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参照値 幸せの秘訣

つれづれ雑草コラム 第1回


参照値

  最近、ネット記事で見た言葉
行動経済学者の言葉。

しあわせは参照値と現在の自分との比較で感じるものらしい。

確かに、そう思う。

足るを知る  小欲知足

上をみればキリがない。

これも、同じことを言っているような気がする。

純粋に楽しみではじめた趣味も
ネットには参照値が多すぎて、自分の感動したことが
ちっぽけで価値のないものに見えてくる。

振り返ってみると、自分にダメ出ししている時
いろんな参照値との比較をしている。

あいさつができる、さわやかな印象の人
忍耐強く、正確に仕事をこなし、着実に成果を上げる人。
空気を読めて周りに気配りのできる、優しくて思いやりのある人

そういう者に
私はなりたい

あれ、宮沢賢治みたい

年齢的にも、知力、体力が低下するから、自然に逆らうのは無理。
と、いろいろ言い訳を考える。
もともとポンコツだけど、ますます、ポンコツ化するのは間違いない。
でも、比べなければ、楽しいことはある。

ああ、これ綺麗だな
ああ、これおいしいな
ああ、いい曲だ
ああ、今日はとてもいい天気だな

でも、不必要な参照値の取り込みすぎで

これ、効率悪いかも
まだまだ、低レベルだな
とか

人間は超社会性を持つらしい。 
ネットで進化心理学者が書いていた。

どんなに プチ世捨て人 を気取っても

自己完結的に楽しみを求めても

やはり承認欲求からは逃れられないな
他者との関わりのなかに喜びを求めてしまう。
この投稿にしても読み手を意識してるし

でも、リアルな人間関係は不器用なタイプなので
自分の楽しいを参照値にして、世にはばかる しかできないけど。
でも、気がついたら参照値を取り込みすぎて あせりや もやもや 
夜中に目が覚める。(やはり、他者からの目線に超然とはできないな)

参照値の取り込み自体が悪いわけではないだろう。
自分自身の勝手な意味付けで自縄自縛になっている。
マインドフルネス瞑想や禅でも
”自分の中に起こる想念はそのまま放置”
と言われる。
ダメ出しはせず放置
気付きや参照値もそのまま放置

参照値で目標ができるのはむしろ良いことだよね。

でも、途中のだめな自分をありのまま認める、ダメ出ししない
よい意味での自分中心主義が大切なのかな。

人生はだれでも結局、生まれて、生きて、死ぬだけ
だから結果は重要でない。
すべては最後は無に帰す。

人生は途中経過を味わうだけだよね。

”その場しのぎ” は悪く言われがちだけど
本当の意味での根本的最終的な解決はないな、人生には

以上







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