違いの分かる男

1 年度が変わって二月程経過したが、この間ウチの道場にも何人かの見学者が来ている。

 とりあえず、その中の5人に「貴方は競技柔術の存在を知っているか?」と問うてみたが、「知っている」という回答は0だった。
 私もブラジリアン柔術(BJJ)の稽古を始める前は、BJJに試合があり、全国各地で競技大会が開催されている事なぞ全く知らなかった。

 自分が担当している初心者クラスに来る人々の内訳を見ると、練習頻度は週に1~2回が大半で、中には月に一度という人もいる。
 そういう人々に対して、「お前らやる気あんのか!もっと練習しろよ!!」と言いたくなる向きもあるだろうが、私はそうは思わない。
 人それぞれ事情や都合があるのだから、月に1回道場に来てくれるだけでもありがたい。
 まして、その月1回の対象に私のクラスを選んでくれたのだから、猶更である。

 だから、クラスの練習メニューとしては、彼らにとって役に立つ、そして、家でも出来るように、「受身」と(主にジョン・ダナハーの)「ソロドリル」を徹底してやって貰っている。

 クラス終了後に、「月謝が勿体ないから、スパーリングはしなくてもいいので、良かったらもっと道場に遊びに来て下さい」と、毎回ひと言付け加えるようにしているが、そこから先は彼ら次第である。
 
2 予めお断りしておくと、私は競技柔術で結果を出そうと日夜トレーニングに励んでおられる方々を非難する意図は毛頭ない。
 むしろ、競技柔術に取り組んでいる読者の方が一人でも多く試合で好結果を出してほしいと思っている。

 ただ、実際に私の道場にいる会員さんの多くは、競技柔術の存在を知らず、競技用のテクニックを全く必要としていない。

 私は試合弱者なので、「どうすれば試合に勝てるのか?」という質問に答える資格は全くないのだが、論理的に考えると、試合で勝つためには、対戦相手を少なくともフィジカルか、テクニックで上回る必要があるだろう(これ以外にも、試合運びの巧さを始めとする数多くの要素があるのだろうが、その点についての考察は私の能力を超えるので割愛する)。

 対戦相手をフィジカルで上回ろうとPED(ステロイドを始めとする身体強化薬)を使おうとする人は、日本人にはあまりいないが(全くいないわけではない)、日本人以外はかなりカジュアルに使用しているのが現実である。

 競技柔術の場において、これだけPEDが蔓延している現状に鑑みると、競技の上のレベルで戦う(=「勝つ」ではなく、「負けない」「ケガさせらない」)ためには、PEDの使用も「武器対等の原則」を確保するために止むを得ないと私は考えている。

 また、テクニックで相手を上回るというのも、お互いが限られた種類のテクニックの練度の高さ(もしくは深さ)で勝負している限りはあまり問題ないが、それだけではなかなか決着が付かないので、最近は誰も知らないような新しいテクニックを編み出して、相手の意表を突く形で(=情報格差で)勝負しようとする傾向に拍車がかかっている。

 誰も知らないような奇抜なテクニックは、誰でも知っているテクニックと違って、否が応でも自分の身体に無理を強いる。
 べリンボロに代表されるモダン系のテクニックを使いこなせる人は凄いとは思うが、高い怪我のリスクを考えると、私自身も含めて普通の人に過ぎないウチの会員さんにはとてもお勧めできない。

 つまり、競技柔術が発展するにつれて、フィジカル面でも(PEDの各種副作用)、テクニックの面においても(身体に無理を強いる)、残念ながら柔術は健康に非常に悪いスポーツとなっているのが現実だと思う。

3 ゴードン・ライアンのHigh Percentage Gi Passesを解説する記事を書くために、YOUTUBEの動画を探していたら、ゴードンのあるテクニックを紹介した動画を見付けたのだが、説明が全くと言っていい程間違っていた。
 
 本人がテクニックの理合を理解していないのか、それとも、分かっているけれども説明が舌足らずなのかは分からないが、彼の・・・私より間違いなく強い人だろう・・・説明通りにやってみれば、絶対にそのテクニックは掛からないと分かるはずである。
 間違ったテクニックを教えられて、「上手くいかない」「自分の何処が間違っているのか?」と悩まされる(に違いない)その道場に所属する会員さん達の姿を見ていると段々と可哀そうになってきた。
 教則が売れる(=教則に頼らざるを得ない)のも当然だろう。

 現代・・・特にここ10年はその傾向が加速化している・・・は、差異化の時代である。

 ディティールのほんの僅かな違いが価値を生み、僅かな違いをズレとして楽しむのがカッコいいらしい。
 この現象をコンテンツ(ないしプロダクツ)を生み出す側の視点から見ると、差異を生み出すために、既存のあらゆる情報に精通する=他人がまだ誰もそこに手を付けていないニッチを探す、市場調査の作業がコンテンツ(ないしプロダクツ)制作の時間の大半を占めるようになってしまっている。

 その同じ差異化の流れの中で、ここで述べた彼も、他チャンネルとコンテンツで差別化を図ろうとした結果、今のグラップリングシーンにおいて最先端の?ゴードンのテクニックを紹介しようとしたのかもしれない。
 だが、コンテンツの内容が間違っていれば、それは不良品を市場に出しているのと同じ事である。
 リコールされても、つまり、会員さんから「月謝を返せ」と言われても文句は言えないのではないだろうか?

 私は(少なくとも柔術に関しては)「自分の知らない・分からない事は教えない」ようにしている(聞かれたら、「分からない」と答える)。
 それが私にとって、最低限の知的な誠実さだと思うのだが、日々情報が大量に流される一方で、その情報が本当に正しいかを精査する人がほとんどいない状況に鑑みると、他者との差異化を図るべくそうした(真偽も定かでない)細かな違いを漁る事にどれほどの意味があるのか?と疑問に思ってしまう。

 BJJにおいても同様で、競技に勝つために流行りのテクニックを追いかけて疲れてしまう人がいてもおかしくない。

 追いかけ続けて、常に自分の技術体系を最新のバージョンにアップデート出来る人はそれでも構わない。
 だが、おそらく世の中の大多数の人々は、流行りのテクニックを習得し終える前に次のテクニックの流行が来てしまうだろう。

 メンズ・ファッションの流行には10年のサイクルがあると聞く。
 10年後には、同じモノが(現代風のアレンジはされているが)また流行る。
 10年前の服を同じように着る事は出来ずとも、10年前の服は無駄にはならない。

 今年のムンジアル(柔術の世界選手権)で、アダム・ワドジンスキが初優勝した姿を見て、私は「違いの分かる男」にならなくてもいいから、10年後にも役に立つ基礎と基本を大事にしていきたいと改めて思った次第である。


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