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本と小学校受験の話

病気のことばかりではなくて、私の思い出(?)などについても書いてみようと思う。

小さい頃から、本が大好きだった。
本が好きというより、活字が好きだったという方が正確かもしれない。
電車の中の広告の小さい文字も、読まないと気が済まなかった。

母と父は、毎週のように私と妹を連れて図書館に連れていってくれた。
 毎週、30冊ほど借りていた記憶がある。
それを家に帰って半分ほど読み切り、1週間かけて何周も読んでいた。
そして次の週にはまた30冊ほど借りる。
その繰り返しだった。

そんな生活をしていたのはおそらく幼稚園の頃の話だと思う。
小学生になると学校に図書館があったし、毎日の学校や塾などに忙しくなって通わなくなってしまった。

私は、幼稚園年長の夏頃、家で、とある私立小学校のパンフレットを見つけた。
パンフレットに載っていた制服姿の写真がとても可愛く見えて、気付くと、母に「この学校行きたい」と言っていた。
可愛い制服を着て学校に行けるなんて最高に楽しそうだと思ったのだ。

あとから聞いた話だが、親がパンフレットを持っていたのはたまたまで、小学校受験する気はさらさらなかったらしい。

私の発言ひとつで、そこから日常が大きく変わった。

受験することになったのがあまりにも急で、受験まで時間もなかったので、まず最初にその頃習っていた新体操をやめた。
私はやめたくなかったのだが、親に合格したいならやめなければいけないと言われ、渋々やめた。
そのとき、小学校受験するということの重大さに初めて気がついた。
何かを犠牲にして挑戦するほどの価値があり、それだけ難しいことをやろうとしているのだと、子供ながらに感じたのを覚えている。

新体操をやめたあと、受験専用の塾に通いだした。
周りの子は年少から通っている子も多く、入塾時点で私はかなり遅れをとっていた。

遅れを取り返すため、幼稚園のあと友達と遊ぶのが日課だったが、事情を話し、勉強の時間に充てた。
秋になると、本格的に受験モードになり、ふたつの塾に通うようになった。


ときどき思うのだが、
もしあのときパンフレットを見つけていなかったら?
あのとき「この学校に行きたい」と言っていなければ?
きっと、新体操を続けて、地元の公立の小学校に入学していただろう。


何気ない一言で人生が変わることもある。

私は本気でそう信じている。


小学校受験は無事合格に終わった。
小学校受験を経て、いいことも、そうでないこともあった。
受験したからこそ得られたものもあったが、今の私の強迫観念の根っこも、小学校受験にあると思っている。

小学校受験していなければ、精神疾患になっていなかったかもしれないと、何度思ったか。

いい意味でも、悪い意味でも、人生は本当にちょっとしたきっかけで変わるものだ。




最後にちょっとした余談だが、ふたつの塾に通っていたと言うと、勉強ばかりしていた受験期間のように思われるかもしれないが、実際はそんなことはなかった。
入試の傾向的にも、本を読むことはやっぱり大切で、普段の生活で得る知識や、常識的なことが問題としても多かったので、受験直前でも図書館通いは続けていた。

ちなみに、どれだけ本が好きだったかと言うと、家にある本や、借りてきた本で囲いを作り、その中で本を読むという、本に囲まれた生活に憧れを抱くほど好きだった。

幼稚園年長の夏休みには、母が100冊読破キャンペーンを開催し、参加者は私ひとりで行われた(笑)
本を1冊読むごとに母の作ってくれた用紙にシールを1枚貼る。
私の記憶では夏休み1ヶ月で、115冊ほどの記録で終わった。

今でも本好きは健在で最近は小説に加えて、自己啓発本も読むようになった。
最近は体調が優れずなかなか読めていなくて、まだ手をつけていない本が沢山ある。

また本が読めたら、感想なども投稿してみようと思う。


長文になってしまいましたが、最後までありがとうございました。



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