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巨岩の来歴 2


子どもの頃
立岩には近づかなんだのん
白狐の祟りを畏れとったんじゃろうな
白狐は神の使いとして
岩穴に棲んどったらしい
親父が岩の上の白狐を見たと話しておった
若い時分には
隣村から帰ってくる間に
自転車籠の油揚げが
なくなっとったこともあったそうな
狐や猪や兎なんかも
山林でよく見かけたと

平安時代中頃
菅原道真の怨霊の使いとして
白狐が「庄左衛門」の夢に現れ
立岩の麓に祠が造られたそうな
立岩天神社は
江戸時代の道中記にも載っておってな
参勤交代の大名が街道から迂回して
参拝したこともあったと

明治の一村一社政策に従って
天神社を神明社に移したとき
疫病や災厄が続いた
「神明社に移すとはなにごとか!」
大富豪・山本三七さんの夢に
怒った白狐が現れたと
それで天神さんは立岩に戻ったそうな
行きはよいよい
帰りはこわい
の天神様だでな

白狐の夢のお告げは
言い伝えの域を出んけどな
立岩が神域だったことは確かなようじゃ
ここに稲荷神社が造営されたのは
白狐の祟りを鎮めるため
と聞いたこともある
あの赤い社殿がお稲荷さんじゃ
大正のことらしい

立岩の周囲の樹を伐った人が
災難に遭ったり病死したりっていう噂は
いまでも聞くのう
そうそう
太平洋戦争末期のこと
米軍の上陸を迎え撃つために
ここらの丘陵に陣地を構築した
怒(いかり)部隊と呼ばれておった
立岩の北側の中腹に大きな穴があるじゃろ
今は柵で入れんようになっとるが
太平洋岸を監視するための観測壕のようじゃ
そんとき軍人が岩から落下して亡くなったそうな
それも白狐の祟りだと伝えられとる
神聖な領域を軍靴で踏みつけ
稲荷神社の御神体を掘削したバチじゃな
戦争のためなら何やっても許される
ってわけではなかろう

(続く)




立岩稲荷神社


中腹の壕




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東海地方は梅雨明けから猛暑が続いています。
こんなにも汗が出るのかと驚くほどです。
みなさんはいかがお過ごしですか。

今回は、立岩のテーマの続きです。
ここに登場する故老の話は、
以前に実際に聞いたものですが、
私なりにアレンジしています。
来週に続きます。

来週も水曜日か木曜日に更新する予定です。
また見に来てください。
私もみなさんのページを訪ねます。



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