見出し画像

病気でも幸せに生きていい

🫖さんに言われた。
「翠の食事の話からは不健康になった!ってアピールを感じる」「痩せたのを褒めて欲しい、不健康になっている私を心配して欲しいという翠の欲求を感じる」と。

心当たりはあった。そもそも摂食になったきっかけは、自分は病人なんだと、アピール、自覚するためだった。摂食にならなくても、うつ病なんだから、もとから病人なわけだけど、私は自分のことをうつ病だと認めていなかったし、心のどこかで「うつ病は甘え」「私が弱いだけ」と思っている自分がいた。わかりやすく、ガリガリに痩せ細ってしまえれば、胸を張って体調不良だと言えると思っていた。

私はTwitterやTikTokもやっているのだけど、そこで同じような病気の人との関わりの中で、辛さを比較してしまうことがあった。
私はほぼ無意識なのだけど、自分はうつ病だと言いながらも、学校に通っていたり仕事をしていたり、趣味に没頭していたりする人を見ると、「この人の辛さはその程度なんだな」と思ってしまう自分がいた。

そういう私の考えに対して、🫖さんは「苦痛の感じ方は人それぞれで全然ちがう」「その人の苦痛はその人だけのものであり、他人がとやかく言えることではない。とてもプライベートで大切なものだ」と教えてくれた。

私は、学校の先生に私の辛さを決めつけられて勝手に話を進められたことを思い出した。
体調が悪い、病気を持っている、と何度も話しているのにそれは全部思春期のせいだと言い張る先生に嫌悪感を覚えた。心の中で、「そんな一言で言えるような病気じゃない、そんな簡単なものじゃない」と思った。

「その人の苦痛はその人だけのもの」というのは、私が1番理解しているはずだった。
私が1番理解してなきゃいけなかった。
でも実際の私は人と辛さを比較して、私が1番辛いんだとアピールしようとしていた。
🫖さんは「でも、他人の辛さを共感したり実感しようとする必要もないんだよ」とも言った。

私の辛さは私だけのもの。
人の辛さもその人だけのもの。
病気でも、楽しんでていい。
病気でも、幸せになっていい。

そういうことを、🫖さんに教えてもらった。
心からそう思えるようになったとき、強迫という呪いからも解放されるかもしれない。



最後までありがとうございました。
いいね、フォロー、励みになるので是非お願いします
これを読んでくださった方が健康に過ごせますように。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?