頭の中に別世界があることは、私にとっては当たり前なんだけど
久しぶりに色鉛筆を使いました。色鉛筆って、描いてる最中は楽しいんですよ。夢中で色を選んでガリガリやって。動作の楽しみって言うんですかね。一種の運動なんですね。
でも、出来上がった絵を見ると、
「なんじゃこりゃァァァァァ!?」
と、自分の下手さ加減にびっくりします。
でも、せっかく描いたのでアイコンにしてみました。多少の不気味さはありますがお許しください。またいいのができたら変えます。しばらく無理だと思うけど。ちなみに、この子はラナ・クドローです。『ロンハルト物語』の。令嬢の娘なんだけど、外国人の父親に似て見た目が違う(たぶん人種が違う)から、ロンハルトの人達からは軽く見られてたんですよね。
ロンハルト物語↓
https://ncode.syosetu.com/n2058hd/
以下、思いっきり個人的な話です。
物心ついた時から、
私の頭の中には空想の世界がありました。
自分にとっては当たり前のことだったので、他の人が空想の世界を持っていないということを知った時には驚きました。
空想の世界がない人生なんて想像できませんでした。
そんな人生悲しすぎると思いました。
でも、実際に悲しいのは、
私の人生の方でした。
家庭環境が辛かったので、空想に逃避していた面もかなりあったかもしれません。
小学生の頃からノートに架空の話を書くようになりました。最初はマンガ混じりの文章でした。ドラクエの世界地図みたいな『架空の地図』を書いていて、そこには後に小説に書くイシュハという国が既に存在していました。
中学の頃にはもう、今書いている小説に登場するキャラが頭の中にいました。彼らは私の頭の中に勝手に出現します。勝手に現れ、勝手に暮らし、勝手にしゃべり、動き回ります。
彼らの名前や容姿は最初から決まっているので、私が変えることはできません。
隣に住んでいる他人の見た目や名前や性格を、
勝手に変えられますか?
無理ですよね?
そんな感じです。すべて登場した時に決まっているので(徐々にわかってくることもありますが)、私が好きに変えることはできないのです。
作家やクリエイターには向いてないなと思うのがこの点です。
『小説の書き方』みたいな本を見ると、事前にプロットを細かく設定して、起こる出来事もすべて『自分で決めて』キャラも意図的に『制作』してるんですよね。読者好みに。プロの作家さんには本当にそういう『制作する』能力があるんでしょう。
あるゲーム会社のキャラデザをテレビで見たことがありますが、そこでは、一人のキャラを決めるのに、千パターンも見た目を描いて、『顧客好みのキャラ』を『制作』していた。
キャラはあくまで『生産』できる『商品』なんですね。世界観も同じく。
私にはそういう力はありません。
だって、頭の中の彼らは、
『勝手に現れる他人』ですから。
実際に存在している現実の他人とほぼ同じ。
私には変えられません。
読者の好みに合わせるなんて不可能です。
そもそも彼らが私に合わせてくれないし。
世界だって最初から勝手に存在してるので、
私が変えるなんて不可能です。
全能の神じゃあるまいし。
彼らは時々、
びっくりするようなことをしてきます。
私では絶対に思いつかないようなことを。
それも私が『考えた』のではなく、
『彼らが勝手にやった』のです。
勝手に動いているのです。
私は記録しているだけ。
特に『アンゲルとエレノア』のヘイゼルというキャラがそうだったのですが、奴がなぜ私の頭の中に現れたのか、なぜ、主人公顔負けの勢いで目立ってきてあんな内容(自分で書いたとは思えないなと思うことがよくある)の過剰に偉そうなセリフをしゃべったのか、なぜあんなに奇行が多いのか、私には全くわからないんです。
『だって、奴が勝手にそうしてたんだもん!
私はそれを筆記しただけだもん!』
てなわけです。
『アンゲルとエレノア』↓
https://ncode.syosetu.com/n5997ek/
前に、神の言葉を自動筆記して話題になった作家さんがいましたけど、あれに似てるかもしれない。自分の手で書いてることは間違いないんだけど、内容がどうなるかは私には予想できない。
『ロンハルト物語』も、書き始めた時は、
「ラナは誰ともくっつかないような気がする」
「くっつくとしたらオーバンだろうな」
と思っていたのですが、全然違う結果になりました。ネタバレになりますが、王子様が出てくるとは思わなかったし、仲間が裏切ることも予想していなかったし、まさか王子様にあんな秘密があるとも思わなかったし、光る娘が出てくるとも思いませんでした。何も予想していなかったのです。自分で決めたこともありません。
どうでもいいことですが、王子様の秘密がわかったとき、衝撃を受けすぎて寝ながら悶えました。夜中に突然わかったんです。
「そ、そうだったのか!!」
と。興奮して眠れなかったのを覚えています。
今書いてる早紀と所長の話も、この先どうなるかわかりません。楽しみなような怖いような。
たぶん、私には、世の中の人が言うような『想像力』はありません。意図的に創り出す力とか、プロットをきちんと設定する力はありません。
『想像力』を『売れる商品を作る力』と定義するなら、私にはその力は全くありません。
ただ、頭の中に世界があって、勝手にキャラが出てきて動いているだけです。私にはコントロールできません。彼らは勝手に来て、勝手に去っていったり、戻ってきたりします。
でも、こういうことって、
周りは全く理解してくれないんですよね。
よく発達障害の人は趣味に没頭してそこで才能を現すとか、好きなことしかしゃべらないとか言われるんですが、
その『好きなこと』が、鉄道とかマンガとか、他人と共有できることだったら、きっと仲間ができたんだと思います。
でも、私の場合、趣味も好きなことも、
『自分の空想の世界』なんですよ。
だからって、私が自分の世界の話ばかりしたらどうなるかと言うと、他の人には見えないから意味がわからないわけですよ。わざわざ書いたものを読んでくれる人もいないし(いきなり大量の文書を「読め!」なんて言っても迷惑なだけだということくらいは、いくら私でもわかります)。
だから、私は常に沈黙状態です。
好きなことすら、話せないことですから。
他人と共有できるものがないので、
仲間ができないんですよね。
空想にばかり関わっていると。
悲しいけど、他にできることがないので、
本当にどうしようもないです。
できればもっと普通の脳に生まれたかった。
普通に働いて、普通に働ける、
普通の人になりたかったです。
でも、私の脳では無理なんですね。
昔、ラジオでこんな投稿が紹介されてました。
ああ、同じタイプの人だなと思いました。
『小説家になろう』でも、似たタイプの人をよく見かけます。自分の世界をもっているんだけど、それを世間が認めるような、わかりやすくまとまった形にはできないから、とにかくひたすら書いて記録している、私みたいな人が。
ASPと関係があるのかなと考えたりもしました。脳の問題として。ヘンリー・ダージャーも、世間には知的障害かなんかだと思われて見向きもされてなかったけど、壮大な『空想の王国』を持っていたし。
(彼のドキュメンタリーをTSUTAYAで借りて見て『これは私だ!』と思いました。ぜひみなさんも見て下さい。世の中にはこういう人がたくさんいるんですよ)。
でも、この素晴らしい空想を、
『ただの障害だから』
と呼ばれて退けられてしまうのは、
悲しすぎると思うのです。
あと、コントロールは全くできませんが、私が見聞きしたことが頭の中の世界に影響を与えていることはわかってきました。毎日見ているニュースとか、人生観などは、『中の人』にも影響を与えているようです。
例としては、今現実世界はコロナ禍ですが、
頭の中のイシュハという国でも、
伝染病が流行っています。
現実の世界で起きるのと同じような事件が、
空想の世界でも起きます。
まるでパラレルワールドを見ているかのよう。
昔聞いた戦争の話も、かなり影響があります。私は祖父母が戦争のときすでに大人で、戦地に行ったり病院で働いたりしていました。じかに戦争の話を身内から聞いた最後の世代です。それは、空想の中の世界観にもかなり影響をおよぼしています。
それに、日常のどうでもいいことが空想世界にとりこまれることもあります。
でも、どれが影響を与えるかは、
私にはやはり選べないのです。
以前、小説のネタにならないかと思っていろいろ昔の資料をあさってみたことがありますが、結局、それらを使っては何も書けませんでした。
しかし、昔起きたどうでもいいこととか、たまたま見たテレビとか、生活上のあらゆることが私の中に沈殿していて、時々それが溢れてくることがあるんです。
どれが後でどう出てくるかは、選べません。
その時にならないとわからないんです。
こんな感じで、私は現実と空想の世界を、
同時並行で見ながら暮らしているわけです。
なんとなく生きることに無気力で必死になれないのも、半分意識が別世界に行っちゃってるからかもしれません。
どうして私ってこうなんだろう?
どうして空想ばかりで、
現実に金を稼ぐとか何かやるとか、
そういう役に立つ能力と意欲がないんだろう?
とずっと思っていました。
空想は、私にとっては大事なもの、
あって当たり前のものですが、
生活を支えてはくれませんし。
貧困の助けにはならないですしね。
でも、空想の世界は存在し続けるから、
とりあえず、書いてます。
それしかできることはないから。
『小説家になろう』に載せていますので、
暇なときにでもお読みください。
『早紀と所長の2年半』
https://ncode.syosetu.com/n0373hg/
読んでくれてありがとう。
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