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家を早く出たかった10代

モラハラの父を見ながら
私が無意識にやっていたことは
父の顔色を伺って機嫌をとること。


それが母親の為でもありました。


お酒が好きな父は
飲むと怒鳴ることがよくありました。
本当の父は
気が弱くて短気で内気な人です。


ただ、家の中では
母へ当たり散らし
母はまさに暴言を受ける
サンドバック状態でした。


普段は大人しい父でしたが
スイッチが入ると
話しかけない様にしていました。
家族で食事の時
何かの会話でキレだした父が
目の前に座っていた私に
フォークを投げたことがありました。
当たらないように
投げてはいましたが
それよりも私は
母の悲しそうな顔を見るのが
嫌でした。


そして
時々、父から言われていた言葉は
『お前は橋の下で拾ってきたんだよ』

それは、わざと母親を
困らせるために言っているようでした。


何でそんなことを言うんだろ・・。
と、思っていましたが
父は真顔で私に時々言ってきました。
それは私が小学生の頃の話です。


中学生になり
私は勉強を頑張りました。
テストで良い点をとって
母の喜ぶ顔が見たかったのです。
でも、それは最初だけでした。


私には2つ上の兄がいるんですが
反抗期が酷かった時
母の目は兄に向けられていました。
兄はもともと目立つタイプで
運動神経も良く本当は優しい性格。
そんな兄に愛情をかけていた母は
兄が非行に走った原因が
自分のせいだと感じていたんだと思います。
何か問題が起こる度に
母は学校に呼び出され謝っていました。
兄は、そんな母にお構いなしで
好き勝手にやって心配ばかり掛けていました。


その時、私は・・というと
相変わらず父の機嫌をとって
母の心配をしている。という毎日。

父と兄は全く会話をせず
父も兄に遠慮をしている感じでした。
そんな家庭での冷え切った状態の中
ふと、私が感じたことは

『私は何の為に我慢してるんだろう。』


好き勝手している兄なのに
母は兄に対して目を向けている。
私は、父の機嫌をとって
わがままを言わないようにしていたのに
母は兄のことで頭がいっぱい。


どこか、プツっと糸がきれてしまい
母への葛藤が始まりました。
母を助けたい。
でも、母は目は兄に向いている。


父の暴言と兄の反抗する声が
家庭の中で響き
私は
『早く家を出たい。』
と思うようになりました。


親に振り回されたくない。
自由になりたい。
解放されたい。
私だってわがまま言いたかった。
甘えたかった。


そんな気持ちが
いつからか外に向くようになり
『早く家を出よう。』


そう思い私は19才で家を出ました。
その後、結婚し自分の居場所を見つけ
実家に帰ることが極端に減りました。


あなたの家庭はお子さんが
帰りたいと思える場所でしょうか?

母親がいくら家庭の為にと
我慢してもそれは子どもの為にはなりません。

あなたは子どもが自立したあと
どう過ごしていきますか?
子どもはやがて自立して
自分の人生を生きていきます。


大人になっても
帰りたい。と思える場所があることは
とっても幸せなんだろうなと
私は今でも思います。


せめて
自分の子ども達には
いつでも安心して落ち着く居場所を
私はつくっていきたいなと
思っています。


今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。


モラハラ夫に悩むママの為の寄り添い心理カウンセラー
渡辺 めぐみ





















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