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みんなが見ているのは『自分に都合のいい範囲の多様性』なのではないか


#多様性を考える


多様性。

そう言われながらも人種差別や障害者差別がなくなる気配はない。

多様性。

生物が生き残るには、大多数とは違う個性を持った少数派が必要だと生物学の偉い人が言っていた。暑さに強い個体だけだと寒くなったとき全滅してしまうから、寒さに強い少数派が必要だと。

同性愛の人は昔から普通にいた。障害者も普通にいた。なんせ聖書にもその存在が描かれている。その時代から2000年(たぶん)経過しているのに、未だに差別があるなんて不思議だ。

人は、自分に都合の悪いものを受け入れようとしない。

「私は絶対に差別はしない」

 と言っている人が、近所に知的障害者が引っ越してきたり、自分の娘や息子が障害者と付き合い始めたり、自分の職場に障害者が入ってきたりしたとたん、ものすごい勢いで反対したりいじめたりし始めるのを、私は見てきた。

みんなの「差別はしない」は、

「私に近づいてさえ来なければ」

という条件付きだ。

つまり、自分の知らないところで生きてくれるぶんには知ったことではないが、自分の居住するテリトリーには入ってほしくないのだ。

これこそが差別だと思うのだけど。

「あんたが生きるのは勝手だけど、私達の社会に入ってこないで」

と宣言しているようなものだから。




日本の障害者政策は、健常者と障害者を分離している。

一般の学校に行けず、支援学校になる。

一般就労は難しく、作業所に追い込まれている。

作業所は自治体から補助金をもらっている『福祉施設』であって、そこで働いても履歴書に書ける職歴にはならない。『福祉施設利用歴』という別紙に記入する。

作業所の運営者がいくら「うちの会社は一般と変わらない」と言い張っても、福祉施設であることに変わりはない。



私が前にいた作業所はひどくて、

耳の聞こえない人を入れているのに、

「手話ができる職員がいると聞いて来たのに、一人もいなかった」

マスクをしたまま耳の聞こえない人に怒鳴る職員。知的障害者が何か失敗するたびに口汚く罵る職員。何度思い出しても滑稽で不愉快な場面。
ろくに障害の知識も資格も経験もない職員が入ってきて、一ヶ月足らずでやめていく。
障害のことが本当にわかっている職員がいない。

耳の聞こえない人と、精神障害者と、知的障害者と発達障害者がごちゃまぜに同じ施設に押し込まれている。

仕事は4時間。最低時給。
もちろん生活なんかできない。

時間を増やしてほしいと言ったら、
ものすごく怖い社長が出てきて、

「お前みたいななんの技能もない役立たずが何を言っているんだ。接客の技術もない、なんの技能もない人間をおいてやってるだけありがたいと思え」

ときつい声で言われる。

たぶんこの社長、障害者のことはなんとも思っていなくて、
補助金もらうためだけに人数増やしてたんだと思う。自分好みのオサレーな店を運営するために。



他の就職支援センターに相談したら、

「利用者に怒鳴るのは虐待だから、市に報告しなくてはいけませんね」

「そこにいても自信がなくなっていくだけだから、別な訓練施設に行ったほうがいいですよ」

とアドバイスを受け、別な施設に移りました。


福祉の人は、かならずしも障害者の味方ではありません。かえって敵に回ることもしばしば。
私は少ないながら一応訴え出るだけの知能があり、他からアドバイスを受けられましたが、

知的障害がある人は、怒鳴られても抵抗できません。それがわかっているはずの職員がわざとやってるという怖さ。




一般企業の求人も少ないです。
求人だけ出して、応募してきたら即落として体面だけ保っている会社も多いと聞きました。


私は一般雇用でもいじめられたことがあります。好きでもない男性(かなり性格が悪い)と無理矢理つきあわされそうになったり、女性グループからいやがらせを受けたり。

「健常者の世界にお前が来るんじゃねえよ」

という圧力をどこからも感じました。

一時期、トラウマで、ふつうのお店を利用するときすら、

「このお店、健常者の客じゃないと喜ばないかな。障害者が入ったら嫌がるかな」

と思ってしまい、
普通に利用するのをためらったりしました。

(実は今でもそういうことはあります)


健常者の方、気づいていますか。
あなたが世界を分断しているのですよ。


「私の視界に入らないところにいてほしい」

と、マイノリティに言っているあなた方が。


本当にその人が差別的かどうかは、
実際に当事者にどう接するか見ないと、
判断できません。

よく言うでしょう。

「店の店員に対して、態度が悪い男性とは付き合ってはいけない」と。

利害関係のない他人をどう扱っているかで、その人の人格がわかるからです。


それは、マイノリティに対しても同じこと。

だって怖くないですか。
一見誰にでも優しそうな人が、
障害者や同性愛者を見た途端豹変するの。
私は「本性出したな」と思います。


前に、着物の先生が福祉施設に来たんです。お二人。二人ともお上品でしたが、一人は知的障害者とも仲良く優しく会話してました。普段から障害者向けのフラワーアレンジ教室をやっていらっしゃる方でした。

しかし、もう一人は、

「ああいう人達、嫌なのよね」

と、近寄ろうとすらしないで私に文句を言う(私が障害の当事者だとその人は知っていたはずなのですが、なぜか、一緒に嫌がる人だと思われたらしい。失礼な)。


みなさん、どちらが人格者だと思いますか?


こういう場面をしょっちゅう見ているので、私は人が「私は差別しない」と言っても信用しません。「あんたは普通に話せるからいいけど、他の障害の人は嫌だ」という意味であることが多いからです。特に、知的障害の人にどう接するかを見ると、その人の本性が出る場合が多いです。


ほんとに差別する気がないなら、

ご近所とか、同じ会社とか、
同じ世界で生きることをきちんと認めて下さい。

近所に福祉施設ができるくらいで、
大騒ぎしたり悪口を言わないでください。

前に作業所が移転した時に聞いたのですが、事務所を借りようとしても、
「福祉?だめだめ!」
と大家に言われて、なかなか決まらなくて困ったそうです。福祉施設に事務所を貸したがらない差別的な大家がかなりの数存在していて、私達は衣食住すべてを差別に脅かされています。

同じ世界で、生かしてほしい。

それができないなら、いくら「多様性が大事」とか「差別はしない」とか口だけで言ってても、それは大嘘だろう、としか思えません。

なので、テレビやネットで華々しく語られる、

「多様性が大事!!」

みたいなもの、私は冷ややかな目で見ています。
エンタメ色の濃いアーティストや個性豊かなインフルエンサーだけが、多様性の見本みたいに言われることには、違和感しかありません。

楽しいものばかり見ていないで、
現実の多様さを見てほしい。

そう思います。







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