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今の自分を変えるための説明書

こんにちは、はじめまして凛です。
今回は少し長い記事になるかと思います。
プロローグから合わせて5章に分けてお送りします。
ぜひお時間のある時に読んでみてください。

プロローグ 「私」
私には今の自分がわからない。これから先の人生、人との関わり、毎日膨大に見る情報処理のやり方、そして精神疾患との日々。
昔からこうだったわけではない。
人と関わること、SNSを見ること、自分との付き合い方は得意な方だったと思う。
私の人生が少しずつ変わり始めたのは中学生の頃からだった。中学、高校といじめにあい人の関わり方がわからなくなった。
専門学生になり、鬱病になった。そこからは、毎日自分との戦いがはじまった。けれど、そんな自分を少しでも変えたい。そう思って、自分で自分の説明書を作ることにした。自分を変えるためにはまず自分を知り、向き合うことが大切だと今通っている心療内科の主治医に言われた。これから書く内容が少しでも自分に当てはまったり、自分を変えたい人にもぜひ自分の説明書として読んでほしい。

1章 「学生の記憶」
学生時代のことは正直今でも思い出しすと苦しくなってしまうくらい自分にとって辛い思い出しかない。
中学に入学して1人だけ趣味もあって、価値観も似ている友人ができた。
その子は今でも1ヶ月に1回は会うほど大切な存在になる子だ。
中学1年生の頃はものすごく仲の良い子は先程話した子意外出来なかったが、なんとか乗り過ごすことができた。
2年生になり、あまり自分の意見を言えない私は、八方美人と呼ばれて少しずつ周りから避けられるようになった。基本は1人行動が増えて、友人の作り方、人との関わり方がわからなくなった。
3年生になり、受験が目の前に迫ってきた。今までにないくらい勉強したが、公立高校は落ちてしまい私立高校に行くことになった。私立の高校は行きたいコースがあったが親に猛反対され結局親が決めた特進コースに行くことが決まっていた。それが私の高校生活の地獄のような日々の始まりだった。4月が始まると女子特有のグループが出来ていて1人の子が声をかけてくれて、1つのグループに入った。私を含めた4人グループだった。
私は高校に入っても自分の意見や考えを伝えるのが苦手で、それが原因でまたグループの1人の子から嫌われいつの間にかはぶかれるようになっていた。そこから特進コースは3年間クラス替えがなかったため、2年生になるといじめはエスカレートしていった。物がなくなったり、ローファーの底が破かれていたり、上履きの底に画鋲が刺さっている日もあった。次第に学校に行けなくなり私は不登校になった。まだ学校に行けていた頃は、学校が終わってほぼ毎日アルバイトに行って当時好きだったアイドルに会いにいくのが唯一の楽しみだった。また、中学のとき仲良くなった子がバイトのない日はほぼ毎日放課後一緒にいてくれたのでなんとか登校できていたが、不登校になってからは趣味に費やす時間も、唯一会っていた友人とも連絡さえ取れなくなってしまった。それを見かねた母が高校3年生になるときに通信制の高校に転入させてくれ、私はなんとか高校を卒業することができた。
高校卒業後は、特にやりたいこともなかったので資格の取れる専門学校への進学が決まっていた。正直進学するかすごく悩んだが、通信のときに私を持ってくれた担任がすごく手厚い方で、私のすぐに就職する勇気がないことや友達関係などたくさん話しを聞いて進学する専門学校を勧めてくれた。
いざ入る前は、とてつもない不安にかられて入学する1週間前からなかなか夜寝付けなかった。入学してクラスが決まると席が隣だった子が話しかけてくれてそこから和が広がり、本当にみんな優しくて放課後一緒に勉強したり、お昼ご飯を一緒に食べる友人ができ本当にこの学校に進学して良かったなと思った。人間不信になりかけてた私を変えてくれた場所だった。

2章「精神疾患との戦い」
楽しく専門学校に通っていたある日の出来事だった。急に全く食欲がわかなくなった。その日を堺にどこにいても涙が止まらなくなって、自分の事じゃないとわかっているのに、大好きだった専門の友達の話してる言葉がすべて自分の悪口に聞こえて、感情がすべてネガティブな方向をむいてしまっていた。母に心配され、ずっと渋っていたが心療内科に行くと「うつ病」、「適応障害」と診断された。そこからは、暗闇に落ちていくような日々だった。まず、携帯が見られなくなり友人と連絡が取れなくなった。どんどん消えていく食欲にみるみる落ちる体重。夜は眠れず、朝は起きられない。週に1度の通院は毎回悪夢を見ているのかというほど嫌だった。
その1つの原因が薬だ。行くたびに増える薬に私は心が耐えられなかった。
でも飲まないと生活出来ないくらいに体は自分の思いどうりに動いてくれなかった。とうとう家から一歩も出られなくなり大好きだった学校にもいけなくなった。単位のギリギリまで頑張ったけれど、通学出来なかったため1年生が終わる頃に退学した。しばらくたってから、自傷行為をするようになった。自分のどうしようもない感情をぶつけるところがわからず、自分の体を傷つけるようになった。そこから、自分が自分でわからなくなった。


3章「人との出会い」
毎日が絶望であふれていたとき、母から病院を変えてみないかと言われ転院することになった。転院した病院は、女医さんがやっている小さな病院だった。そこの病院のの先生と出会ったことで私の考え方は少しずつ変わった。
先生と初めて会ったとき、幼少期から今に至るまでたくさんのことを聞かれた。話を聞いた後、先生は「自分の苦手なことはやらなくていい。」
「もっと自分に優しく、人間は生きているだけで素晴らしいんだよ。」と言ってもらって、肩から何か落ちたのかと思うくらい、心も体も軽くなり、涙が止まらなかった。
もう1つは彼氏が出来たことだ。
週に1〜2度入っていたバイトにずっと仲の良い2つ上の先輩がいた。
その先輩とひょんなことから2人で遊びにいくことになった。そこから、頻繁に連絡を取るようになった。その時、今の自分の現状を話して彼はすべて受け入れてくれた。2人で遊びにいったとき、告白されこれまでまともに付き合ったことのない私だったが、彼なら信用してもいいと思い付き合うことになった。彼は私にどんなことがあっても、受け入れ、励まし、必要だと言ってくれた。今でも彼は私の1番の理解者であり、初めてこの人のために生きたいと思った。この2人と出会ったことで、私の病状は少しずつだが回復傾向がみられ、人に助けられて私は生きているんだなと再確認するきっかけになった。


4章「今」
今、私は変わらず週に2〜3回アルバイトに行き月に1回心療内科に行っている。変わったことと言えばうつ病が回復傾向にあることだ。学生時代から今を思い返して見ると本当に色んなことがあった。けれど、その時々で人に助けられ、自分と向き合い1つ1つの問題を解決して人生を切り開いてきた。今だに辛いことがあると自傷行為に走りそうになるが、そんなとき頭に大切な人の悲しむ顔が思い浮かんだり、辛いことを自分の力で解決しようとする力がついた。
過去のわたしへ。
辛いことがあったり、逃げたいとき無理に嫌なことと向き合わなくてもいい。時に逃げることも大切だ。必ず辛いことがあっても、自分で解決したり、まわりの人に助けを求めていいんだ。主治医の先生も言っていたが、「人間は生きてるだけで素晴らしい。」それだけ覚えておいて欲しい。そうしたら、必ず人生は明るく未来はきり開けるはずだ。
これを私の自分を変えるための説明書とする。

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