アラサーパート女の生きた証16 陰陽編

本編では今現在における私自身の思考や悩みについて綴ろうと思う。

私は何かを続けるということができない。やり遂げるということができない人間だ。よく聞く三日坊主というものだろう。いやそれよりもひどいものかもしれない。だが、全ての結果には原因というものが存在する。可能ならばそれらを解き明かしたいが、思いのままに打ち明けよう。

まず、物事を続けたりやり遂げることができない人間になってしまった原因というのは、過去の話を読むとわかるとは思うが、機能不全の家庭で育ったことや高校生の時にドロップアウトしたことがすべての始まりだ。

高校生の頃の私は自分の好きなものを大切にしていて、自分自身の才能というものを信じ、夢を抱いていた。それがあっさりと自分の元から跡形もなく消え去ってしまい、ただ願うだけではどうにもならないことがこの世にはあるのだと、厳しい現実を突きつけられドロップアウトした。その後、人を信じることも自分自身を信じることもできなくなってしまった。

夢と希望を失った代わりに得たものは、いびつな家庭環境や助けてくれない大人に対する憎しみと自分自身への嫌悪感だった。多感な思春期を強烈な感情を抱いて過ごしたがために、感情の一部が欠落してしまったように思う。ひきこもっていた当時、憎しみ、悲しみ、怒り、それらが私のすべてであり、私をこの世に生かしていた。

はじめは猛烈な怒りに支配されていたが、時間が経つにつれ、すべての感情があきらめや悲しみの感情ひとつとなった。外の世界から身を守るようにして、もう二度と傷付くことがないように心を閉ざした。

その時に私は、怒りの吐き出し方というものをどこかに落っことしてしまったようで、これは大人になった今でも続いていて、むっとしたりいらっとしたり、どれほど抑えきれない怒りを感じたとしても、たとえば声を荒げてヒステリックになって怒るといったことができなくなった。本当は思いのままに吐き出したいのに、できない。何かで怒りを感じて、態度に出てしまうことはあったとしても、口を開いて言葉にして怒りを表現するということが難しいのだ。

これはきっとどこかで、自分の気持ちを表現しても無意味だ、現実なんてそう簡単には変わらないとあきらめていたあの頃のまま、心の状態が、成長が、止まってしまっているのではないかと気づいた。私の心の一部は、10代のままだということだ。

そして機能不全であった家庭環境の中で、私は親から褒められたり叱られたりすることが一切なかった。過干渉の家庭も問題だとは思うが、無関心な関わり方というのも、子どもの心を歪ませるひとつの原因となる。学校でも真面目な生徒だったので何か言われることもなく、こうして、自己肯定感だけが低くなる一方だった。

自分の努力で達成した物事について何も褒めてもらえない子どもは、簡単に自信を失う。自分自身が集団の中で、どの立ち位置にいるのかさえもわからなくなるので、周囲の同級生などと比較することでしか自分を証明できない。そればかりが続くと、自己肯定感の低さだけが残ってしまい、自分自信を信じることのできない、何も頑張れない子どもになってしまうわけだ。

そのまま大人になってしまった私は、異常なほどの自己肯定感の低さを身に纏い、本心を隠して生きてきたのだが、それが今はどうだろうか、これまでと比べると少しは自分のことを好きになれているような気がする。少しずつだが、私はゆっくりと確実に変わっていたようだ。

私は次第に、自分の性質というものを受け入れ始めた。何をやっても続けられない私でも、続けられる好きなものがあるということや全く何も続けられない人間ではないということ。

何をやっても続かない駄目な人間だと自分自身を追い詰めて、それが本来の姿であると思い込んでいた。大人になってからは、自分を守ることに必死で、何かのせいにして、他人のせいにして、いかに自分が傷つかないかが重要になっていた。実際は昔とは違って、心が豊かになっているのに自分で自分に蓋をしていた。傷つきたくないことを理由に、目の前の可能性をないものにしてあきらめていた。

正直に言えば、とうの昔から気付いていたことだ。心の中に理想の自分がいることや、本当は何だって自分次第で成し遂げられるということ。本当はもっと輝いた人間でありたいということ。傷付くことを恐れ、他人の目を気にして、目を背けてきた様々な本心や可能性に向き合いたいということ。

人を信じられなかった私が少しずつ自分を信じられるようになったのは、紛れもなく、今そばにいてくれる家族たちのおかげだ。血縁的には家族ではないが、家族だと思えるような人たちとの出会いが私を変えた。血の繋がりなんて何の関係もない。愛はどこにでも生まれるものだ。

今は昔とは違い、とてもいい環境に恵まれているのだからこれを機に何か自分の価値を証明したいと思う。また、自分の力で何かを成し遂げられる人間に戻りたい。何かを夢中に追いかけていた、あの頃の自分を取り戻したい。

何においても、自分の性質を理解することは大切なことで、それなくして結果を手に入れるというのは不可能であるだろう。


私は自分を愛してみたい。嘘偽りのない心を纏って、心から自分を愛しているんだと胸を張って生きてみたい。そのためには、今ある個性を伸ばし続けるということが重要だ。好きなことをやり続けるということを目標に、過ごしていこう。それが私の性質に合った自己肯定感の高め方なのだから。

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