道場を経営する(三)

1 他のスポーツ格闘技と比較した場合、BJJ(ブラジリアン柔術)の特徴のひとつとして、「サークル(団体)」の数が非常に多い点を挙げる事が出来る。
 「常設」の道場における道場主と会員の関係は、指導というサービスの対価として会員から月謝を徴収する、という契約関係にあるのに対して、「サークル」の場合、サークルの代表はメンバーから(公共施設の利用料金等の必要経費を除いて)会費を徴収しない。つまり、「サークル」においては、代表とメンバーの間が契約関係に立っていない。
 この事を指導(インストラクション)という観点から裏返して言うと、「常設」の道場においては、会員に対して、月謝に相応するだけの指導をする義務が道場主にあるのに対して、「サークル」においては、代表がメンバーにそうした指導をする義務がない。つまり、一般論として、代表はメンバーに何も教える義務はないのである。

2 だいぶ前の事であるが、次のような話を聞いた。ある地方で、全国レベルの実績を持つ方(仮に「Xさん」としよう)がBJJのサークルを開いた。Xさんは、従事されている職業に兼業規制があり、メンバーから1円も会費を徴収しなかったそうである。
 Xさんの「サークル」には、「常設」道場からも多くの会員が流れてしまい、流出元の「常設」からXさんに対して、「営業妨害だから、せめて月謝を取ってくれ」という抗議が出たそうである。

 「常設」の道場主の気持ちは分かるが、この抗議は的を外していると思う。なぜなら、この抗議を受け入れて、Xさんがメンバーから会費を徴収すれば兼業規制に抵触し、仕事を失う可能性があるという意味において、この抗議はXさんの職業選択の自由を無視している。
 こうした問題が生じるのは、Xさんが高いインストラクション能力(BJJの知識や指導法)を有しており、Xさんが無償で提供したサービスが「常設」の道場で提供されている(有償の)サービスと同等の価値を有していたからだろう。
 これからBJJを始めようという人にとって、「常設」の道場と「サークル」の二つの選択肢が存在し、両者の指導内容のクオリティが同程度であれば、誰だって「価格競争力」に優れた「サークル」の方を選ぶだろう。

 1でも述べたように、理念的には「常設」と「サークル」は本来競争関係にないはずなのだが、BJJにおいては「サークル」団体の数が非常に多く、代表次第では「常設」道場と同等以上の「サービス」が無償で提供され、それが「常設」を脅かすという事態が生じうる可能性がある(「常設」と「サークル」が擬似競争関係に立つ)という点は他のスポーツ格闘技にはあまり見られない現象だと思う。

3 こうした現象に対する私の意見を述べるならば、「常設」道場はXさんに文句を言うのではなく、「常設」の側が、その提供するサービスに(Xさんを始めとする)「サークル」にはない独自の付加価値を持たせるべきだと思う。
 独自の付加価値として何を持たせるべきか?の選択については、道場がお洒落である・試合に勝てるカリキュラムを組んでいる・老若男女問わず誰でも続けられる等々各道場主の自由であるが、そうした付加価値を生み出せない道場は、同一地域に他の(資金力がある)「常設」道場が進出してきた時に、「価格競争力」で負けて潰れてしまうだろう。
 つまり、「常設」はXさんのような魅力的な「サークル」を相手にしても負けないような価値をそのサービスにおいて提供出来るように努めなければならない、という結論になる。

 広告を打てば(打ち方も問題になるが)、ある程度集客効果は認められるだろう。だが、広告費はかならず月謝や入会金に跳ね返るので、スポンサーがいるのでなければ私は勧めない。

 「常設」の道場を維持する上で一番大事なのは、「会員の定着率」だと私は考えている。したがって、道場を維持・拡大しようと思うのであれば、白帯のしかも「格闘技経験」や「運動能力」のない一番下のレベルの会員さんを大事にすべきだと思う。
 「格闘技経験」や「運動能力」のない会員さんがBJJの稽古を続けるには相当の困難が伴う。稽古時間が十分に取れなければ、試合に出ても勝てない(そもそも、試合には出たくないという人も多いだろう)。その一方で、相応の練習を重ねて試合に勝つ会員がいれば、どうしても彼と我が身を引き比べて劣等感を感じてしまうだろう。特に試合で勝つことを帯昇格の条件にしているような道場であれば(それが悪い、というつもりは毛頭ない)、どうしても試合弱者の会員さんは疎外された気分になり、道場に対する帰属意識を感じられず、いずれ道場を去ってしまうかもしれない。
 
4 以前書いた内容の繰り返しになるが、今現在BJJに興味を持つ人は世の中の1%もいないだろう。そして、日本のBJJ村では、その中の1割に満たない(つまり、0.1%の)試合に勝てる人を巡って取り合いをしているのが現状である。
 こうした状況において、もし私がBJJの道場を経営すると仮定するならば、合気道をはじめとするコンタクトスポーツではない武術にも興味のある、世の中の3%くらいの人々を顧客に設定するだろう。
 試合に勝てない、もしくは、そもそも試合に興味がない人(以下、「試合弱者」と称す)が長く稽古を続けるために必要なのは、会員間に極力競争原理を持ち込まず、道場への帰属意識を高める事だと思う。

 競技志向の人々は、帯が上がるにつれて、どうしても道場のカリキュラムと自分が(試合で勝つために)やりたい事との間に乖離が生じてくる。もし、競技志向の人々(=「試合強者」)に道場のメニューを合わせてしまえば、試合弱者はそれに付いていけなくなってしまう。そして、私の個人的経験から言えるのは、試合強者は独りで勝手に強くなれる。試合強者に必要なのは、彼らがやりたい事を自由に練習できる時間の確保と強いスパーリング相手である。ところが、そうした要請を満たすのはひとつの道場では・・・ごく限られたメガジムを除き・・・非常に困難である。

 そして、試合強者は道場のメニューに不満を抱えて、芝生がより青く見える他の道場にいずれ去っていく。道場から道場を転々とする、もしくは、道場には所属だけして出稽古の方が練習回数が多いような人々は、自分が強くなるためにベストの選択をしているつもりかもしれない。しかしながら、彼らは、この世の中に存在するどんな道場も、彼らがやりたい事に自由に取り組む事の出来る場を(あるいは、彼らが試合で勝てるようになるメニューをオーダーメイドで)提供できないという点が分かっていない。
 したがって、試合強者ほど道場に対する帰属意識が薄く、彼らは道場内で自分勝手に振舞うようになるケースが多い。人が集まれば派閥が出来るのは人間の本性だが、道場のメニューを無視するようであれば、彼らを道場から追放した方いい。そうしないと、試合弱者の会員さん達は道場主と試合強者のどちらを見て稽古すればいいのか混乱してしまうだろう。つまり、我儘な試合強者を追放するとしたら、それは「見せしめ」ではなく、試合弱者の会員さんを守るためでなければならない。それがひいては、試合弱者の人々に「ここにいてもいいんだ」という安心感を持たせることに繋がる。

 話をまとめると、「常設」の道場を安定的に経営したければ、世の中の0.1%ではなく、3%の人々を相手にすべきである。そして、その中でも「格闘技経験」や「運動能力」のない人にレベルを合わせ、彼らの定着率と満足の確保を最優先すべきだと私は思う。試合弱者の会員さんが長く稽古が続く道場であれば、口コミで十分会員は集まるし、会員の道場への帰属意識が高いので、Xさんのような魅力的な「サークル」を相手にしても動じる事はなくなるはずである。

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