AIが発達しても、私の世界は私にしか表現できない
最近、AIが自動で絵を書けるとか、コンクールで優勝したとか、作曲や、小説まで自動生成してしまえるようになったという話を聞きます。
確かにAIの絵は完璧なんです。私も見た瞬間に「きれい!欲しい!」と思ってしまう。でも、これに対抗しようとして絵を描こうとしたら確実に神経を病みそうです。完璧すぎて。
以来、あまりにもきれいすぎる絵を見ると「AIかな?」と疑うようになりました。noteで自由に使っていい絵の中にもいますね、AIで作った絵を投稿してる人。
かつては、ロボットにできることは『単調作業』で、単純労働しかできない人の仕事は消えていくだろうと言われていました。
それが今や『想像力』の領域にまで広がっています。絵や曲など、ものを作ることはAIにできてしまうので、人間に必要なのはそれらをどう組み合わせて使うかというマネジメント的な能力。『広く浅く』何でもできる人が有利な時代になると、先日見たテレビでコメンテーターが言っていました。
単純作業と創作しかできない私にとっては、かなり痛々しい事実です。『狭く深く』のタイプには不利な時代になってくるのですね。といっても、私は元々何の技術も持っていないけど。
私は、頭の中にもう一つ世界を持っていて、それを小説に書いていますが、たぶん、AIでも同じことはたやすくできてしまうでしょう。ドラクエみたいな仮想のファンタジー世界を生成し、そこには人々が勝手に動き、暮らす。それはたぶん、今の技術で十分可能なはずです。たしか、すでにそういうアプリはあります。仮想空間で別な人生を送れるゲーム。
そのうち、絵師やゲームクリエイターの仕事なんかも、AIに取って代わられるかもしれません。
ただ、私が思ったのは、
AIは、独自の世界を作れますが、
私の世界は作れないということです。
脳波?を完璧に読み取る技術がないかぎり実現しないのが、
私の頭の中の世界を再現すること。
これは、AIがいくら発達しても、難しいんじゃないかと思います。
つまり、個々の人間が持っている、
『それぞれの人生観、世界観』
のことです。
本来、芸術はそういうものでした。
『その人にしかできない表現』
『その人ならではの世界観』
『この人の作品だから推したい』
その人の表現なり人生なりが(つまり『過程』が)自分に響くからこそ、多少歪んでたり怖かったりしても、不快だったとしても、『作家の心の叫び』『魂の表現』として認められたりしていたわけです。
ところで、美術鑑賞で、
『この絵には作者の人生の葛藤が現れている』
とか言ってる人たちは、
AIが描いた絵には、どんなコメントをつけるんでしょうね。
「このAIが作られた時代のトレンドが現れている」
とか言うんですかね。
そもそも、AIの作風って何でしょう?
『ゴッホ風』はできても、
『独自の世界』は出せるんでしょうか?
でも、もしかしたら、今の人たちは、
『独自の世界』なんて求めてないのかな。
広く万人受けするものが好きなのかな。
結果や見た目しか見ないのかな。
なら、AIは圧倒的に強いですね。
過程はなく、完璧な結果だけ出してくる。
とはいえ、
私が思うのは、
人が作った作品には、その作者の人生や生活や思想が現れますよね。
AIの絵は、何を表してるの?
ってことです。
そのワードが世の中でどんな意味を持っているかを、分析した結果でしょうか。
その芸術的意味って何でしょう?
いわゆる、商業的に金になる『商品』としての絵と、個人の(あるいは団体の)心情や世界観を表した『芸術』の絵は、
やはり、どこまで行っても、
違うのではないか、と思わざるを得ません。
作品自体というよりは、
それを読み取る人間の側に、
その違いは出てくるような気がします。
私の世界は、私にしか表現できません。
そして、AIがいくら発達しようと、
人間の頭脳は想像も創造も、やめません。
私だって、勝手に頭の中で人が動いているから、記録せざるを得ません。
それはAIにはできません。
似たような人は世の中にいくらでもいるでしょう。たぶん、よほど退化しない限り、人は自ら何かを作ることをやめることはできないでしょう。だって脳が勝手に活動してるんだから。
たとえ、AIの方が技術的には最高で、人が作り出すものに『金銭的な価値』がなくなっても。人間には『過程を楽しむ』という能力があります。絵を描いたり、文章を書いたりすることは、それ自体が楽しいことです(できたものの下手さにはびっくりするかもしれませんが……)。
だから、世の中がそういうことを『仕事』としては必要としなくなり、全ての作品をAIが作るような時代が来たとしても、
『創作意欲』を満たすための需要は、減らない。
それどころか、ますます、
『人間独自のもの』
『自分だけのもの』
を求める人が増えるんじゃないだろうか。ネットでどこでも音楽が聞けるのに、『もっとリアルな体験』を求めてライブに行く人が増えたみたいに。
VRの映像とか見てると不思議なんですが、あれって、現実の人間の身体感覚には影響はないんでしょうか?感覚おかしくなったりしないのかな。
話がそれた。
ああ、でも、
頭の中にある世界を自動でアニメにしてくれるアプリとかあったらいいのにな。
そしたら、ロンハルトの話とかイシュハの話とか、わざわざ文章にしなくても全部出せるし。
私の下手すぎる絵では伝わらないことも、AIが頭の中のキャラをそのまま再現してくれたら、その良さが伝わるのになと思ったり。
頭の中に流れてる曲を再現してくれる技術とかもあったらいいのにな。歌いたいのに表現できてない曲がたくさんあるから。
でも、そういう最先端技術は、できたとしても私みたいな貧乏人が触れる機会はないので。
やっぱり私は、勝手に世界を形成する脳と折り合いをつけて生きていくために、自分で自分の世界を表現するしかないのだわ。
それに、たぶんAIには、
『平均』はあっても『独自』はないんですよ。
技術的なことはよく知らないので、ここから下は想像ですが。
たぶんAIに『城』の絵を描かせたら、世の中の一般的な『城』の概念を統合したような絵を出してくると思うんですよ。
でもそれは、私の頭の中の世界にある、
『ロンハルトという国の城』には、
絶対にならないんです。
同じように、AIに『ラナ・クドロー』(ロンハルト物語の主人公。髪が赤い)を描かせたとします。たぶん「赤い髪で、混血児だからちょっと肌の色が濃くて……」みたいな条件を入れていったら、似たような女の子の絵を生成してくれるだろうと思いますが、
その絵はたぶん、
私の頭の中のラナとは、全く違うものになると思います。
たぶん、他の絵師さんに頼んだときと同じようなことになると思うんですよね。似てるけどちょっと違うな、みたいな。
私の頭の中の世界は、
やはり、私にしか見えていないので、
正しく表現できるのは私だけ。
技術というのは本来、
人のために作られるものだから、
たぶん、AIも人間によってくるはず。
そのうち、頭の中の世界を自動でアニメ化するAIが出てくるかもしれない。
そしたら、絵や文章の才能がなくても、
誰でも『頭の中の世界』を表現できる。
そうなったら、障害や病気で動けない人にも、
創造のチャンスが与えられるわけです。
でも今のところ、
AIには、それはできない。
統計上のイメージは出せても、
個々の人間の想像は読み取れない。
人間にしかできないことって、結局、
『個々の存在』
に返ってくると思う。
『自分だけが持っているもの』
『自分にしかできないこと』に。
まとまりのない文章になってしまった。
読んでくれてありがとう。
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