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怪しい出版社からの質問に「なんで読まれる必要があるの?」って思っちゃった時点で作家には向いてないと思った

 私はnoteを日記がわり、twitter代わりに利用しています。自分の感じたことを記録するために。最初は「広告なしで小説を載せられる所」を探していてここを見つけました。他の有名な小説サイトは、どこも下品な広告に汚染されていましたから。
 でも、実際に使っているうちに、小説を載せるには形式が向いてないと感じたので、やめました。複数話になると並べにくいんですね。

 twitterは、言葉の使い方がきつい人が多く、いちいち傷ついてしまうのでやめました。きつい画像が流れてくることも多かったし、見るに耐えなかったので(この「言葉やイメージへの敏感さ」も障害の一つだと思うのですが、なかなか理解されません)。

 もちろん、いいねがついたら嬉しいです。
 読んでいただけたら嬉しいです。
 でも、それが目的かと言われると、
「違うな」と思うんです。

 目的はあくまで、「書く」ことそのもの。

 書いてみることではじめて、
 自分の考えや感じ方に気づけたりする。
 頭の中の世界があらわになる。

 究極のところ、自分のためなんですね。


 昔、自分に才能があると勘違いしていた頃。
 小説を出版社に送っていたことがありました。
 すると、連絡は来るんです。
「続きを読ませてほしい」
「感想のレポートを送りました」
 みたいなのが。
 でも、

「出版しましょう。
 ただし400万円かかります」

 みたいな返事。
 後で知人に言われたのですが、

「それはまともな出版社じゃない。金を取りたいだけの悪徳業者だよ。残念だけど、作品が認められたわけじゃない。本を出したい人から金を取って儲けたいだけだ。本の内容の良し悪しなんて考えてない。残念だけど、今は内容のいい本だけが出版されているわけじゃないんだよ。
 大して良くもない本を金で出してるだけの人もいるんだよ。そうなりたいの?

 10年以上前の話です。

 その出版社は、何度も電話をかけてきて、
「文庫本なら少し安く出せますよ!」
 とか言ってきました。
 そして、私が金が無い(貧困なので)と言うと、

「社会人なら貯金くらいあるでしょ?」
 そして、こう言われました。

「せっかく書いたんだから、
 誰かに読んでもらいたいと思うでしょ?」

 私、その時思ったんですよね。


「別にそこまでして読まれなくても」

 と。

 もし私が金持ちだったら、
 この出版社に金出して出版してたかなあ。

 でも、実際金はなかった(今もない)。

 当時は、ただ書くことそのものが、
 楽しくて書いていたので、
「誰かに読ませたい」とは、
 あまり思ってなかったんですね、実は。



 前から何度もつぶやいていることの繰り返しになりますが、
 私は、
 頭の中に住んでいるキャラの動きを、
「記録」しているだけで、
 自分で、
「話を作る」
「キャラを作る」
 ということはできないんですね。
 彼らは勝手に現れるんです。
 勝手に何か起こすんです。
 アンゲルとヘイゼルなんか特に大変でした。

 それを無理やり「小説」という、
 まとまりのある形式にするのは、
 そもそも無理がある作業でした。
 もともと脈絡も何もないものですから。


 プロの作家さんはたぶんプロットやキャラを先に作っていろいろ計画を立てて一つの小説を仕上げるのだと思いますが、
 私はそれができません。
 計画できない脳らしいんですよ。
 ADHDとかに多いらしいです。



 つまり、私のは才能ではなく、
「妄想が浮かぶ障害」
 なんです。たぶん脳の問題。
 生活に支障をきたしてるんです。
 これのおかげで現実に集中できないし。
 誰もこれを「空想力」とは認めないんです。

 だから私はいつも言ってるんです。
 発達障害の変わったところを、
「才能」と読み違えてしまうと、
 本人が抱える困難を見逃してしまうと。


 先程の「怪しい出版社事件」で、
 私は気づきました。

「私はただの記録係であって、
 作家には向いてない」

 と。
 実際、無償で出したいと出版社に思わせるような、優れた作品は書けていなかった。

 


 現在、文章は純粋に趣味です。 
 私が書きたいのは、
 日々の記録です。
 しかも、現実の日記ではなく、
 頭の中にいる、
「キャラ達の記録」です。

 それが、今まで無理やり作品にしてきた、
 私の小説たちです。



 最近は、頭の中にキャラが現れなくなりました。現実の仕事や「生きること」で手一杯になっているからだと思います。
 仕事から帰ったらもう疲れてるので、
 ぼーっとテレビを見るくらいしかできません。
 もしかしたら「小説」を書くフェーズは、終わりに近づいているのかもしれないと感じることもあります。音楽がいつのまにかフェイドアウトするみたいに。

 あのジェイン・オースティンでさえ、
 日々の雑事をこなしながら、
 生涯に6作品しか書けなかった。
(実際には短編とか手紙とかたくさん残っていますが)

 ならば、能力の劣った私は、
 世の中を渡るのにエネルギーを奪われながら、
 できるのはせいぜい3か4てとこでしょう。

 もう、限界かもなと感じています。
 本気で小説書くのは。


 キャラ達の動きは、
 私にはコントロールできません。
 現れたり去ったり、向こう次第です。
 今は来ない時期なんでしょう。
 もしかしたらもう来ないかもしれない。
 わからないんです。

 脳の障害って複雑です。

 それを上手く使って、
 芸術家になる人もいますが、
 それが出来るのはほんの少数の天才。
 環境や支援者に恵まれた人たち。

 私には無理です。
 人生がもう手に負えない。


 なぜこんな話をわざわざ書いたかというと、

「人に読まれたいでしょ?」
 というあの出版社の人の言葉に、
 うなずくことができなかったから。

 たぶん、今同じことを言われても、
「いや、結構です」
 と答えると思う。
(今も金ないしな笑)


 私にとって大事なのは、
 読まれることより、
「書くこと」そのものだったから。



 結局、自分のためなんです。
 だから、ネットビジネスに使えるような、
 人に読まれる文章は書けない。
(好きでもない商品に媚びれない)

 それが私なんです。


 だから、noteはできれば、
 単に日記ツールとして使わせてほしい。
 あまりアクセスとか気にしたくない。


 と思っています。


 それに、
 書くことで自分がわかることもあるのだから、
 たとえアクセスもいいねもつかなくても、
 書いたこと自体は無駄にならないと思います。


 私は何の専門も特技もない人間ですし、
 人の役に立つ文章なんて、
 どう逆立ちしても書けません。
 それはハードルが高すぎます。


 だから、
 自分のためだけに、
 ここに日記を書くことを許してもらいたいし、

 そういう使い方をしても、
 たぶんnoteさんは怒らない……ですよね?



 読んでくれてありがとう。




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