間から、退屈との戦いが一生続くゲームだと思ってくれ。

FIREして、資産収入が生活費を上回ったり、オレみたいに仮想通貨で当てて一生分稼いでしまうと退屈という敵はより手強くなる。「生きるために働く」というのは目的が明確だし、必死になれるだろう。でもその必死に生きいる過程で仕事がうまくいったり、誰かから褒められるとすごく嬉しい。だから人生は充実する。必死に生きる、というのは余裕のない響きに聞こえるが実は余裕がない方が楽しいんじゃねえか?とオレは最近思っている。

生きるために働く必要がなければ、自分がやりたいと思える仕事をすることになる。でもどんな仕事もいつかは飽きる。正直、本職のオレはすでに結構飽きが来ている。だからこんな胡散臭い記事を書くことをして、何か面白い仕事に繋げられないか挑戦しているんだ。そういう意味で、オレも退屈を倒すために日々必死に生きていると言える。今の仕事以外の楽しみは、PS5のVR2の発売くらいしかないんだけど、もしもこれが予想に反してショボかったらオレはかなりショックを受けると思う。だからリスクヘッジとして、こんなケッタイな記事を書いて紛らわせているんだ。

繰り返す。FIREは人生のゴールではない。どんな人も人生の終盤でFIREに近い生活にならざるをえない。定年退職して年金暮らしになればFIREと同じだろ?でも世の中のジジイを見てくれ。どいつも別に楽しくて最高って顔はしてない。大抵は感情失禁させて、店員にブチ切れたりして迷惑をかけてしまい、社会のお荷物になっている。ゴミだ。それに鬱を発症して自死するのは、たいてい高齢のジジイだ。それが答え。つまり、何もしない人生なんてクソゲーって何よりの状況証拠だろう。だからFIREを目指すなら、FIREして何がやりたいかを考えておくことをすすめる。いざ、FIREして何もやることがない退屈まみれの人生だと分かったら、その時の絶望は計り知れないはずだ。FIRE前からFIRE後のことは想像しておくことをおすすめするよ。

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